クラシックとオーディオの日々

毎日聴いている音楽の記録です。

マリアム・バタシヴィリによるピアノ・ソナタ集

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今晩は、マリアム・バタシヴィリ(ピアノ)による《Influence》とタイトルのついたピアノ・ソナタ集を聴きます。
バタシヴィリはジョージア出身で、2014年にユトレヒトで開催された第10回フランツ・リスト国際コンクールで優勝して以来、国際的に活躍しているピアニスト。ワーナーからすでに何枚かのアルバムをリリースしており、昨年は来日公演もありましたので、ご存じの方も多いでしょう。

話はまったく変わりますが、ジョージアといえば松屋のシュクメルリ鍋。あれは本当においしくて、発売期間中に何回も食べました。あの鍋にはサツマイモが入っていて、そこがジョージア本場とは違うらしいのですが(ジョージア大使がそう語っていました)、またサツマイモの季節には復活することを祈っています。

そんなジョージア出身のバタシヴィリが、今回は古典派からリストに至るまでのソナタの変遷をたどっているのがこのアルバム。ハイドンモーツァルトベートーヴェン、リストという系譜ですね。「この4人の作曲家がどのようにソナタ形式を通じて自己表現を行っていたかを示すことに興味がありました。そこで、聴く人が旅をするように感じられるよう、作品を年代順に並べました」とのこと。

まずはハイドンニ長調ソナタ Hob. XVI:37。元気いっぱいの明るいソナタ。深刻さのないシンプルな作品ですが、とても魅力的で楽しい作品。第2楽章はニ短調で憂いを帯びますが、バタシヴィリはここをかなりゆっくり目に演奏していて、ハイドンにしては少しロマンティックな情感も感じられます。すぐに第3楽章で再び元気いっぱいに。いかにもハイドンらしい作品です。バタシヴィリは明快かつ明るく、透明な音色で演奏しています。こういう曲は最近ではフォルテピアノで演奏されることが多くなりましたが、現代のピアノで軽やかに弾くのはかなり難しいかと思います。透明感と切れのある音が素晴らしい。

モーツァルトソナタ第18番 ニ長調 K.576。「狩り」という愛称で知られ、モーツァルトの最後のピアノ・ソナタとしても有名ですが、改めて聴くと、作曲技法的にも精神的にもハイドンよりはるかに複雑で深みのある内容となっているように感じられます。ハイドン時代の娯楽的な雰囲気を残しつつも、晩年のモーツァルトが深めていった対位法の技術が活かされ、それが同時に内面的な精神の葛藤へとつながる音楽に移行しているのが分かります。第1楽章では第2主題に差し掛かる部分で、バタシヴィリがほんのわずかにテンポを落としたり、フレージングに微妙な変化をつけたりしていて、単純な古典派の再現ではなく、ニュアンスに富んだ繊細な演奏が光っています。バタシヴィリの演奏は明快でありながら、音色に単なるシンプルさだけでなく、音の中に深さのようなものも表現されています。

続いては、ベートーヴェンの名曲《ピアノ・ソナタ第23番 ヘ短調 作品57「熱情」》。なんだか久しぶりにこの曲を聴きました。新譜ばかりを追いかけていると、こういった超名曲を聴く機会が減ってしまいますが、改めて聴くと本当に偉大な作品だと実感します。モーツァルトソナタにも感じられた人間の内面に向かう表現が、ベートーヴェンでは爆発的に拡大し、音楽の方向性そのものが劇的に変化したことが分かります。当時としては極めて革新的な音楽だったのでしょう。

バタシヴィリは、「次々に現れるダイナミックな変化と、その驚きの要素こそがこのソナタをワクワクさせてくれるのです」「このソナタには語りのような要素があり、第2楽章では神聖さ、霊性、瞑想的で平穏なものへと導かれ、そして第3楽章で再び〈熱情(Appassionata)〉が帰ってくるのです」と語っていますが、まさにこの感情の起伏の激しさ、そして音楽の劇的な変化には驚かされます。ダイナミックレンジが非常に広く、これはピアノの発達とも関係があるでしょう。終楽章はかなりのスピードで突き進みます。

最後はリストの《ダンテを読んで:幻想的ソナタソナタ S.161/7》。バタシヴィリは、「先生は、私がダンテの『神曲』を読まない限り、この曲を学ばせてくれませんでした。13歳の私にはとても重たいものでした」と語っています。13歳で『神曲』は確かに重いですね。「『神曲』は地獄・煉獄・天国の三部で構成されています。特に第1部では、魂がどのように責め苦を受けているかが生々しく描かれており、私は悪夢にうなされながら練習していたとき、本当に悪魔に見張られているように感じていました」とのこと。しかし、リストを深く弾きこなすバタシヴィリにとっては、避けて通れない道だったのでしょう。

私自身は『神曲』についてはおおまかなことしか知りませんが、情報がなくとも音楽を聴いて感じること、それこそが大切かな。私はまずはあまり情報を入れず、ただその曲をひたすら聴く。理解するのではなく、感じるように聴いて、あとで色々読んだりして補足。そんなふうに聴いています。音楽を聴いて何を感じたか、それが一番大切なことですね。言葉のない音楽だからこそ、自由に聴ける。ただ真剣に聴くことで、その音楽の本質に触れることができると私は信じています。

バタシヴィリの演奏は、さすがリストを得意とするだけあって素晴らしいものです。そこには明確なストーリーが感じられます。それは聴く人それぞれが自由に感じればよいと思います。冒頭の音、増4度――いわゆる「悪魔の音程」から始まり、怒涛の音楽とドラマが展開されていきます。ダイナミックレンジは、これまでのどのソナタよりも広く、表現の幅が圧倒的に拡がっています。

バタシヴィリは「リストは、鍵盤上で私たちに恐怖や興奮、そして愛を感じさせてくれます」「私にとってこの作品は、地上的な感情や出来事に基づくものではなく、宇宙のもっと深い場所から来るもの。これは精神的な作品なのです」と述べていますが、ひとつのモチーフがさまざまな形で変容し、ときには恐ろしく、ときには崇高な気持ちにさせてくれます。

明快なハイドン、その形式感に影響を受けたモーツァルトはそこに陰影を宿らせ、モーツァルトが描いた感情表現を徹底的に突き詰めたベートーヴェンへ、そしてその精神性や技術革新に深く感化され、ピアノという楽器の極限まで音響設計を突き詰め、形式からも解き放たれたリストへと続いていきます。それぞれが前の世代から強い影響――Influence――を受けて変容してきた、その軌跡が見える1枚です。

ダンテの後はボーナストラック。アンコールのようなかたちで、《愛の夢 第1番 変イ長調 S.541/1》《愛の夢 第3番 変イ長調 S.541/3》が夢のように演奏され、最後は有名な《ラ・カンパネラ》を美しく弾いて締めくくってくれました。まるで素敵なピアノ・リサイタルを体験したかのような、素晴らしいアルバムでした。

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