
クララ・シューマン、ドラ・ペヤチェヴィチ、セシル・シャミナード。 19世紀から20世紀初頭にかけて活躍しながら、長く正当に評価されにくかった女性作曲家たちのピアノ三重奏曲が、一枚に集められました。しかも演奏は、グラミー賞に二度ノミネートされた実力派アンサンブル、ニーヴ・トリオです。
今晩は、シャンドス・レーベルから2026年2月6日にリリースされた、ニーヴ・トリオのアルバム『In Her Hands』を聴きます。
収録曲は以下の通り。
クララ・シューマン:ピアノ三重奏曲 ト短調 作品17
第1楽章 アレグロ・モデラート
第2楽章 スケルツォ ― メヌエットのテンポ ― トリオ
第3楽章 アンダンテ ― ピウ・アニマート ― テンポⅠ
第4楽章 アレグレット
ドラ・ペヤチェヴィチ:ピアノ三重奏曲 第2番 ハ長調 作品29
第1楽章 アレグロ・コン・モート
第2楽章 スケルツォ(イ短調)
第3楽章 レント
第4楽章 フィナーレ:アレグロ・リゾルート
セシル・シャミナード:ピアノ三重奏曲 第2番 イ短調 作品34
第1楽章 アレグロ・モデラート
第2楽章 レント ― アニマート ― テンポⅠ ― ポコ・ピウ・モッソ ― テンポⅠ
第3楽章 アレグロ・エネルジコ
またまたピアノ三重奏。このジャンルは活発ですね。
演奏はニーヴ・トリオ。ヴァイオリンのアンナ・ウィリアムズ、チェロのミハイル・ヴェセロフ、ピアノの中村恵理さんによるアンサンブルです。こちらも以前取り上げました。
こちらのアルバム、グラミー賞にノミネートされていましたね。しかも2度目!すばらしい。カーネギー・ホールをはじめ欧米各地の主要ホールに出演し高い評価を受けているとのこと。現代作品の初演にも積極的に取り組み、レパートリーの幅広さも特徴です。
私の印象では中村恵理さんのピアノがとても柔らかくて、あまり主張しすぎず、よくあるガンガンピアノ出てきてヴァイオリンとチェロがそれに対抗してぶつかり合う、というのと逆に感じます。音色が全体にとても柔らかくて美しく、ひとつのアンサンブルとしての色が出ています。
このアルバムではクララ・シューマン、ドラ・ペヤチェヴィチ、セシル・シャミナードという3人の女性作曲家によるピアノ三重奏曲を収めた一枚です。女性の作曲家の作品を集めたもの、本当に多くなりました。それだけまだまだ名作が埋もれているということでしょう。いろいろと解説を読むと、いかに女性の作曲家が女性というだけで世の中に出るのが困難であったかもわかってきます。彼女たちの人生は、ヨーロッパの極度の男性中心の社会の中で、決して男性にひけをとらない作曲家としての戦いの人生であったと言えましょう。
クララ・シューマンのト短調三重奏曲は、彼女にとって唯一の本格的な室内楽の大作。前にも少し書きましたが、だいぶ前にクララ・シューマン所有のピアノによるコンサートでこの作品を聴きました。とても繊細でありながらもいわゆる古いピアノの音よりは現代のピアノに近い音色で、音量は決して大きくないのに、大きなホールでもよく通る音で、印象深い演奏会でした。
第1楽章はソナタ形式で、憂いを帯びた旋律と強い前進力が共存します。ニーヴ・トリオは重心を低く保ちながらも音楽を停滞させず、主題の性格を明確に描きます。展開部では各声部の対話がくっきりと浮かび上がり、クララの対位法的手腕が伝わります。
第2楽章はスケルツォとメヌエットの要素が交錯する楽章です。優雅なリズム感と、中央トリオの柔らかな揺れが対照的。
第3楽章アンダンテはピアノの静かな独白から始まり、弦が順に旋律を受け取ります。中村恵理さんのピアノは和声の陰影を丁寧に描き、弦の歌を支えます。
終楽章は短調の緊張感を保ちながら進み、対位法的にも凝っていて楽しめますね。最後の長調転換が印象的に響きます。
次のドラ・ペヤチェヴィチ(Dora Pejačević, 1885–1923)は、近年ようやく本格的に再評価が進んでいるクロアチアの作曲家。ハプスブルク帝国下のブダペストに生まれ、名門貴族の出身でした。幼少期から文学・哲学・音楽に親しみ、ウィーンやミュンヘン、プラハにも滞在します。作曲はほぼ独学でしたが、ドレスデンでパーシー・シャーウッドに私的に師事し、ドイツ後期ロマン派の語法を深く吸収しました。
彼女の音楽は、濃密な後期ロマン派語法と彼女自身のもつ内面的な精神が合わさり、ブラームスやリヒャルト・シュトラウス、レーガーらの影響を感じさせる和声の厚みを持たせながら、旋律はどこか翳りを帯び、知的で内省的。
彼女は交響曲(嬰ヘ短調 作品41)をはじめ、協奏曲、室内楽、歌曲など多くの作品を残しました。なかでも室内楽は重要で、ピアノ四重奏曲 作品25やこのアルバムに収められたピアノ三重奏曲第2番 作品29は、その成熟した書法を示す代表作です。
1910年作曲のピアノ三重奏曲第2番 ハ長調 作品29は、彼女が25歳前後に作曲したもの。第1楽章「アレグロ・コン・モート」は、ピアノのアルペッジョ上に歌われる哀愁あるメロディで始まりますが、すぐに特徴的な付点リズムが導入されます。この動機は全曲を通して断続的に現れ、音楽に一種の執拗さ、あるいは内面的な緊張を与えています。旋律は豊かで歌心に満ちていますが、和声は単純ではありません。しばしば予想外の方向へと進み、ロマン派的な情熱と知的構築性を両立させます。
第2楽章スケルツォはイ短調。外側は鋭い2/4拍子で、リズムの切れ味が前面に出ます。一方、中央トリオはイ長調の5/4拍子というやや異色の構成で、夢見るような浮遊感が漂います。拍子の揺らぎが独特の幻想性を生み、彼女の個性がはっきり表れます。
第3楽章レントは、彼女の抒情性が最も純粋に現れる楽章です。長い旋律線、厚みのある和声、そして頻繁な調性の変化。単なる安らぎではなく、どこか影を伴った美しさがあります。濃厚なロマン派の香りがむせるように漂います
終楽章「アレグロ・リゾルート」は、力強く前向きな性格を持ちます。付点動機が再び活性化し、エネルギーと推進力が高まります。和声は最後まで冒険的で、最終的にハ長調の輝きへと到達しますが、それは単純な勝利というより、葛藤を経た解放のように響きます。
彼女は残念ながら37歳で出産後の合併症により急逝されてしまいましたが、その短い生涯にもかかわらず、彼女はクロアチア音楽史における最重要作曲家の一人と位置づけられています。近年の録音や研究の進展によって、ようやく国際的評価が追いつきつつあるとのこと。濃密なロマン派の響きと、内省的な精神性。その両方を味わえる、大変充実した一曲だと思います。ニーヴ・トリオはここでも柔らかな感触を残しながら、充実した濃厚な音楽を描いています。
セシル・シャミナード(Cécile Chaminade, 1857–1944)は、19世紀末から20世紀前半にかけて国際的に成功したフランスの作曲家・ピアニスト。フルーティストにとっては非常にポピュラーな作曲家です。
現在では小品作曲家というイメージが先行しがちですが、当時はヨーロッパだけでなくアメリカでも熱狂的に迎えられ、とりわけアメリカでは「シャミナード・クラブ」と呼ばれるファン・クラブが各地に生まれるほどでした。いわばスター作曲家だったんですね。フルート奏者にとってのバイブルであるエチュードを書いたポール・タファネルとのゴシップもあってそれはこちらに詳しく書きました。
このアルバムに収められた《ピアノ三重奏曲 第2番 イ短調 作品34》(1886年)は、その充実期の代表作です。
この三重奏曲は、形式の明晰さと旋律美が両立した作品。第1楽章アレグロ・モデラートは、堅実なソナタ形式で書かれ、主題の対比が明確です。彼女の和声はフランス的な透明感を持ちながら、ドイツ的な構築性も感じさせます。甘美な旋律に寄りかかるだけでなく、展開部では動機処理の確かさが光ります。
第2楽章は抒情性の核心です。和声の色彩変化が豊かで、弦とピアノの対話が繊細に組み立てられます。単なるロマン派的感傷ではなく、旋律線は長く、呼吸が深い。ここには彼女の本当の作曲技術が現れています。
終楽章アレグロ・エネルジコでは、リズムの推進力が前面に出ます。軽やかさと躍動感があり、技巧的でありながら華美になりすぎません。音楽は引き締まったエネルギーのまま終結します。
20世紀に入ると彼女の評価は急速に下がっていきます。ロマン派的語法が時代遅れと見なされ、さらに「女性らしい優雅さ」というステレオタイプな枠に押し込められた批評もありました。しかし近年、作品の実質的な完成度が再検討され、再評価が進んでいます。
このアルバムで聴く三重奏曲は、彼女が単なるサロン音楽の作曲家ではなかったことをはっきり示します。旋律美と構造感覚、その両立こそがシャミナードの真価だと思います。
録音は2025年8月5日から7日にかけて、サフォーク州ダンウィッチのポットン・ホールで行われました。使用ピアノはスタインウェイ・モデルD。録音プロデューサーはシャンドスでおなじみジョナサン・クーパー。残響はあまりありませんが、響きは透明で、各楽器の定位が明確です。ピアノは柔らかく捉えられていて金属的な音はしません。ヴァイオリン、チェロともに細身な音で、それがこれらの曲には合っているように感じました。
ということで、またまた長くなりました。このアルバムは、19世紀から20世紀初頭に活躍した女性作曲家たちの創造力を今の視点で鮮やかに提示しています。ニーヴ・トリオの確かな技術と温かい音楽づくりによって、それぞれの個性を明確に浮かび上がらせています。歴史の流れの中で再評価が進む作品群を、説得力のある演奏で聴かせてくれるアルバムでありました。