クラシックとオーディオの日々

毎日聴いている音楽の記録です。

アブドゥライモフのプロコフィエフとショールのピアノ協奏曲

今晩は、ベフゾド・アブドゥライモフのピアノ、ヴァシリー・ペトレンコ指揮ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、プロコフィエフピアノ協奏曲第2番とショールのピアノ協奏曲を聴きます。
アブドゥライモフはウズベキスタン出身で、現在は米国に在住するピアニストです。今回初めて聴きましたが、アルファ・クラシックスからプロコフィエフや近代の作品を何枚かリリースしています。若い頃はデッカでも録音していたようです。
まずはプロコフィエフピアノ協奏曲第2番 ト短調 作品16。この曲はやっぱりスピード感のある音がいいかな、と思って、いつもは300Bの真空管アンプとハーベスH L5で聴いているのを久しぶりにバックロードホーン+スーパーツイーターとティアックのデジタルアンプで聴いてみましたが、こちらが正解かもしれません。ピアノもオーケストラも非常に透明感のある音で、そしてメランコリックな旋律が微妙な調性の移り変わりとともに陰影がほのかに移りゆく和声がとてもいい。そして第2主題にあたるアレグレットでいかにもプロコらしい展開。ここでもアブドゥライモフは決して乱暴にならずいい音色感で弾いていきます。ペトレンコとロイヤル・フィルは手慣れたものですね。途中の巨大なカデンツァはスケールがでっかい演奏です。第2楽章以下の速い楽章は明快。一瞬も休む間のないピアノですが、その上に乗る管楽器の短いパッセージがこ気味いい。第3楽章は一瞬ロメオとジュリエットを思わせる凶暴性があります。こういうのがプロコフィエフの魅力かなとも思ったり。4楽章の中間部はただテクニックだけではなくて民謡風のメロディを共感持って弾いています。モダンな曲なのにここに来るとちょっと田舎臭いというかやややぼったいメロディなんですが。突然始まるピアノソロのカデンツァは徐々に音楽を昂らせて再びロシア民謡っぽい主題に入るあたりは聞かせ方が上手いですね。フィナーレは超絶技巧をなんの障害もなく痛快に弾いていきます。たまにはいいな、プロコフィエフ
次の作品、アレクセイ・ショールのピアノ協奏曲。ショールって誰?って感じですが、経歴が面白くて、1970年代にウクライナで生まれて、数学の博士号をとった後、趣味で作曲し始めたのが2012年っていうからだいぶ大人になってからのスタートですね。仕事は数学者として活動していたのが、友人の音楽家の紹介で知られるようになったとか。彼の作品の特徴は自分の心に正直に。決して現代っぽくなくても気にしない、ってタイプ。最初の音を聞いて、これ最近の曲?と思うくらい保守的。プロコフィエフとは100年くらい違うのだけど時代が逆戻りしたっていうかんじ。よっぽどプロコの方が前衛的です。でもこういう作品は今人気が出るかもしれません。揺り戻しっていうのかな、もう過激なものは十分っていうか。メロディもとても親しみやすくて聴きやすい。パッと聞いてこの作曲家の時代を当てろと言われてもとても当てられないんじゃないでしょうか。この曲はハーベスと真空管アンプで聞いた方がしっくりくるかな。作品としては形式的にはややまとまりがなくて、ちょっと寄せ集めっぽいですね。1楽章が15分近くあるのに、2、3楽章はそれぞれ5分くらい。第2楽章は叙情的でなかなか美しい。中間部は早くなって感傷的なメロディを奏でます。3楽章は速い楽章で、ロシア5人組の誰かの初期の作品みたいな響き。すぐ終わっちゃいます。不思議な曲ですね。ショール自身がライナー・ノーツで述べていますが、、この作品は非常に個人的なもので、人生のさまざまな段階を反映してきた旅の感情とのことを描いているとのこと。形式美よりも自分の中から生まれてくる音楽を信じてそのまま書き綴ったっていう感じでしょうか。自分に正直。確かにこういう、ある意味で「ベタ」な音楽は、最近あまり聴かれませんね。現代の作曲家は皆、凝りすぎているように感じます。だからこそ、かえって新鮮に聴くことができたかな。