今晩はファトマ・サイードのドイツリート集を聴きます。
名前から察するとおり、エジプト出身という非常に珍しいキャリアで話題になったひと。ただそれだけでなくてものすごい実力の持ち主。すでに様々なオペラで活躍していますね。
この方の歌は、前のアルバム「カレイドスコープ」を聴いて、すっかり魅了されました。フランスオペラをフルオーケストラで歌って、そのしなやかで美しい美声に驚き、またその後オペレッタから様々なジャンル、エジプトの民族歌謡からピアソラ、ジャズ、ホイットニー・ヒューストンまで自在に歌っていて驚いたのを覚えています。ジャンルによって声の質を見事に変えて歌っていて、まさに万華鏡(カレイドスコープ)。
今回出た新アルバムは、なんとドイツリート!前アルバムには無かったジャンルなので、ちょっと驚きました。ただ、実は彼女はエジプトで生まれたけど、幼いうちからドイツの学校に通って、ドイツ語は第二母国語のように使っているとのこと。歌はドイツリートでレッスンを始め、ドイツの音楽大学で学んだということなので、むしろリートこそが一番歌ってきたジャンルかも。ちょっと意外でしたね。
このアルバムはよくあるリート歌曲集のようにピアノ伴奏と歌、というだけではなくて、クラリネット、歌の2重唱、歌のアンサンブル、弦楽四重奏、ハープと様々な編成が曲によって加わって、またピアニストも3人代わる代わる演奏していて、豪華でバラエティに富んでいます。ブックレットを見ると、友情がとにかく大切と書いている彼女らしく、とても楽しそうなスナップがちりばめられていて、和やかな雰囲気のうちに録音されたのでしょう。
最初のシューベルトの『セレナード』、ぱっと聴いて前のアルバムとはかなり違う歌い方。少し暗めの、ちょっと引っ込んだ感じの歌い方だけどやっぱり彼女ならではの美声、その中に少しだけエキゾチックな響きが混じった(これは先入観のなせるわざかも)声。これは今回のアルバムは彼女自身が「歌いすぎない」ように、テキストを大切にしたいと書いていましたが、そういった意図があるからでしょうね。そしてこのことはドイツリートを歌う上には非常に大切なことだと思います、詩を、コトバをいかに大切にして歌うか。(実は私も若い頃ちょっとだけ声楽を勉強していて、ドイツリートもちょっぴりやりましたが・・・その難しいこと!発音もそうだけど、歌い方を少しとってもまったくできなかった・・・)だからドイツで育った彼女でも、録音となるとかなりプレッシャーではなかったかと想像します。
続く「岩の上の羊飼い D.965」では、クラリネットが入ります。なんとザビーネ・マイヤーですよ!この方のクラリネットは本当に天国から降りてくるような透明な音で、心にしみ入りますね。この作品は管楽器と歌のアンサンブルの定番の曲ですが、詩は「遠距離恋愛」の曲。ホールの余韻が上まで広がって、遠い人への想いが響きとなって本当に美しくまた切ない。続く3曲目は今度は声楽アンサンブルと静かな愛のささやきを歌います。
こんな感じで全20曲、どの歌も言葉、詩を大切にして歌い上げていきます。シューベルトの「こびと D.771」などは「魔王」のように見事に声色を換えて、女王とこびととの痛々しい対話を演じています。カレイドスコープな声を持つ彼女にとっては得意なところかも。またブラームスの作品では、繊細なハープの伴奏となって、よりセンシティブな内面性をクローズアップしていますね。さらに「オフィーリアの歌」では弦楽四重奏が加わって、また違うニュアンス。そこにはただ綺麗というよりも、死の香りが少しだだよいます。中盤から後半はバリトンとのデュオもあって、想像力をかきたてられます。
全体のテーマは、やはり「愛」でしょう。プログラム全体をみると、そこにはストーリーがあるように感じられます。シューベルトの歌曲で愛の始まり、そして想い、メンデルスゾーンの歌曲で成就した愛の幸福の後は、ブラームスの繊細な愛とその終わり・・・。シューマンでは情熱的な愛と死、終わった愛を受け入れ、昇華しつつも、終曲では愛に苛まれて眠れぬ夜をバリトンのデュオで締めくくります。。
「愛」ってこうやってあからさまに語られることって少なくなりましたよね。ちょっと現代ではおおっぴらに愛について語るのは恥ずかしくも感じるけど、恋愛を経験した人なら必ず共感できる歌ばかり。1曲1曲が染みいってきます。おっと、年甲斐も無く失礼しました。
ファトマの歌、久しぶりに聴きましたが、前アルバムのカレイドスコープでは自分の持つ底力を誇示するようなところもあったけれど、ここではより内面的に成長したファトマを聞けました。また長く聴き続けて行きたい歌手です。次が楽しみ。