
今晩もカピュソンのリヒャルト・シュトラウスの続きを聴きます。
収録曲(後半)
歌劇《カプリッチョ》作品85:弦楽六重奏曲 TrV 279a
12.I. Andante con moto
13.II. Fig. 2
14.III. Andante con moto
《メタモルフォーゼン》TrV 290(ルドルフ・レオポルトによる弦楽七重奏版)
15.I. Andante
16.II. Etwas fliessender
17.III. Agitato
18.IV. Più allegro
19.V. Adagio, tempo primo
20.VI. Tempo primo
交響詩《英雄の生涯》作品40
21.I. Der Held
22.II. Des Helden Widersacher
23.III. Des Helden Gefährtin
24.IV. Des Helden Walstatt "Battle Scene"
25.V. Des Helden Friedenswerke
26.VI. Des Helden Weltflucht und Vollendung
《カプリッチョ》《メタモルフォーゼン》
ルノー・カピュソン - Renaud Capuçon(ヴァイオリン)
クリストフ・コンツ - Christoph Koncz(ヴァイオリン)
ジェラール・コセ - Gérard Caussé(ヴィオラ)
ヴェロニカ・ハーゲン - Veronika Hagen(ヴィオラ)
ジュリア・ハーゲン - Julia Hagen(チェロ)
クレメンス・ハーゲン - Clemens Hagen(チェロ)
アロイス・ポッシュ - Alois Posch(コントラバス/《メタモルフォーゼン》)
録音:2022年8月16日
ザルツブルク音楽祭、Stiftung Mozarteum
ライヴ録音
《英雄の生涯》
グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団 - Gustav Mahler Jugendorchester
ルノー・カピュソン - Renaud Capuçon(コンサートマスター/ヴァイオリン独奏)
小澤征爾 - Seiji Ozawa(指揮)
2000年 ザルツブルク、ライヴ録音
Deutsche Grammophon
アルバム『Richard Strauss』
2025年1月31日リリース
《カプリッチョ》の弦楽六重奏曲。柔らかい音色で始まり、それはオペラのあの世紀末感というか、終末感というか、そこに過去を懐かしむような響き。そしてトレモロと共に少し不安感が表現されます。細かい音の掛け合いが緊張感を高めるが、やがてヴァイオリンの柔らかい響きに導かれて心の複雑なひだを表すかのように内面の葛藤を表現。
オペラ《カプリッチョ》の冒頭で劇中の作品として演奏されるこの六重奏は、そのオペラ全体の雰囲気を表すかのような哀愁と夕暮れ感に満ちていて美しいです。これを聴いたらこのオペラの続きを聴きたくなる。ライヴで拍手ありの演奏。
《メタモルフォーゼン》TrV 290
この曲はシュトラウス晩年、しかも1945年というドイツにとっては破滅的な年に作曲された作品。この曲は23本の弦楽器(ヴァイオリン×10、ヴィオラ×5、チェロ×5、コントラバス×3)がオリジナルなのですが、聴いててなんか違う。他の演奏より音が薄い。で、よく調べたらこの演奏は弦楽七重奏で演奏されてました。
この七重奏版には面白い経緯があります。1990年、スイスでシュトラウス自身が書いた2つのヴァイオリン、2つのヴィオラ、2つのチェロ、コントラバスという七声部のショート・スコアが発見され、その後チェリストのルドルフ・レオポルトが、このショート・スコアと最終的な23人版の双方をもとに演奏可能な七重奏版を作ったとのこと。
スコアを見ながら聴いてみると、23パートとはいっても、すべての声部が常に別々の音を弾くわけではなくて、ユニゾンになったり、ソロになったりしながら、かなりの部分で声部が重ねられています。だから23人版で音がすごくユニゾンで厚くなるところも、七重奏版では1パートで弾いていたりするから、薄く感じる。
でもそのことによって、より各声部が独立して聴こえてきて、例えば名盤と言われるカラヤン版のように壮大な音楽というよりは、ものすごいポリフォニックな、さまざまな声が入り乱れている絡み合いがよく聴こえます。とんでもなく複雑な作品ですね。
この頃はすでに音楽の世界は次の現代音楽のフェーズに入ってたけど、この複雑系な作品はそんな現代音楽にも匹敵するくらいの、ロマン派の最後の抵抗、というか、調性音楽の行き着いた終着点というか、調性崩壊のギリギリの世界。
メタモルフォーゼン、この「変容」というのは、この作品においてさまざまな意味があるかと思います。社会的にはドイツが戦争や狂気のために崩壊して社会が変容していく時代を表しているような、そして音楽の世界が調性世界から現代音楽へ変わっていく変容、そしてこの音楽自体の変容・・・ベートーヴェンの《英雄》交響曲の葬送行進曲を思わせるモチーフが異形な形に変容していく様、そして7つの声部がどれが主役かわからないような、ルネサンスのポリフォニーのようでありながら、調和しないというか、寄せては引く波のようにうねっていく世界・・・。
シュトラウスは最後にすごい作品を書きましたね。このカピュソンらの七重奏版の演奏は、ユニゾンの部分が1声になることで、音楽のもつ複雑な絡み合いが浮かび上がってきて、迫力という点では23人版には負けるけれど、構造が見通せるという意味ではこの曲のもつ本当の姿が浮かび上がってくるように感じました。演奏がどうのというより、この作品の原点に引き込まれてしまいました。
交響詩《英雄の生涯》作品40
続く《英雄の生涯》、小澤征爾さん指揮、グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団、ソロのヴァイオリンは20代前半のカピュソン。うーんと、正直なことを言いますと、あまりピンと来ない演奏かな。冒頭から何だか緩いというか、もっと尖った開始が好きなんですが、締まりのない音楽・・・。
私はあまりこのブログで好きじゃない演奏の悪口を延々というのはやめようかと思っていたのですが・・・小澤征爾さんの演奏を聴くと、指揮って何か、っていうことを考えてしまうのです。
1回だけですが、本当に目の前であの方が振っておられるのを見る機会に恵まれたのですが、その指揮はものすごい表現力でした。曲は弦合奏だったのですが(あまりにも前なので曲を忘れた)さすがだな、と思ったものでしたが・・・顔の表情とか、指の表情とか振り方とか、それはそれは表情豊か。だけどです、出てくる音がそれについていっていないというか・・・だから何を演奏したか忘れちゃったのかもしれないけれど。
もしかしたら指揮、というのはそういうことではないのではないかしら・・いや、もう指揮のプロとかたくさん指揮を勉強しておられる方がいらっしゃる中で素人がいうことですから、馬鹿なこと書いてるな、と思っていただければいいのですが、そういう顔の表情とかそういうことではなくて、何かもっと違うことが指揮者にとって重要なことなのではないかしら・・・。
申し訳ないけれど小澤さんの音楽に感動できないのです。あんなに表情豊かに振っているのに、出てくる音楽はあっさりというか、なんか物足りないというか・・・。
小澤征爾さんの名盤ってなんでしょうね。他の指揮者を圧倒するような、例えばさっき例に出したカラヤンだったら、リヒャルト・シュトラウスは圧倒的ですよね、オペラとか。ちょっと比較が悪いかもしれませんね。ビゼーとか?私には小澤さんで名盤と思えるのが一つもなくて・・・すいません、ファンもたくさんいらっしゃるんだろうけど、どうしても小澤征爾さんの録音を進んで聴こうという気になれないのです。
この演奏もそうで、カピュソンは爽やかな音で弾いているけれど、なんか表面的に感じてしまう。私の感受性の問題かもしれませんが、このアルバムに関しては、室内楽やコンチェルトの方がずっといいですね。
で、本当に申し訳ないのですが、途中で聴くのをやめてしまいました。これはわざわざカップリングする必要はなかったのではないかしら・・・前半の初期の珍しいコンチェルトと室内楽と晩年の傑作のカップリングだけで、コンセプトとしては素晴らしいし、十分だったかも。
ネガティブな感想で申し訳ないのですが、正直な気持ちであります。でも、これ以外、特にコンチェルトは他にはない名演奏だったと思います。
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