
今晩は、2026年6月5日にharmonia mundiからリリースされた、ウィリアム・クリスティ指揮レザール・フロリサンによるハイドン《ハルモニー・ミサ》を聴きます。
収録曲は以下の通り。
ヨーゼフ・ハイドン:ハルモニー・ミサ 変ロ長調 Hob. XXII:14
ヨーゼフ・ハイドン:小オルガン・ミサ(ミサ・ブレヴィス《聖ヨハネ・デ・デオ》)変ロ長調 Hob. XXII:7
メリッサ・プティ(ソプラノ)
ベス・テイラー(メゾ・ソプラノ)
バスティアン・リモンディ(テノール)
アンドレアス・ヴォルフ(バリトン=バス)
ウィリアム・クリスティ(指揮)
レザール・フロリサン
ハイドンの最後のミサ曲《ハルモニー・ミサ》と、若き日の《小オルガン・ミサ》。およそ30年の隔たりを持つ二つの作品を一枚に収めた興味深いアルバムです。
ミサ曲を聴くのはとても好きで、ラテン語の通常文はほぼ覚えています。同じ歌詞を用いていても作曲家によって表現は大きく異なりますし、同じ作曲家でも若い頃と晩年とでは宗教に対する向き合い方や音楽の語り口が変わってくるのが面白いところですね。
まずは表紙。ぐるぐる巻き貝?と思いきやオーストリアのメルク修道院図書館の螺旋階段だそうです。天へ登るような螺旋階段はミサに相応しいですね。美しい。これどこかで見たことあるなと思ったらやっぱりジョン・ラターの自作自演のレクイエムとマニフィカトのアルバムの表紙にも使われています。有名なのですね
ブックレットには興味深い話が紹介されています。生涯を通じて敬虔なカトリック信者だったハイドンですが、彼のミサ曲はしばしば「世俗的すぎる」と批判されていたそうです。アントニオ・サリエリは、ハイドンが「教会様式に対して重大な罪を犯している」とまで言ったとのこと。
確かに厳格な宗教音楽を理想とする人から見ると、オラトリオやオペラの要素を取り入れたハイドンのミサは異質に映ったのかもしれません。しかし当のハイドンは、神のことを考えると「心が躍り上がる」と語っていたと伝えられています。これもまたパパ・ハイドンらしいエピソードです。
早速聴いてみます。
まず録音が素晴らしい。2025年3月、パリ・フィルハーモニー大ホールで収録されています。教会ではないのが意外ですが、残響を豊かに取り込みながらも細部が埋もれることがなく、合唱や独唱はもちろん、クラリネットやオーボエの細かな表情まで明瞭に聴き取れる見事な録音です。
まずは《ハルモニー・ミサ》。
題名の「ハルモニー」とは当時流行していた管楽合奏群のこと。モーツァルトのグラン・パルティータとかなどもこれにあたりますね。この作品でもオーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルン、トランペット、トロンボーン、ティンパニなどの管打楽器が大きな役割を果たしています。ハイドン最後のミサ曲でもあり、《天地創造》《四季》を書き上げた後の作品だけに、実際に聴いていると単なる典礼音楽というより、どこかオラトリオ的な性格を感じます。
キリエでは「Christe eleison(キリストよ、憐れみたまえ)」で決然とした表情を見せた後、「Kyrie eleison(主よ、憐れみたまえ)」で柔らかな祈りへと変わります。そこには不安や陰影も感じられますが、決して絶望へは向かいません。
グローリアでは「Gloria in excelsis Deo(いと高きところには神に栄光あれ)」をソプラノ独唱が歌い始め、合唱と独唱が次々に異なる表情を見せます。
「Et in terra pax hominibus bonae voluntatis(地には善意の人々に平和あれ)」では意外な不安感が現れ、「Laudamus te(われら主を賛美します)」で再び明るい賛美へ。
「Gratias agimus tibi propter magnam gloriam tuam(あなたの大いなる栄光のゆえに感謝します)」ではアルト独唱が深みのある感謝を歌い、「主なる神、天の王よ」の部分は清明なソプラノ、「主なる神、神の小羊、父の御子よ」の部分は優しいテノールが担当します。
「Qui tollis peccata mundi(世の罪を除きたもう主よ)」では合唱が厳しい表情を見せ、「われらの願いを受け入れたまえ」の部分ではソリストたちの親密なアンサンブルへ。さらに「ただあなただけが聖なる方」の部分では一転して華やかな賛美が広がります。
そして最後の「Cum Sancto Spiritu in gloria Dei Patris(聖霊とともに父なる神の栄光のうちに)」からは壮大な対位法的フーガ。アーメンへ向かう音楽はきわめて華やかで、祝祭的な輝きに満ちています。
クレドもまた見事です。
「見えざるものをも」の部分では声の表情が陰り、「われら人間のため、またわれらの救いのために天より降りたまい」ではテノールとバスの独唱が現れます。
続く「Et incarnatus est(聖霊によっておとめマリアより肉体を受け)」ではクラリネットの柔らかな響きがとても印象的で、それとともに美しいソプラノ独唱が始まります。ここは受肉の神秘を描いたこの作品屈指の名場面でしょう。
「Crucifixus(十字架につけられ)」では合唱が厳しい表情となり、「Passus et sepultus est(苦しみを受け、葬られた)」ではソリストたちが静かな悲しみを歌います。しかしその悲しみはどこか明るさを残しており、ハイドンが苦しみだけを描こうとしていないことが分かります。
「Et resurrexit(三日目に復活し)」からは再び合唱が力強く動き始め、音楽は劇的な展開を見せます。そして「Et expecto resurrectionem mortuorum(死者の復活を待ち望みます)」で一旦沈み込んだ後、「Et vitam venturi saeculi(来世の生命を)」が何度も繰り返されます。ここがこのクレドの核心でしょう。ハイドンが最後に強調するのは裁きではなく、来世への希望なのだと思います。
サンクトゥスは優しい表情から始まります。「Dominus Deus Sabaoth(万軍の主なる神)」になっても派手にはならず、神の威厳よりも信頼や親しみを感じさせます。
「Pleni sunt caeli et terra gloria tua(天と地はあなたの栄光に満ちています)」から活気が戻り、「Hosanna in excelsis(いと高きところにホザンナ)」では歓喜が広がりますが、その音型は単純な上昇ではなく跳躍を伴う下降音型で書かれており興味深いところです。
ベネディクトゥスは明るく明快な前奏に始まり、静かに合唱が入り、さらにソリストたちが加わります。ところどころ短調の陰影も差し挟まれ、単なる祝祭音楽では終わりません。
アニュス・デイではオーボエの優しい前奏とピチカートの伴奏が印象的です。ソリストたちのアンサンブルは美しく、その合間をオーボエが応答する様子はまるでオペラの終幕アンサンブルのようです。
そして「Dona nobis pacem(われらに平和を与えたまえ)」では一転して喜びが爆発します。管楽器群も華やかに加わり、最後はまさにオペラの大団円のような雰囲気で終わります。
サリエリが「教会様式に対する罪」と批判した理由も少し分かる気がします。しかし現代の私たちには、この劇的な歓喜こそがハイドンの大きな魅力に感じられますね。
続いて収録されているのが若き日の《小オルガン・ミサ》。
こちらは全く違う世界です。編成は合唱8名、弦楽器4名ほどの極めて小規模なもの。グローリアもクレドも驚くほど短く、あっという間にアーメンへ到達します。これは当時のオーストリアで流行していたミサ・ブレヴィス(短縮ミサ)の伝統によるものでしょう。異なる声部が別々の歌詞を同時に歌うことで典礼文全体を短時間で歌い終える工夫がなされています。まさに今流行りの時短ミサかも。
しかしそうは言ってもハイドンは重要な箇所だけは決して急ぎません。
「Et incarnatus est(聖霊によっておとめマリアより肉体を受け)」では受肉の神秘が丁寧に歌われ、「Crucifixus(十字架につけられ)」では静かな陰影が現れます。クレド終結部のアーメンも意外なほど凝った書法で、若いハイドンの工夫が感じられます。
そして何と言ってもこの作品最大の聴きどころはベネディクトゥスです。長いオルガン独奏が始まり、その後にソプラノ独唱が加わります。オルガンは単なる伴奏ではなく、歌に応答し、対話するように進んでいきます。
この録音ではクレジットによるとオルガンを弾いているのはウィリアム・クリスティ本人。81歳のクリスティが奏でる細身で透明なオルガンの音色は実に魅力的で、装飾の一つ一つに細やかな配慮が感じられます。メリッサ・プティの清明なソプラノとの掛け合いも美しく、この楽章だけでこのアルバムを聴く価値があると思わせます。
アニュス・デイは短調で意外なほど厳粛な雰囲気を持っています。しかし最後の「Dona nobis pacem(われらに平和を与えたまえ)」になると表情は和らぎます。女声と男声が五度の跳躍を静かに繰り返しながら応答し、祈りが受け入れられたかのような安らぎの中で作品は静かに閉じられます。
壮麗な《ハルモニー・ミサ》と親密な《小オルガン・ミサ》。両者は全く異なる作品ですが、苦しみや不安を描きながらも最後は平和と希望へ向かうという点では共通しています。《ハルモニー・ミサ》ではその優しさはオペラの大団円のような歓喜として現れ、《小オルガン・ミサ》では静かな祈りとして現れます。表現は全く異なっていても、最後に平和と希望へ向かう姿勢は共通しています。若き日のハイドンにも晩年のハイドンの根底にある人間への温かなまなざしが感じられる美しいアルバムでありました。