
私たちは「ヨハン・セバスティアン・バッハ」という名を聞いた瞬間、その音楽をすでに完成された頂点として受け取ってしまいます。 しかし若き日のバッハは、北ドイツの鍵盤文化のただ中で学び、模倣し、吸収していた一人の青年でした。
彼が300マイルを歩いてブクステフーデを訪ねたという逸話は、その環境の豊かさと彼の情熱を物語っています。今晩は、Raméeレーベルから2026年2月6日にリリースされた、ガブリエル・スモールウッドの演奏によるアルバム『Juvenilia ― Harpsichord works by and surrounding the young Bach』を聴きます。若きバッハと彼に影響を与えた作曲家達の作品集です。
収録曲は以下の通り。
ディートリヒ・ブクステフーデ 前奏曲 ト短調 BuxWV 163
ヨハン・セバスティアン・バッハ 幻想曲 ト短調 BWV 917 カプリッチョ 変ロ長調 BWV 992《最愛の兄の旅立ちに寄せて》 アリオーソ・アダージョ ― 友人たちが兄を引き留めようとする 兄が異郷で出会うかもしれない出来事の想像 アダージッシモ ― 友人たちの嘆き 友人たちが別れを告げる アレグロ・ポコ ― 御者のアリア フーガ ― 郵便馬車の角笛の模倣
作者不詳 クーラント 変ロ長調
ヨハン・セバスティアン・バッハ 前奏曲とフーガ イ長調 BWV 896
クリスティアン・リッター 組曲 嬰ヘ短調 アルマンド クーラント サラバンド ジーグ
ヨハン・セバスティアン・バッハ トッカータ 嬰ヘ短調 BWV 910
ゲオルク・ベーム カプリッチョ ニ長調
ヨハン・セバスティアン・バッハ ソナタ ニ長調 BWV 963 [第1楽章] [第2楽章] フーガ アダージョ 主題《雌鶏とカッコウの模倣》
作者不詳 コラール《わが愛する神に(Auf meinen lieben Gott)》
ヨハン・アダム・ラインケン トッカータ ト長調
若きヨハン・セバスティアン・バッハと、その周囲の作曲家たちのチェンバロ作品を集めた一枚です。
このアルバムの解説を読んで、なるほどなぁと思ったのですが、大バッハは生前から今日に至るまで彼を神話化する風潮があって、演奏会のプログラムが大体バッハの「傑作」に焦点が当てられ、若い頃の作品は軽視され、選ばれた代表作だけがずっと評価されていると書かれています。
私たちは「ヨハン・セバスティアン・バッハ」という名前を聴いただけでその作品は神格化され、一段高い作品のように思い込んでいます。しかし同時代の他の作曲家たちはあきらかにバッハに強い影響を与え、例えばブクステフーデなどはバッハ自身が徒歩で300マイル歩いて聴きに行ったというのも、いかにバッハが同時代の作曲家を自分よりも高くとらえ、そこから多くのものを得ていたかの証左となるのではないかと思います。
300マイルって約483km。つまり東京から大阪くらいまで歩いて聴きに行ったということになります。どれほどの情熱があったのでしょう。
「今はブクステフーデやラインケンといった名はしばしば脚注へと追いやられ、あたかもバッハという必然的な頂点へ至るための存在であったかのように扱われることがある。そのような見方は、彼ら自身の卓越した芸術的才能を覆い隠してしまう危険を孕んでいる。」とブックレットに書いていますが、まさにその通りですね。このアルバムは若き日のバッハと、そこに強い影響を与えた作曲家たちをちりばめることで、バッハとその時代の音楽の本質に触れようという試みです。
演奏はすべてガブリエル・スモールウッドというチェンバロ奏者です。日本でいうと小林さんかな、あ、複数形じゃないから小木さん。このアルバムがアルバムデビューのようですね。アメリカ出身の若手奏者で、ブルージュのムジカ・アンティクァ・コンクールやポズナンのワンダ・ランドフスカ国際チェンバロ・コンクールなど、主要な国際コンクールで入賞を重ねてきています。現在はバーゼルのスコラ・カントルム・バジリエンシスで研鑽を積みながら、ヨーロッパ各地でソリストおよび通奏低音奏者として活動しています。作曲家としても実績があり、歴史的鍵盤音楽への深い理解が、演奏の隅々にまで反映されています。
早速聴きます。まずは毎度ですが、素晴らしい録音。チェンバロの最近の録音はどれも超優秀録音ばかりですが、これも教会の空気感の中にくっきり浮かび上がるようなチェンバロの音。録音は2024年11月、ドイツ・グレンツァッハ=ヴィーレンの聖レオデガール福音教会で行われました。使用楽器はクリスティアン・ファーター(1738年)モデルによるチェンバロ。残響は豊かですが過度ではなく、細部まで明瞭に捉えられています。低音の芯がしっかりしており、北ドイツ作品の重厚さがよく伝わります。
冒頭のブクステフーデ《前奏曲 ト短調》は、北ドイツ様式の奔放さを存分に味わえる作品。即興的な導入からフーガ的展開へと移ろう構成を、スモールウッドは明確に描きます。音型の推進力と和声の陰影がよく整理され、若きバッハがこの音楽から何を吸収したかが実感できます。
バッハの《幻想曲 ト短調 BWV 917》は、バッハの若い頃、確定的ではありませんが1704〜1708年頃(18歳〜23歳頃)に作曲されたとの研究があります。北ドイツ風でブクステフーデっぽいですね。同じト短調として前の作品との聴き比べるための配置でしょう。装飾的で自由な筆致と対位法的思考が交錯します。スモールウッドの演奏は過度に重くならず、軽やかさを保ちながら構造を浮かび上がらせます。北ドイツ的な幻想性を意識させつつも、過剰な誇張はありません。
バッハ《カプリッチョ 変ロ長調 BWV 992〈最愛の兄の旅立ちに寄せて〉》は、初期鍵盤作品の中でも特に由来や成立事情が語られている珍しい作品。ほぼ確実にバッハが1703年前後(18歳頃)に作曲したと考えられています。最愛の兄とはヨハン・ヤーコプ・バッハ。彼はバッハの実兄で、オーボエ奏者であり、1704年頃にスウェーデン軍楽隊へ入隊しましたが、この曲は兄が家を離れる際に書かれた別れの音楽です。各楽章の性格付けが明確で、特に「友人たちの嘆き」では繊細なアーティキュレーションが印象に残ります。一方、「御者のアリア」や終曲のフーガでは、軽妙で遊び心のある表情が生きています。スモールウッドは深刻さと親密さが同居するこの作品の魅力を、自然な呼吸で伝えています。
次に置かれている作者不詳の《クーラント》は、いわゆる《アンドレアス・バッハ本》に収められている作品。よくバッハの伝記に出てくるバッハのお兄さんが持っていたけど、ヨハン・セバスティアンには貸してくれないので、夜中にそっと持ち出して月明かりの下で写譜したけれど、それがみつかって取り上げられてしまったという逸話があるけれど、多分その中の一つの楽譜ですね。この兄はさきほどの「最愛の兄」の曲に出てきた兄とは違う、ヨハン・クリストフ・バッハ。ただ記録によるとセバスティアンとクリストフの二人はとても仲が良かったという研究もあって、この逸話は信憑性が疑われています。
そしてこのクーラントはこれまで録音例がなかった珍しいレパートリーだとのこと。短く無名の曲ではあるものの、当時の実践的な音楽作法をよく示す重要な資料的価値を持つ作品だと位置づけられています。
音楽的特徴としては、第一印象では当時流行していたフランス様式のパスティーシュのように聞こえると説明されています。しかしそれは表面的な印象にすぎず、実際には明確な対位法的構造を備えていて、前半には模倣書法が多く現れ、これはむしろ純粋なフランス舞曲にはあまり見られない特徴です。後半には単純ながら確かなカノン的パッセージが二つ現れます。つまりこの曲は、性格はフランス風、構造はドイツ風という二重性を持っていて、教育的・習作的性格を帯びていますね。この曲が収められている曲集が若い頃のセバスティアンに強い影響を与えたのは間違いないでしょう。
BWV 896《前奏曲とフーガ イ長調》では、明るく透明な響きが際立ちます。スモールウッドは分散和音をセンスよく使い、その後のフーガ主題の扱いが明晰で、若いバッハの手触りが伝わります。
リッターの《組曲 嬰ヘ短調》はこのアルバムの中でも渋い存在。クーラントではスモールウッドが即興的に終わりの部分を付け足して弾いたり、アルマンドの重心の低さ、サラバンドは2つの変奏からなっていて、ちょっとパッサカリアっぽくてスキです。ジーグは機敏で対照的に描かれます。北ドイツの鍵盤文化の奥行きを感じさせます。
《トッカータ 嬰ヘ短調 BWV 910》は同じ嬰ヘ短調。リッターの組曲から影響を直接受けたかどうかはわかりませんが、当時は嬰ヘ短調って珍しい調ではないかと思います。バッハは平均律1巻と2巻以外では、この曲くらいしかないのではないかしら?リッターの曲はバッハ家の楽譜コレクションにあったと思われますので、影響を受けた可能性は否定できませんね。嬰ヘ短調は平均律ではなかった時代にはかなり暗い響きになったのではないかと思いますが、この頃よりバッハは成熟した姿を示しています。スモールウッドは、いかにも北ドイツ風の自由な序奏からフーガ的展開へ至る流れを大きな弧でまとめています。技巧的なパッセージも音楽的意味を失わず、表情豊かです。
続くゲオルク・ベームの《カプリッチョ ニ長調》は明快で機知に富み、若きバッハが親しんだ世界を鮮やかに描きます。対位法的にも面白くて楽しめる作品。バッハはベームからも強い影響をうけていますね。
BWV 963《ソナタ ニ長調》はやはり前のベームと同じニ長調。ここではベームと比べると、いかにもバッハの若書きという感じで複雑さよりもシンプルで、ちょっとギャラントな性格がでています。終曲の「雌鶏とカッコウ」の模倣が微笑ましく、軽やかなタッチが生きています。形式の実験性と遊び心が自然に溶け合います。こういう動物の模倣は当時流行っていたのですね。
コラール《わが愛する神に》は、やはり先程の《アンドレアス・バッハ本》に収められている曲。簡潔ですが、和声の揺らぎに味わいがあります。解説によるとかなり不完全なコラールとのことですが、その不完全さがまたいい味を出しているとともに、教育的な課題としてバッハになにか示唆をあたえているかも、とのこと。スモールウッドは過度に整えず、素材の素朴さを大切にしています。
最後はバッハではなくて、ラインケン《トッカータ ト長調》。ラインケンはバッハがブクステフーデを尋ねた際に訪れた可能性があるとのことで、やはりバッハに強い影響を与えているようです。堂々とした締めくくりです。即興的な広がりと構築性が両立し、若きバッハの精神的源泉を強く印象づけます。
ということで、このアルバムは、若きバッハを単独で神格化するのではなく、彼を取り巻く音楽環境ごと聴かせてくれる貴重な機会を与えてくれました。ブクステフーデやベーム、ラインケンらの存在があってこそ、バッハの個性がより立体的に浮かび上がってきます。またスモールウッドのような若い才能が、若いバッハに向き合う、その瑞々しさも魅力ですね。初期作品の息遣いと周囲の文化の広がりを、改めて味わえるアルバムでありました。