クラシックとオーディオの日々

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1747年、ポツダムへの旅 ― バッハ父子が出会った《音楽の捧げ物》

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今晩は、2026年6月5日にRaméeからリリースされた、フランク・トゥーンス(トラヴェルソ)、ソフィー・ヘント(ヴァイオリン)、ベルトラン・キュイエ(チェンバロ)による《A Musical Offering – 1747: Bach’s Journey to Potsdam(音楽の捧げもの ― 1747年、バッハのポツダムへの旅)》を聴きます。
 
収録曲は以下の通り。
 
作者不詳:王の主題(Thema Regium)
 
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ:フルート、ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ Wq143
 
ヨハン・セバスティアン・バッハ:3声のリチェルカーレ(《音楽の捧げもの》より)
 
ヨハン・セバスティアン・バッハ:フルートとオブリガート・チェンバロのためのソナタ BWV1032(フランク・トゥーンス復元版)
 
ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ:トリオ Fk49 よりアレグロ
 
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ:オブリガート・チェンバロとヴァイオリンのためのトリオ Wq72
 
ヨハン・セバスティアン・バッハ:《音楽の捧げもの》よりトリオ・ソナタ
 
ヨハン・セバスティアン・バッハ:《音楽の捧げもの》より王の主題による無限カノン
 
フランク・トゥーンス(トラヴェルソ)
ソフィー・ヘント(ヴァイオリン)
ベルトラン・キュイエ(チェンバロ)
 
このアルバムは単なる《音楽の捧げもの》の抜粋盤ではありません。1747年、ヨハン・セバスティアン・バッハがポツダムでフリードリヒ大王を訪れた旅を軸に、息子たちヴィルヘルム・フリーデマン、カール・フィリップ・エマヌエルの作品を交えながら、その時代の音楽世界を描こうとするなかなか意欲的な企画。
 
ブックレットでは、一般に語られる「王の主題」「即興フーガ」「対位法の傑作」としての《音楽の捧げもの》ではなくて、1747年のバッハ一家の再会という視点から物語を組み立てています。面白い視点です。バッハはこの時すでに60歳を超え、3年後には世を去ります。息子たちはそれぞれ個性的な音楽語法を築いていて、このアルバムはまさに父と息子たちが交わった歴史的瞬間を音楽で再現しようという試み。
 
演奏と企画はフランク・トゥーンス(Frank Theuns)。ベルギーのトラヴェルソ奏者でブリュッセル王立音楽院で学び、ラ・プティット・バンド、レザール・フロリサン、イル・ガルデッリーノなど多くの古楽アンサンブルで活躍していますね。演奏だけでなく研究者としても18世紀フルート音楽や演奏習慣の研究にも積極的に取り組んでいるとのこと。こちらのアルバムでは演奏者であると同時に企画者・解説執筆者・BWV1032復元版の作成者としても重要な役割を担っています。
彼がこのアルバムで使用しているトラヴェルソは、ベルギーの楽器製作者アンドレアス・グラットが2013年に製作したもので、18世紀イタリアの名工カルロ・パランカが1750年頃に製作したフルートをもとにした複製楽器とのこと。当時フリードリヒ大王の宮廷で用いられていた楽器に近い音色を目指しています。
 
ヴァイオリンのソフィー・ヘント(Sophie Gent)はオーストラリア出身のバロック・ヴァイオリン奏者で、王立ハーグ音楽院で学び、17~18世紀の演奏様式や即興装飾の研究に取り組みながら、ソリスト、室内楽奏者として幅広く活動しています。これまでにダニエル・テイラー率いるバッハ・ソサエティや、フィリップ・ヘレヴェッヘ、トン・コープマンらとも共演しているとのこと。このアルバムでは1676年製ヤーコプ・シュタイナーのヴァイオリンを使用しています。この楽器はバッハの存命中には最高のヴァイオリンメーカーの一人だったとのこと。
 
ベルトラン・キュイエ(Bertrand Cuiller)は古楽アンサンブル「ル・カラヴァンサライユ(Le Caravansérail)」の創設者・音楽監督として知られています。パリ国立高等音楽院で研鑽を積んだ後、1998年のブルージュ国際チェンバロ・コンクールで入賞して注目を集めました。この方が入ったアルバムを本note/ブログでも取り上げました。

note.com

 

 
早速聴いてみます。
冒頭、まず印象的なのは、トラヴェルソのソロによる《王の主題》が提示されます。このアルバムの象徴とも言えるテーマですね。フランク・トゥーンスのトラヴェルソは豊かな倍音と深い響きで、現代フルートとはまったく別の楽器のように聞こえますね。音の立ち上がりは柔らかいのに輪郭は明確で、木管楽器ならではの温かさと陰影に富んでいます。このテーマがフリードリヒ大王作かどうかは微妙なところですが、このアルバムのブックレットでは、フリードリヒのフルートの師匠であった、クヴァンツが本当の作者ではないかと推測しています。
 
続くカール・フィリップ・エマヌエル・バッハの《フルート、ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタ Wq143(H567)》ははじめて聴きますが、実に魅力的な作品ですね。1747年に作曲または改訂された作品で、ブックレットによれば、この年にエマヌエル・バッハは同じ編成のトリオ・ソナタを少なくとも8曲作曲、または改訂していて、父ヨハン・セバスティアンがポツダムを訪れ、《音楽の捧げもの》のトリオ・ソナタを生み出したことと呼応しているのではないかとのこと。そしてこのWq143は、1731年に書かれた初期作品の改訂版と考えられています。外側の楽章にはまだ父バッハの対位法的な語法の影響が残っていますが、中間楽章にはエマヌエル独自の個性がはっきり現れています。そこには、後に彼を特徴づける情緒溢れるメロディが感じられますね。
この録音では、原曲のロ短調から半音上げてハ短調に移調されています。これは《音楽の捧げもの》のトリオ・ソナタと同じ調性に揃えるためで、このアルバム全体をハ短調を中心とした近親調の世界にまとめていますね。学究肌のトゥーンスらしいまとめかたです。印象的なのは第2楽章。トラヴェルソとヴァイオリンが語り合うように旋律を受け渡し、その中に独特の哀愁が漂います。父ヨハン・セバスティアンの世界とは異なる、後の古典派へ繋がる「感情様式」の萌芽が感じられますね。
 
その後に置かれた《音楽の捧げ物》の3声のリチェルカーレはチェンバロ独奏。ベルトラン・キュイエの演奏は少し速めのテンポを採りながらも決して慌ただしくなく、たぶん即興演奏から生まれたであろう作品らしい自然な流れを保っています。録音も素晴らしく、チェンバロの倍音が教会空間に広がり、対位法の線が明晰に浮かび上がります。学術的な演奏というより、生きた音楽としてのバッハを感じさせる名演です。
 
個人的に特に興味深かったのはBWV1032です。この曲は私自身何度もチェンバロと演奏したことがあるなじみ深い曲ですが、なんとここでは全音下げて、イ長調からト長調にして演奏していますね。(ブックレットではト短調に移調と書いてありますが、原曲がイ長調なのでト長調の間違いかな。第2楽章は原曲は嬰ヘ短調なのでここではホ短調で吹かれます)。加えて古楽ピッチ(A=415Hz)ですから、現代の演奏に比べると実際にはほぼ短三度近く低い響きになります。その結果、通常の華やかなBWV1032ではなく、落ち着いた陰影を帯びた作品として響きます。第2楽章はさらに深い瞑想性を帯び、第3楽章も快活というより温かく内省的な性格に変わっていました。それからこの曲は第1楽章の後半が失われていて、演奏するときにそれを補って演奏され、それがまたどのように復元されているかが聞き所。ここではトゥーンス自身による復元版が用いられていますが、単に欠落部分を補うのではなく、転調を繰り返しながら一度音楽を立ち止まらせて再現部として繋げる構成になっていて、なかなか聴かせます。作品の特徴をよく掴んだ説得力のある復元だと思います。
 
次のヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの作品。私は若い頃に彼のフルート・デュオでかなり遊んでいたのでよく分かるのですが、彼独特の模倣技法が随所に現れてきて彼の作品らしいですね。そしてここではオリジナルは2本の笛だったものにチェンバロを入れることでより和声的に豊になっています。二つの声部が追いかけ合い、反転し、絡み合うって父譲りの対位法への関心と独自の個性が感じられますね。
 
続くエマヌエルのWq72のトリオソナタは、バッハの有名なロ短調のソナタのようにチェンバロ右手とヴァイオリンによるトリオ・ソナタですね。ヴァイオリンとチェンバロ右手が頻繁に対話し、感情豊かな旋律を織り上げていきます。ニ短調の作品で、雰囲気は暗め。この作品が置かれている位置も興味深く、続く《音楽の捧げもの》トリオ・ソナタとの対比が明らかに意識されています。
 
そして最後に現れる《音楽の捧げもの》のトリオ・ソナタ。やはり飛び抜けて名曲です。息子たちの作品も素晴らしいけれど、並べて聴くとヨハン・セバスティアン・バッハの音楽がなぜ特別なのかが改めて分かります。対位法、旋律美、構成感、感情表現、その全てが高い次元で統合されています。聴き慣れているから名曲に感じるのではなく、比較して聴いてもなお別格なのです。
私はこの曲はモダンフルートで何度も演奏した曲ではありますが、トラヴェルソで吹くとフラット3つはなかなか大変。指がこんがらがっちゃうのですが、ここでの演奏は実に見事です。トゥーンスたちはただ流麗に演奏するのではなく、楽想の変わり目でふと立ち止まるようにテンポを緩めます。大げさなルバートではなく、18世紀の修辞法に基づいた語り口。まるで音楽が呼吸しているかのようです。そして音色がハ短調らしくほの暗く、暗い蝋燭の下で演奏しているかのようです。また、通奏低音を補強するチェロやガンバを加えず、チェンバロだけで低音を支えているのもこの演奏の特徴ですね。そのためトラヴェルソとヴァイオリンの二声が極めて鮮明に聞こえます。録音も192kHzらしい空気感と自然な残響に満ち、Raméeらしい優秀録音でした。
 
そして最後の《無限カノン》。不思議な曲です。演奏は終わるのに、音楽は終わらない。どこか謎をかけられているような感覚があります。王の主題が永遠に巡り続け、1747年のポツダムでの出来事そのものが歴史の彼方へ消えていくような余韻を残します。
聴き終えて感じるのは、《音楽の捧げもの》の録音を聴いたというより、「1747年のバッハ家の肖像」を見たような感覚です。独特の雰囲気を持つ、非常に魅力的なアルバムでした。
 

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