クラシックとオーディオの日々

毎日聴いている音楽の記録です。

デュムソーとボルドー・アキテーヌ国立管による《Phantoms》知られざるフランス交響詩の幻想と色彩

 

今晩は、2026年10月30日にAlpha Classicsからリリースされた、ピエール・デュムソー指揮、ボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団による《Phantoms: French Symphonic Poems(幻影たち:フランスの交響詩集)》を聴いてみました。

19世紀半ばから20世紀初頭にかけてのフランス音楽から、幽霊、魔女、幻想的な狩猟、神話や伝説などを題材にした管弦楽作品を集めたアルバムです。

収録された8曲のうち、私にとって馴染みがある作曲家といえば、グノーとフローラン・シュミットくらいでしょうか。ギローの名前はビゼーの《カルメン》などに関連して知っていますが、その作品をじっくり聴く機会はほとんどありませんでした。

こういう知らない作曲家の知らない作品を聴くのは、実に楽しいですね。今回はブックレットの解説を読み、入手できた作品については楽譜にも目を通しながら、全8曲を聴いてみました。

1.エルネスト・ギロー(1837–1892):《幻想的な狩り》
2.オーギュスタ・オルメス(1847–1903):《ヘーローとレアンドロス》より前奏曲〈キュプリスの誕生〉 *
3.フローラン・シュミット(1870–1958):《幽霊屋敷》作品49
4.マリー・ジャエル(1846–1925):《オシアーヌ》より前奏曲 *
5.シャルル・グノー(1818–1893):歌劇《血まみれの修道女》序曲
6.ガストン・カロー(1864–1920):《キマイラの騎行》
7.ギィ・ロパルツ(1864–1955):《アーサー王子の狩り》
8.シャルル・シルヴェ(1868–1949):《眠れる森の美女》による交響組曲より第3曲〈ウルジェルと小人たち〉
*印は世界初録音

指揮:ピエール・デュムソー
管弦楽:ボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団
録音:2025年5月、フランス、ボルドー国立歌劇場オーディトリウム
録音プロデューサー:ロール・カズナーヴ
録音エンジニア:ヴァンサン・モンス
レーベル:Alpha Classics(ALPHA 1284)
収録時間:約77分

まず、このアルバムを指揮しているピエール・デュムソーはフランスの指揮者で、もともとはファゴットを学び、パリ国立高等音楽院で指揮を修めています。2017年のリエージュ国際オペラ指揮者コンクールで入賞し、2022年にはフランスのヴィクトワール・ド・ラ・ミュジークで新設された「期待の指揮者」部門の第1回受賞者となっています。オペラの分野で豊かな経験を持ち、パリ国立歌劇場をはじめヨーロッパ各地で活躍しています。2026〜2027年シーズンからはルーアン・ノルマンディー歌劇場管弦楽団の音楽監督に就任しました。

録音では、ドビュッシー《ペレアスとメリザンド》、オッフェンバック《月世界旅行》など、19世紀から20世紀にかけてのフランス音楽を積極的に取り上げています。今回のような忘れられた作品の復興にも、適任の指揮者なのでしょう。

私のブログでは以下で一度取り上げています。とても微妙な色彩の描き方がうまかった記憶があります。

ボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団は、1850年に設立されたサント=セシル協会を前身とする、フランスの伝統あるオーケストラ。100名を超える演奏家を擁し、ボルドー国立歌劇場でのオペラやバレエ、交響曲の演奏会などを中心に活動しています。2024年9月からはジョゼフ・スウェンセンが音楽監督を務めています。

私のブログでは以下で最近取り上げています。いいオケです。

デュムソーは2014年から2016年までこのオーケストラの副指揮者を務め、その後も多くの演奏会やオペラ公演で共演してきました。今回の録音にも、長年の信頼関係が生かされているように思います。

さて、ブックレットを読むと19世紀のフランスでは、従来のバロック・オペラに見られた魔法的な世界に代わって、幽霊、悪魔、精霊、魔女などを扱う幻想的な文学や舞台作品が大きな人気を集めていたとのこと。そして様々な伝説や詩、イギリスの小説、ロマン派の絵画などから影響を受けた音楽が、オペラから器楽へ、さらに自由な形式を持つ交響詩へと広がっていったのですね。

そして、その音楽を特徴づけるのが豊かな管弦楽法。珍しい楽器を用いたり、楽器同士を意外な方法で組み合わせたりすることによって、旋律やリズム以上に音色そのものが強い表現力を持つこともある、と解説されています。

前置きが長くなりました。早速聴いてみます。

1.エルネスト・ギロー《幻想的な狩り》

エルネスト・ギローは1837年、アメリカのニューオーリンズに生まれたフランスの作曲家です。パリ音楽院で学び、1859年にはローマ大賞を受賞しました。

ビゼーの死後、《カルメン》にレチタティーヴォを補筆し、オッフェンバックの《ホフマン物語》の管弦楽化にも携わったことで有名ですね。パリ音楽院ではドビュッシーやデュカスらを教えた人物でもあり、フランス音楽史の重要な位置にいる作曲家です。

《幻想的な狩り》は1886〜1887年に作曲された交響詩で、ヴィクトル・ユーゴーの文章から着想を得ているそうです。

曲はロ短調で始まり、ホルンによる狩猟の信号が重要な役割を果たします。楽譜を見ると、この動機には三全音が含まれ、単純な狩猟の角笛とは違う、不穏な響きが与えられています。

ホルンの信号から激しい騎行の音楽へと進み、中間にはニ長調の抒情的な部分が現れます。そして再び騎行が始まり、最後はロ長調で輝かしく終わるという構成です。

聴いていても、何といってもホルンの活躍が印象的です。

冒頭の狩猟の信号から、弦楽器が細かく動き始め、遠くでホルンが鳴り続けます。途中、弦楽器が美しい和声を奏でる部分もありますが、そこにもホルンの響きが付き纏うように現れます。

音楽が盛り上がってくると、かなり大きくオーケストラを鳴らします。このあたりはまだ後期ロマン派の管弦楽法で、ドビュッシー以降の印象派的な音色の扱いとは違います。

しかし、そうした力強い響きの中にも、ホルンの音色が作り出す幻想的な雰囲気があります。三全音によって不気味さを感じさせるところも面白く、華やかな管弦楽の陰に、何か得体の知れないものが存在しているようです。

2.オーギュスタ・オルメス《ヘーローとレアンドロス》より〈キュプリスの誕生〉

オーギュスタ・オルメスは1847年生まれの女性作曲家。アイルランド系の家庭に生まれ、フランスで活動しました。セザール・フランクに作曲を学び、ワーグナーにも強い関心を持っていました。

交響詩や劇的交響曲、オペラなど大規模な作品を数多く書き、当時は高い評価を受け、自身で台本や詩を書くことも多く、その作品には文学的、劇的な性格が強く表れています。ワーグナー的ですね。

《ヘーローとレアンドロス》は1874〜1875年に作曲された1幕のオペラで、ギリシャ神話の悲恋を題材としています。今回収録された前奏曲〈キュプリスの誕生〉のキュプリスとは、愛と美の女神アプロディーテーの別名です。この前奏曲も、今回が世界初録音ということです。

曲は不穏な雰囲気のチェロから始まります。少し不気味な響きが続いたあと、木管楽器が現れ、ハープのアルペッジョへと移っていきます。そして最初の主題が、今度は柔らかい弦楽器の響きで現れます。フルートとピッコロがユニゾンで旋律を奏でるところが印象的で、その後も木管楽器が次々と音色を引き継いでいきます。

暗い序奏から次第に明るさを増し、主題が異なる楽器によって姿を変えていく音楽です。劇的な高揚もありますが、私には木管楽器の色彩の変化が特に美しく感じられました。

ベルリオーズの時代から受け継がれたフランスの近代的な管弦楽法が、ここにも息づいているのでしょう。まだドビュッシーの世界に到達する前ですが、楽器の組み合わせによって新しい響きを生み出そうとする感覚には、後のフランス音楽につながるものがあるように思います。

3.フローラン・シュミット《幽霊屋敷》作品49

フローラン・シュミットは1870年生まれ。パリ音楽院で学び、1900年にローマ大賞を受賞した作曲家です。《サロメの悲劇》や《詩篇第47番》などで知られ、フランス音楽のなかでも、複雑な和声と重厚な管弦楽法を特徴としています。吹奏楽では《ディオニソスの祭り》が以前よく演奏されたので、ご存知の方も多いでしょう。またオーストリアの作曲家で最近よく演奏されるフランツ・シュミットとは全くの別人ですが、名前がよく似ていて混乱しますね・・・。

《幽霊屋敷》は1904年に完成した交響的練習曲で、エドガー・アラン・ポーの詩《幽霊の宮殿》から着想を得ています。シュミットはマラルメによるフランス語訳を通じてこの詩に接し、そこから受けた幻想的な印象を音楽にしました。

楽曲は長い序奏から始まり、速い主部、抒情的な中間部、主部の再現、そして大きなコーダへと進みます。全体には三全音の関係が組み込まれ、半音階や全音音階も用いられています。主題が次々と変わるように聴こえますが、短い動機を変形しながら構成されていることが、楽譜からわかります。

ここで、管弦楽の音色が明らかに変わります。独特の絵の具を混ぜて、輪郭を朧げにしたような響きです。冒頭からバス・クラリネットの特徴的な音色が現れ、柔らかなオーボエの響きが美しい。いかにもフランス的な音色だと感じます。

大きくテュッティが鳴ったと思うと、突然静まり、不気味な雰囲気に変わります。そしてすぐに別の動機が現れる。音楽の性格が次々に交代しますが、そこには自由なファンタジーがあります。静かな部分ではクラリネットの独奏から旋律が引き継がれ、柔らかな幻想の世界が広がります。やがて金管楽器が鳴り、再び厚い響きとなり、音楽の主題がさまざまに移り変わっていきます。

かなり変化の激しい曲で、オーケストラもよく鳴ります。それでも、音色の混ざり合いによって独特の柔らかさが生まれているところが面白いですね。1904年といえば、ドビュッシーの《海》が完成する前年です。重厚な後期ロマン派の響きを残しながら、音色の扱いには新しい時代の感覚が感じられます。

4.マリー・ジャエル《オシアーヌ》より前奏曲

マリー・ジャエルは1846年生まれのピアニスト、作曲家です。リストやサン=サーンスらと交流し、優れたピアニストとして活躍するとともに、作曲やピアノ演奏法の研究にも取り組みました。彼女はピアノ曲だけでなく、協奏曲や室内楽、管弦楽作品も残しています。

《オシアーヌ》は1879年に書かれた、独唱、合唱と管弦楽のための交響詩です。もともとはジャエル自身がドイツ語で書いた詩に基づく作品で、後にフランス語に翻訳されました。オシアーヌは物語の主人公の名前で、今回収録されたのはその前奏曲。こちらも世界初録音。

オーボエやフルートが静かに響く前奏から始まり、やがて弦楽器のピッツィカートによって速い部分に入りますが、旋律は断片的です。短い動機が次々に現れ、音楽が少しずつ性格を変えていきます。そこへホルンが重なると、ふとリヒャルト・シュトラウスを思わせるような重厚な響きになります。

管弦楽の構成としては、静かな木管の序奏から、ピッツィカートによる動きのある部分へ進み、金管楽器を交えながら次第に音楽が大きく広がっていく流れが印象的です。

とりわけ金管楽器の掛け合いが面白いですね。ホルンが厚い響きを作り、その上でほかの金管楽器や木管楽器が応答する。このあたりでは、ボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団のフランス的な色彩を存分に楽しめます。

旋律そのものを追うというより、楽器同士の組み合わせによって変わっていく音色に耳を傾けたくなる作品でした。

5.シャルル・グノー 歌劇《血まみれの修道女》序曲

シャルル・グノーは今回の作曲家のなかでは、もっともよく知られた人物でしょう。

《ファウスト》《ロメオとジュリエット》などのオペラをはじめ、宗教音楽や歌曲でも知られ、19世紀フランス音楽を代表する作曲家です。バッハの《平均律クラヴィーア曲集》第1巻第1番の前奏曲に旋律を付けた《アヴェ・マリア》が一番知られているでしょうか。

《血まみれの修道女》は1854年にパリ・オペラ座で初演されたオペラです。

それにしても、すごい題名ですね。物語は、恋人と駆け落ちしようとした若者が、恋人に変装した女性だと思って誓いを交わした相手が、実は修道女の亡霊だったというものです。この亡霊が若者に付き纏い、悲劇的な物語が展開します。

序曲は、静かな弦楽器による独特の雰囲気から始まります。不気味というほどではありませんが、神秘的で、どこか謎めいた響きです。やがて同じ音を繰り返すパッセージが現れ、音楽が動き始めます。

途中からは英雄的な行進曲のような音楽も現れます。このあたりは、いかにもオペラの序曲という感じがします。性格の異なるエピソードが次々に現れ、静かな場面から力強い音楽へと変わっていきます。

楽曲の構成も、神秘的な序奏から同音反復による推進力を持つ部分へ、さらに行進曲的な主題や劇的な高揚へと進む、舞台の情景を予感させるものです。

1854年の作品ですから、今回のアルバムではもっとも古い時代に属します。シュミットのように複雑な音色の混合によって幻想を描くのではなく、性格の異なる楽想の対比によって劇的な世界を作り出しています。

グノーのオペラ作曲家としての力量が感じられる序曲でした。

6.ガストン・カロー《キマイラの騎行》

ガストン・カローは1864年生まれ。パリ音楽院でマスネに学び、1890年にローマ大賞を受賞した作曲家です。ギロー、シルヴェ、シュミットも受賞していますから、このアルバムにはローマ大賞の受賞者が多いですね。作曲活動のほか、音楽評論家としても活躍しました。

《キマイラの騎行》は、今回のアルバムでもっとも捉えどころのない作品かもしれません。

キマイラとは、ギリシャ神話に登場する怪物ですが、フランス語の chimère には、幻想や空想、実現しそうにない理想といった意味もあります。この曲に具体的な物語があるのかどうか、調べてみても、はっきりとした筋書きはわかりませんでした。

大きな和音のあと、不気味な雰囲気が広がります。ヴィオラの独奏などが印象的で、主部に入ると弦楽器の短い刻みの上を木管楽器が動きます。このあたりは印象派の音楽とは違い、もっと輪郭のはっきりした響きです。しかし、音楽がどこへ向かっているのか、なかなかつかめません。

感動的な旋律が現れたと思うと、突然和声が変化して短調になったり、また違う表情の音楽が始まったりします。ワーグナーの《ワルキューレの騎行》のような勇ましさを持つ騎行ではなく、喜び、悲しみ、不安、憧れ。さまざまな感情が混じり合っているように感じられます。

しかも、その変化は主題の展開というより、和声の変化によって生まれているようです。横へ流れる旋律よりも、縦に重なる和音の色彩が次々と変わっていく。その色彩が混ざり合い、音楽の表情を変えていきます。

少々まとまりがないようにも感じられますが、美しいところも多々あります。後半になると音楽は次第に不気味な雰囲気になり、最後はフルートの独奏を経て、静かに終わります。

何かの物語があるのかもしれませんが、さっぱりわかりません(笑)。

しかし、そこがいいのかもしれませんね。音楽の意味をすべて理解する必要はなく、次々と変化する響きに身を委ねる楽しさがあります。今回のアルバムでも、特に不思議な魅力を持つ作品でした。

7.ギィ・ロパルツ《アーサー王子の狩り》

ギィ・ロパルツは1864年生まれ。パリ音楽院で学び、セザール・フランクから大きな影響を受けた作曲家です。ブルターニュ地方の伝説や風土に深い関心を持ち、交響曲や室内楽、声楽曲など多くの作品を残しました。

《アーサー王子の狩り》は1912年に作曲された交響的練習曲で、ブルターニュの詩人オーギュスト・ブリズーの詩から着想を得ています。

スコアの冒頭には、その詩の一部が引用されています。

夜が彼らを包み、あたりが闇に沈んだころ、
彼らは深い谷に覆いかぶさる茂みを見た。
丘の斜面には、まるで小人たちに倒された巨人のように、
巨大な丸い岩がいくつも横たわっていた。
深い谷間では泉がせせらぎ、
そこには鐘があり、銀色に輝く美しい湖があった。
まるで魔法にかけられた館のほとりにいるようだった。
そのとき、角笛が三度鳴り響いた!

アーサーよ、ウェールズの王子よ、
今宵、象牙の角笛の響きとともに狩りをしているのは、
おまえの黒い猟犬の群れなのか。
アーサー王子よ、そこにいるのはおまえなのか。

茂みをかき分け、馬を駆っているのは彼なのか。
あの偉大な角笛の名手が、ユエルゴアへ帰ってきたのか。
アーサーよ、私たちはおまえを待っている。
今もなお、おまえを待ち続けているのだ!

夜の森、谷に横たわる巨石、魔法にかけられた館、遠くから響く角笛。そして伝説のアーサー王子が呼びかけられます。

曲は7/4拍子のゆっくりした序奏から始まり、弱音器を付けた弦楽器と低弦の動き、細かな反復音型によって、神秘的な雰囲気が生まれます。その後、3/4拍子の速い主部に入り、ホルンが狩猟の主題を奏でます。楽譜には、この主題が民謡由来のものであることが記されています。音楽は対位法的に発展し、やがて雄大な頂点を築きますが、最後には再び静かな7/4拍子の世界へ戻ります。

聴いていて、冒頭から森の奥深くに入り込むような感覚があります。

弦楽器のトレモロと低弦の動き。朝の情景かと思いましたが、詩を読むと夜なのですね。いずれにしても、深い森のなかに何かが潜んでいるような雰囲気です。

クラリネットを合図に音楽が動き始め、やがて緊迫したホルンが勇壮な主題を奏でます。アーサー王子の登場でしょうか。王子が疾走し、動物たちが逃げていく。さまざまな情景が浮かび上がります。

ちょっとワーグナーの《ジークフリート》を思わせるところもありますね。森のざわめき、角笛の響き、英雄的な主題。ただし、こちらのほうがもっと明るく、軽快な色彩を感じます。

音楽は次第に雄大になり、オーケストラ全体が大きく鳴り響きますが、最後は静かになります。狩猟が終わったというより、目の前に浮かんでいた情景が、次第に遠のいていくようです。

楽譜を見ると、最後には冒頭と同じ7/4拍子に戻っています。幻想的な狩猟が、再び伝説の世界へ消えていくような終結です。

最初のギロー《幻想的な狩り》とは、同じ狩猟を題材にしながら、まったく異なる余韻を持つ作品でした。

8.シャルル・シルヴェ《眠れる森の美女》より〈ウルジェルと小人たち〉

シャルル・シルヴェは1868年生まれ。パリ音楽院でマスネに学び、1891年にローマ大賞を受賞しました。オペラや管弦楽作品を残し、後にはパリ音楽院で和声を教えた作曲家です。

《眠れる森の美女》はペローの童話をもとにした4幕のオペラで、1902年にマルセイユで初演されました。

今回収録された〈ウルジェルと小人たち〉は、オペラから編まれた交響組曲の第3曲です。ウルジェルは呪いをかける妖精で、この音楽は彼女と小人たちの幻想的な世界を描いています。

曲はいきなり強烈なテュッティで始まります。これはびっくりしますね。ところが、その響きがすぐに静まり、木管楽器やヴァイオリンによる細かな音型が動き始めます。

楽譜では、冒頭の大きな和音のあと、3/8拍子の Vif et léger(生き生きと軽やかに)となり、クラリネットから軽快な主題が始まります。その後も短い音型がフルートやヴァイオリンへと受け渡され、途中にはハープや弦楽器による柔らかな部分も現れます。まるで交響曲のスケルツォのような雰囲気です。あるいはメンデルスゾーンの《夏の夜の夢》でしょうか。小人や妖精が飛び回るような、軽やかで細かな動きが続きます。

ただし、その背景には息の長い旋律も現れます。細かな音型が動く一方で、別の楽器が長く歌う。この重なりが面白いですね。

ここでもホルン・セクションが活躍します。ホルンが和声を混ぜ合わせるように響き、木管や弦楽器の細かな動きに厚みを加えていきます。

基本的には速いパッセージを中心にした音楽で、最後は加速しながら一気に終わります。

短い作品ですが、管弦楽の色彩とリズムの面白さが凝縮されています。今回の幻想的な作品集を締めくくるには、実に楽しい一曲でした。

さて、8曲を通して聴いて、改めてボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団の音色の美しさが印象に残りました。それは以前聴いた《展覧会の絵》でもそうなのですが、全体に明るく透明な響きです。

弦楽器の音色は明るく、全合奏になっても混濁しません。金管楽器もよく鳴り、オーケストラ全体として十分な迫力があります。しかし、音の厚みを前面に出すのではなく、どこか細身で繊細な感触があります。フォルテになっても、その繊細さが失われないところが特徴ですね。

もちろん、軽さだけではありません。音楽が深刻になる部分では、十分な深みもあります。

そして、今回の8曲ではホルンが実によく活躍しますね。狩猟の角笛、幻想的な遠い響き、重厚な和声、英雄的な主題。ホルンは作品ごとにさまざまな役割を担っています。木管楽器も同様で、オーボエやクラリネット、フルートが次々に美しい色彩を聴かせてくれます。

デュムソーの指揮も、これらの知られざる作品をよくまとめていると思います。音楽の性格が頻繁に変わる作品ばかりですが、それぞれの場面を自然につなぎ、管弦楽の魅力を十分に引き出しています。

録音はボルドー国立歌劇場のオーディトリウムで収録されたもので、ホールの残響が美しく取り入れられています。楽器の細かな動きはクリアに聴こえ、強奏になっても響きが濁りません。しかし、単にリアルな音を収録しただけではなく、そこには温かさと柔らかさがあります。

この柔らかな響きがオーケストラ本来の個性なのか、録音によるものなのか、あるいは両者が組み合わさったものなのかはわかりませんが、このアルバム全体に共通する美しさであることは確かです。

そして、このアルバムの音色のパレットは、決して原色をギラギラさせません。一つ一つの楽器の色彩は明瞭でありながら、互いに混ざり合い、あくまで包み込むような柔らかさがあります。これこそが、フランスの管弦楽音楽の色彩なのだろうと思います。

こうして全8曲を聴いてみると、19世紀から20世紀初頭にかけてのフランス音楽には、まだまだ知らない世界が広がっていることを実感します。

これらの作品には、一度聴いただけで覚えられるような有名な旋律が次々に現れるわけではありません。けれども、管弦楽の音色が変わり、和声が突然違う方向へ進み、次々と新しい情景が現れます。それぞれの作曲家が、まったく異なる方法で幻想的な世界を描いています。

なかには物語の意味がよくわからない作品もありますが、それでも音楽の中には、聴き手のイマジネーションを刺激する何かがあります。知らない曲だからこそ、次にどんな音楽が現れるのか予想できない。その楽しさがありますね。

いつも同じ名曲ばかり聴いているより、こうして知られざる作曲家の音楽に触れるのもいいものです。今回は、ボルドー・アキテーヌ国立管弦楽団の明るく柔らかな響きと、美しい録音によって、その楽しさがいっそう深まったアルバムでありました。

配信サービス・作曲家目録

クレーメル《Pages of a Biography》音楽に刻まれた時間と次の世代への響き

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今晩は、2026年10月30日にECM New Seriesからリリースされた、ギドン・クレーメルとクレメラータ・バルティカによる《Pages of a Biography》を聴きます。

ギドン・クレーメルもハインツ・ホリガーと同様、長い活動を続けていますね。演奏家って本当に凄い・・・。

クレーメルは2027年2月27日に80歳を迎え、同時に彼が1997年に創設したクレメラータ・バルティカも同じ年に30周年を迎えます。今回のアルバムは、その節目を前に、クレーメルと深い関係を持つバルト地域の3人の作曲家、アルヴォ・ペルト、ゲオルグス・ペレーツィス、アンドリウス・ズラビスの作品を集めたもの。

収録作品は以下の通りです。

アルヴォ・ペルト(1935–)
1.《パッサカリア》(2007)

ゲオルグス・ペレーツィス(1947–)
2.《Pages of a Biography(ある音楽家の伝記から)》(2007)
ヴァイオリンと弦楽合奏のための協奏曲

アンドリウス・ズラビス(1977–)
《Kaleidoscope of Lost Time(失われた時の万華鏡)》(2014–2020)
3.第1楽章 プレリュード
4.第2楽章 スケルツァカリア
5.第3楽章 不協和音
6.第4楽章 四分音符=87
7.第5楽章 無窮動

アルヴォ・ペルト
8.《Darf ich…(よろしいでしょうか……)》(1999)

ギドン・クレーメル(ヴァイオリン)
ジェニーヴァ・ルイス(ヴァイオリン)
アンドレイ・プシュカレフ(ヴィブラフォン、チューブラーベル)
クレメラータ・バルティカ

録音:
2024年1月、リトアニア、パリエシウス・レジデンス・スタジオ(第1・2・8曲)
2020年9月、ラトビア、リガ、宗教改革教会(第3~7曲)
エグゼクティヴ・プロデューサー:マンフレート・アイヒャー

早速聴いてみます。

最初はアルヴォ・ペルトの《パッサカリア》。2007年、クレーメルの60歳の誕生日のために作曲された作品です。ペルトとクレーメルの関係は長くて、1977年に生まれた《タブラ・ラサ》は、1984年にECM New Seriesの第1作として発売されました。この録音を通してペルトの音楽に出会った人も多いでしょう。以来、現代音楽の歴史に残る協力関係を築いてきました。

曲は短い音の静かな反復から始まります。中低音には一定の音型が現れ、古典的なパッサカリアの変奏原理をペルト独自の音楽語法に置き換えたような響きです。ペルトらしい簡潔な素材によって、静かな時間の流れが生まれてきます。

音楽は少しずつ変化し、音価が細分化され、ヴィブラフォンの響きも加わっていきます。一定の音型が繰り返される中に、ほんのわずかな変化が生まれ、それが次第に音楽全体の表情を変えていく。大きな身振りによる変化ではありませんが、いつの間にか音楽が違う場所へ移っているように感じます。

やがて再び短い音の反復へ戻り、音楽がふっと消えます。そして弱音から静かに始まる新しい響き。それもやがて消えていき、最後はクレーメルの静かな独奏と弦楽器の和音が残ります。

ペルトの音楽には、音の一つひとつが時間の中に置かれ、そこから静かに消えていくような独特の感覚があります。この曲でも、時が刻まれ、少しずつ変化し、そして消えていく。その過程をじっと見つめているような気持ちになります。

ブックレットの中でクレーメルは、ペルトの音楽について「時間を超越した脈動」という言葉を使っています。この短い作品を聴いていると、その意味がよくわかるような気がします。

続くゲオルグス・ペレーツィスの《Pages of a Biography》は、約30分に及ぶヴァイオリン協奏曲。

ペレーツィスはクレーメルと同じラトビアのリガで育ち、モスクワ音楽院では同じ学生寮の部屋を使っていたという、古くからの友人です。彼はクレーメルが若い頃から国際的なヴァイオリニストへと成長していく過程を、間近で見てきました。ブックレットには、この作品にブラームス、エルガー、シベリウス、ベートーヴェンの4つのヴァイオリン協奏曲からの引用が織り込まれていることが書かれています。

ブラームスは1963年のラトビア共和国コンクール、エルガーは1967年のエリザベート王妃国際コンクールへの準備、シベリウスは1970年のチャイコフスキー国際コンクール優勝という、クレーメルの若き日の歩みと結びついています。そしてベートーヴェンは、彼が長年にわたって取り組んできた重要なレパートリーですね。

音楽はクレーメルの独奏ヴァイオリンから始まります。やはりクレーメルの音ですね。あまりヴィブラートをかけすぎず、どこか力の抜けた、自然体の音です。鋭さも持ちながら、無理に音を押し出すことがない。この独特の響きは、長年彼の演奏を聴いてきた私にはとても親しみのあるものです。

前半、ヴァイオリンのソロにチェロを中心とする低弦が静かに加わります。何か遠い過去を振り返っているかのような音楽。調性感は明確で、静かな叙情が感じられます。

次に短いリズムが一定のパターンで反復されるようになり、徐々に音量を増していきます。ミニマル・ミュージックを思わせる音楽で、短いパッセージが繰り返されるうちに、少しずつその姿を変えていきます。その上をクレーメルが時には歌い、時には鋭い音を投げかける。一定の時間が流れ続ける中で、独奏ヴァイオリンがさまざまな表情を見せるのです。

5分ほどで再びクレーメルの独奏となります。上行する音型は、まるで音の空間を探っているかのようです。そして、そこからブラームスのヴァイオリン協奏曲が始まります。かなり長い第1楽章の引用で、弦楽合奏を背景にクレーメルがブラームスを奏でます。

その後、静かなリズムの刻みの上で、クレーメルが短いパッセージを激しく繰り返します。そして再び独奏によるモノローグが現れ、今度はエルガーのヴァイオリン協奏曲からの引用。美しい曲です。

その後また新しい反復のパターンへ移ります。今度は先ほどとは違う動機が繰り返され、弦楽器がリズムを刻む上をクレーメルが歌っていきます。

中間部あたり、弦楽器の刻みからシベリウスのヴァイオリン協奏曲の冒頭が現れます。あの独特の緊張感を持つ旋律が、この作品の中に自然に入り込んでくるのが面白い。15分頃には引用が消え、再びペレーツィス自身の音楽へ戻ります。

ここからは、一定のリズムを刻みながらも、叙情的な部分から力強い部分へと音楽が移り変わっていきます。調性を持つミニマル的な音楽で、聴きにくさはありません。さまざまな動機が変化しながら、それぞれの部分に独特の雰囲気を作り出しています。

後半には急にテンポが速くなり、再びクレーメルの独奏によるモノローグが始まります。今度は下降した後に上行し、また下降するという音型が繰り返されます。どこか思索的で、音楽が自分自身に問いかけているようにも聞こえます。

コントラバスのピチカートと中低音弦の長い音の上で、クレーメルが静かな動機を奏でます。そしてベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲第3楽章が引用されます。そしてベートーヴェンの音楽を引き継ぐように、引用された動機が変容しながら激しさを増していきます。過去の音楽が現在の音楽に取り込まれ、新しい生命を得ていくかのようです。

しかし音楽は突然止まり、再び静かな世界へ戻ります。終結近くにはヴィブラフォンによる長いカデンツァのような部分が現れ、そこにはベートーヴェンの協奏曲を思わせるパッセージが織り込まれ、さらにシベリウスも回想されているように聞こえます。クレーメルもシベリウスを思わせる高音のパッセージを奏で、最後にはヴィブラフォンの音階をヴァイオリンがたどるようにして、静かな長い音で終わります。印象的な終わり方でした。

ペレーツィスはブックレットで、4つの協奏曲の引用に加え、クレーメルが人生で経験してきた試練や複雑さを表す劇的な部分、そして個人の日記のような独奏ヴァイオリンのモノローグを織り込んだと説明しています。確かにこの曲を聴いていると、その意図がよく伝わってきます。4つの協奏曲はクレーメルの音楽家としての歩みを示す一方、独奏ヴァイオリンのモノローグは、より個人的な思索や感情を表しているようです。そして、その間をつなぐ反復する音型は、絶えず流れ続ける時間を感じさせます。

約30分という長さですが、さまざまな音楽が現れ、時には懐かしく、時には激しく、そして再び静かな独奏へ戻っていきます。まさに音楽で綴られた一人の演奏家の伝記と言ってよいでしょう。

次はリトアニアの作曲家アンドリウス・ズラビスの《Kaleidoscope of Lost Time》です。2014年から2020年にかけて作曲され、クレーメルとクレメラータ・バルティカに献呈された5楽章の作品です。

作曲者はブックレットの中で、美しい出来事や悲しい出来事によって彩られながら、指の間から砂がこぼれ落ちるように時間が過ぎ去っていく感覚を音楽にしようとした、と語っています。そして、音楽によって一度過ぎ去った時間をもう一度体験できるものにしたい、とも述べています。まさに失われた時の万華鏡、ですね。

第1楽章《プレリュード》。低弦の不気味な足音のような響きの後、クレーメルの独奏が始まります。上下に動く音型には、どこかバッハへのオマージュのようなものが感じられます。その音型が弦楽合奏へ引き継がれ、弦楽器の伴奏の上を独奏ヴァイオリンが跳躍音型で動いていきます。調性感があり、比較的親しみやすい音楽です。バッハを思わせる音型で始まりながら、次第に独自の世界を作り出していくところが興味深いと思いました。

第2楽章《スケルツァカリア》。スケルツォとパッサカリアを組み合わせたような楽章名です。弦楽合奏の上に独奏ヴァイオリンが加わりますが、緊迫感はそれほど強くありません。クレーメルが分散和音を奏でる中で、弦楽合奏が息の長い動機を奏でます。その後は弦楽合奏の短い動機と独奏ヴァイオリンが交互に現れ、音楽は幾つかの部分に分かれながら進んでいきます。

短い動機が繰り返されるうちに、どこか強迫的な雰囲気も生まれてきます。最後はクレーメルの分散和音の中で短い緊迫した動機が現れ、次第に消えていきます。

第3楽章《不協和音》。ここでは音楽の表情が大きく変わります。クラスターを思わせる長い持続音の弦楽合奏の上を、クレーメルが無調的な旋律で歌っていきます。どこか悲しげで、虚無感を感じさせる音楽です。しかし、それは激しい感情の爆発ではなく、むしろ静かな瞑想に近いものです。時間が止まってしまったかのような響きの中で、ヴァイオリンが何かを問いかけているようにも感じられます。

音楽は切れ目なく第4楽章へ続きます。

第4楽章《四分音符=87》。一定の四分音符のリズムが刻まれ、その上をクレーメルがヴァイオリンで語っていきます。何か人生の奥義を、淡々と語っているような雰囲気です。感情を大きく表に出すことなく、静かに語り続けるヴァイオリン。そこには長い時間を生きてきた人間の落ち着きのようなものも感じられます。

第5楽章《無窮動》。静かで流れるような細かな弦楽器の音型の上を、クレーメルが高音の跳躍で動いていきます。無窮動という題名から想像するような忙しなさはありません。細かな音が絶えず流れているのですが、音楽そのものは不思議なほど静かです。心がさらさらと流れ続けていく、その流れの中にクレーメルのヴァイオリンが乗っていくように感じられます。

それはいつまでも続いていくかのようです。クレーメルの音楽が、この先もずっと続いていくことを願っているかのようにも思えます。

中間部では激しい動機が繰り返され、音楽は大きく変化します。そして終盤、コントラバスが長い音を奏でる上で、クレーメルが再び第1楽章《プレリュード》の音型を奏でます。ここで冒頭の音楽が帰ってくる。

そして音楽は静かに終わりますが、最後に完全な終止を聴かせないような印象が残ります。まだその先に続きがあるような、不思議な余韻です。

作曲者は失われていく時間を音楽の中に留めようとしたと語っています。最後に冒頭の音楽が戻ってくることは、その言葉と深く結びついているように感じられます。一度過ぎ去った時間は戻らないけれど、音楽の中ではもう一度そこへ帰ることができる。そして音楽そのものは、まだ終わっていないのかもしれません。

最後は再びアルヴォ・ペルトです。

《Darf ich…》は「よろしいでしょうか……」という意味のドイツ語で、何かを問いかけるような、言いかけた言葉のまま終わる題名ですね。

ここで重要なのが独奏ヴァイオリンがクレーメルからジェニーヴァ・ルイスへ替わること。

その違いは音を聴けばすぐにわかります。ルイスのヴァイオリンはクレーメルよりも輪郭がはっきりとして、くっきりとした音色です。少し冷たさも感じさせる響きで、ペルト独特の静謐な空間を描いていきます。

静かな弦楽器の刻みの上を、悲しげなヴァイオリンが歌います。やがて音楽は大きく盛り上がり、そして静かに消えていきます。

そこに余韻の長い、澄んだ一音が響きます。最初はチェレスタのようにも聞こえましたが、ブックレットによれば、嬰ハの音に調律されたチューブラーベルとのこと。チューブラーベルにしては金属的な響きが少なく、柔らかく透明感のある音です。ごく弱く打たれているためでしょう。

その余韻の後に、再び静かなヴァイオリンの独奏が始まります。フラジオレットの繊細な響きも現れ、弦楽合奏は静かな和音を長く引き延ばしていきます。そこには、時間の流れを超えた永遠性のようなものが感じられます。

最後は独奏ヴァイオリンの重音だけが残り、静かに終わります。余韻のある美しい曲です。

クレーメルはブックレットの中で、この作品をほとんど祈りのような音楽だと語っていますね。そして音楽家は、自分自身のことだけを考えるのではなく、もっと大きな目的に奉仕すべきだとも述べています。

また、若いジェニーヴァ・ルイスがその音楽的な使命を受け継いでくれることを喜んでいます。今回のアルバムの最後に、クレーメル自身ではなく若いヴァイオリニストが独奏する意味は、明らかでしょう。一人の演奏家の人生を振り返るアルバムが、最後には別の世代の音によって閉じられる。クレーメルが長年大切にしてきたペルトの音楽が、若い演奏家によって未来へと引き継がれていきます。

アルバム全体を聴き終えてみると、その構成にも深い意味が感じられます。

最初のペルト《パッサカリア》では、短い音の反復によって静かに時間が刻まれました。続くペレーツィスの協奏曲では、クレーメルの若き日の演奏を象徴する4つの協奏曲が引用され、彼の音楽家としての歩みを振り返りました。そしてズラビスの《失われた時の万華鏡》では、過ぎ去っていく時間と、それを記憶に留めようとする思いが描かれました。

最後のペルト《Darf ich…》では、クレーメル自身の独奏はなく、若いルイスが静かな音楽を奏でます。時間の流れから始まり、一人の音楽家の過去を振り返り、最後には未来へ音楽を託す。全体を通して聴くと、そんな大きな物語が浮かんできます。

クレーメルはブックレットの最後で、私たちの人生の物語は永遠の時間の中に現れるほんの一瞬の章にすぎず、音楽はそれらすべてを超えたところに存在している、と語っています。昨日聴いたホリガーのシューマンにも繋がる時間の感覚ですね。巨匠たちは長く音楽を続ける中で、時間に対する独自の世界を築いているのでしょうか。80歳を迎えようとする演奏家が、自分の人生を振り返るアルバムでこのような言葉を残していることに、深い感慨を覚えます。

考えてみれば、クレーメルは自分自身の演奏活動だけでなく、多くの現代作品を世に送り出し、クレメラータ・バルティカを創設することで若い演奏家たちの活動も支えてきました。その意味では、このアルバムは彼の伝記であると同時に、彼が生涯を通じて築いてきた音楽家たちとのつながりを記録したものでもあるのでしょう。

そして最後に残るのは、クレーメル自身の音ではなく、次の世代のヴァイオリンの響きです。彼の音楽や思考は引き継がれていくのですね。それは静かで、余韻の長い、実に美しい終わり方のアルバムでありました。

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作曲者目録(picolist記事総目録・作曲家編)

ホリガー指揮バーゼル室内管による新しいシューマン《交響曲第2番》明晰な響きと球体的時間

今晩は、Prospero Classicalから配信されている、ハインツ・ホリガー指揮、バーゼル室内管弦楽団によるシューマン《交響曲第2番 ハ長調》作品61を聴きます。

今回の録音は交響曲第2番と第3番《ライン》を収録したアルバムとして2026年11月13日に発売される予定ですが、QobuzやYouTube Musicではそれぞれの交響曲が別のアルバムとして先行配信されています。

昨日聴いたシューマンのピアノ三重奏曲にどっぷり浸かったせいか、すっかり脳みその中がシューマン。またスコアを分析しながら聴いたら結構時間をとりました。そこでまず第2番だけを取り上げることにします。

収録曲は以下の通り。

ロベルト・シューマン(1810–1856)
交響曲第2番 ハ長調 作品61

01.第1楽章 Sostenuto assai – Allegro ma non troppo
02.第2楽章 Scherzo. Allegro vivace
03.第3楽章 Adagio espressivo
04.第4楽章 Allegro molto vivace

演奏:ハインツ・ホリガー指揮、バーゼル室内管弦楽団
録音:2025年10月30日〜11月2日、バーゼル、ドン・ボスコ
レーベル:Prospero Classical

ハインツ・ホリガー。私が高校生の頃からLPでモーツァルトのオーボエ四重奏曲とかニコレとの協奏曲とか聴いていたのですが、あれから50年近く経ってまだ新しいアルバムが出るのって、いったいどういうこと? どんなスーパーマンなんでしょう。時々こういう演奏家は人間ではないのでは? と思う時があります。今年で87歳。すごすぎる。

ホリガーはすでに2010年代、ケルンWDR交響楽団とシューマンの管弦楽作品全集を録音しています。これは名盤として有名ですね。しかし、まだ新たに録音し直そうという気力があるということに驚きます。

今回はバーゼル室内管弦楽団との新しい交響曲全集の企画で、弦楽器にはガット弦を使用し、ホルンにはナチュラルホルンと細管のヴァルヴホルンを組み合わせ、ティンパニも古典的な楽器を用いています。弦楽器の編成は第1ヴァイオリン8、第2ヴァイオリン8、ヴィオラ5、チェロ5、コントラバス3という、かなり小規模なものです。

今回のブックレットはなかなか読み応えがあります。まず、かのジャン・パウルの言葉から始まります。

そして、ホリガー自身がシューマンについて語った詳しいインタビューが掲載されています。私がまず惹かれたのは、レコーディングに対する姿勢です。

かつてホリガーは、オーボエ奏者として活動していたころから、レコードには何か決定的なものがあると考え、何度も修正を重ねることで、客観的で、ほとんど中立的ともいえる完璧さを追求していたとのこと。

しかし、300以上の録音を重ねるにつれて、次第に録音とはそれが行われた瞬間を再現するものにすぎないのだと強く意識するようになったそうです。録音とは、ひとつとして同じもののない、極めて個性的で主観的なもの。そしてシューマンの場合、すべての作品に特徴的な過去と現在との結びつきが、絶えず新たな解釈を求めているとのこと。

そして、そこで繰り返し語られているのが、シューマンの管弦楽法に対する従来の批判への反論です。シューマンのオーケストレーションは厚ぼったく、響きが不透明だと言われることがありますが、ホリガーは楽器の使い方や弓の動かし方を工夫することで、実に透明な音響が生まれると主張します。

また、シューマンの音楽には勝利を誇示するような響きよりも、両義性や曖昧さ、絶えず移り変わる音色が重要なのだとも語っています。なかなか興味深い。

早速聴いてみます。

第1楽章の序奏。冒頭の金管楽器によるファンファーレは、少し仄暗く、陰影に富んだ響きです。その下を弦楽器が細かな音型で支えていますが、こちらは意外なほど明るく、軽やかな音色です。金管楽器の長い音と、その下で絶えず動き続ける弦楽器。この2つの異なる性格の音楽が同時に進行していることが、実にはっきりと聴こえてきます。

ホリガーはブックレットの中で、冒頭の金管を遠くから呼びかける自然の響き、その下の弦楽器を厳格なポリフォニーにたとえています。つまり最初から、異なる時間の流れが重なり合っているというわけです。

ガット弦による弦楽器の響きは、必ずしも柔らかいだけではありません。音の立ち上がりが明瞭で、今回の演奏ではむしろ明るく、軽やかな印象を受けます。一方、金管楽器は少し暗い響きを保ち、この対比が実に面白い。序奏のテンポも重すぎず、音楽は自然に進んでいきます。

やがて序奏が盛り上がると、金管楽器はそれまでとは違う鋭い音を発します。スフォルツァンドも鋭く短く、音を必要以上に引きずりません。そして主部のAllegro ma non troppoに入ると、跳ねるような主題が現れ、音楽は一気に活発になります。

ここまで聴いて、とにかく感じるのがオーケストラの見通しの良さ。大きなオーケストラにはない風通しの良さがあり、音楽の中身が見えるような気がします。

展開部に入っても、弦楽器の細かな動きが透けるように聴こえてきます。木管楽器や金管楽器も明瞭ですが、小編成だからといって管楽器を突出させるのではなく、全体のバランスを抑え気味にしています。そのため、弦楽器の内声が埋もれることがありません。

ホルンには時折、ゲシュトップ奏法を思わせるような独特の音色も聴こえます。今回はナチュラルホルンと細管のヴァルヴホルンが組み合わされているとのことですが、こうした音色の違いが、響きに微妙な陰影を与えているのでしょう。

そして何より、対位法が面白い。シューマンはこの頃かなりバッハに凝っていて、対位法を研究していたとか。そのためか、複数の声部をかなり複雑に組み合わせています。今回の演奏では、それぞれの旋律が独立して動いている様子がよくわかります。こうして聴くと、シューマンの管弦楽法に対するホリガーの考え方にも納得できます。

コーダも、しなやかさと前進性が交わるような音楽です。細身で鋭いトランペットから主要なモットーがはっきりと聴こえ、最後に向かって音楽は加速するような勢いを増していきます。それでも響きは重くなりません。最後の和音もスッと音を抜くように終わります。力いっぱい鳴らして響きを残すのとは違う、実に軽やかな終結です。

第2楽章のスケルツォも、驚くほど軽い演奏です。

冒頭から続くヴァイオリンの細かな16分音符は、ひとつひとつの音の歯切れが良く、音楽が弾むように進んでいきます。低音も控えめで、チェロやコントラバスが響きを重くすることなく、音楽の運動を支えています。管楽器が加わっても重くならず、全体を通して実に活発です。

この楽章には2つのトリオがあり、それぞれの性格が異なりますが、どちらも明るい響きが印象的です。

ここで少し、シューマンがこの交響曲を書いた時期のことを考えてみたいと思います。

シューマンは1844年頃から心身の不調に苦しみ、1845年にも創作活動が思うように進まない時期がありました。交響曲第2番はそのような時期を経て、1845年末から翌1846年にかけて作曲されています。後年シューマン自身も、この作品には自分の苦しかった時期が反映されていると語っています。

しかし、このスケルツォを聴いていると、そうした暗さはあまり感じられません。もちろん和声には不安定な響きもあり、せわしない運動の中には落ち着かない感覚もあります。それでもホリガーは、音楽の活力や軽快さを前面に出しています。

そして、第2トリオには興味深い仕掛けがあります。

シューマンはここに、B-A-C-Hという音型を組み込んでいるのです。ドイツ音名によるB-A-C-H、変ロ・イ・ハ・ロという4つの音を仕込んでいる。これは単なる偶然の音の並びというだけではなく、シューマンがバッハの音楽に深く取り組んでいたことと結びつけて考えられています。

特に1845年、シューマンは対位法の研究に力を注ぎ、《B-A-C-Hの名による6つのフーガ》作品60なども作曲しています。この交響曲にも、その成果がさまざまな形で現れているのでしょう。

ただし、実際に第2トリオを聴くと、B-A-C-Hの音型は本当にさりげなく通り過ぎていきます。バッハの名前をことさらに強調するような音楽ではありません。むしろ面白いのは、その周囲にある対位法的な書法です。各声部が自然に絡み合い、次々と別の楽器へ受け渡されていく。そこにこそ、バッハへのオマージュを感じます。

ホリガーはブックレットで、このB-A-C-H音型を次の第3楽章への隠された予告ではないかと語っています。そこまで意識して聴くと、この軽快なスケルツォが、次の深いアダージョと結びついていることも見えてきます。

コーダでは運動性がさらに増し、あの交響曲冒頭のファンファーレも高らかに響きます。今回の金管楽器の明るく鋭い響きが、実に効果的です。最初から最後まで、活発で軽やかなスケルツォでした。

第3楽章のAdagio espressivoは、この交響曲の中でも特に美しい音楽です。

冒頭のハ短調の旋律を、第1・第2ヴァイオリンがユニゾンで歌い始めます。ホリガーはここでヴィブラートをほとんど使わず、旋律を非常に明晰に聴かせています。そのため、必要以上に耽美的な表現にはなりません。それでも旋律の美しさは十分に伝わってきます。

この長い旋律の下で動いているヴィオラなどの弦楽器のリズムも、今回の小編成だからこそよく聴こえます。上声部がゆっくりと歌い、その下では細かな音型が絶えず動いている。ここにも、シューマンの対位法的な発想が明確に現れています。

続いて登場するオーボエが実に美しい。今回はモダン・オーボエですが、柔らかさと明晰さを併せ持った音で歌います。また、その対旋律を奏でるファゴットも素晴らしい。ホルンにも独特の古典的な響きがあり、楽器ごとの音色の違いがはっきり感じられます。

練習番号Nの後、弦楽器が高い音域で第1主題を歌う部分は、特に印象に残りました。ここではヴィブラートも使われ、旋律は大きく広がっていきます。この高音の響きには、思わず恍惚とさせられるような美しさがあります。つまりホリガーは、全体を一律にノンヴィブラートで演奏しているのではなく、音楽の表情に応じて使い分けているようです。

そして続くフガートが、実に明晰です。

シューマンは複数の声部に主題を模倣させながら、ある声部にはクラリネットを重ね、別の声部にはファゴットを重ねるなど、音色を巧みに変化させています。管楽器は単に和音を厚くするために使われているのではなく、対位法的な声部のひとつを浮き上がらせるためにも使われているのです。

さらに、そのフガートの動きが続く中へ、第1主題がフルートとオーボエによって戻ってきます。この重なりが美しい。異なる性格の音楽が同時に存在しながら、ひとつの大きな流れを作っているのです。

これこそ、シューマンの管弦楽法の個性なのではないでしょうか。大きなオーケストラでもこうした声部を明瞭に演奏することはできますが、今回のような室内オーケストラでは、それぞれの旋律の動きがより直接的に感じられます。

この第3楽章には、もうひとつ非常に興味深い問題があります。バッハの《音楽の捧げもの》BWV1079に含まれるトリオ・ソナタとの関連です。

ホリガーもブックレットの中で、第3楽章の主題がバッハのトリオ・ソナタから着想を得ていると語っています。実は、この関係は古くから知られていて、1855年にはブラームスがクララ・シューマンに宛てた手紙の中で、このアダージョを高く評価し、《音楽の捧げもの》を思い起こさせると伝えています。

興味を持って実際に楽譜を比較してみましたが、両者の旋律が完全に同じ音で構成されているわけではありません。似た旋律の輪郭や、調性の陰影、対位法的な書法などに共通性が見られますが、どこまでを直接の引用と考えるかについては、なかなか微妙な問題です。

しかし、第2楽章の第2トリオにB-A-C-Hの音型を組み込んでいることといい、シューマンがバッハを強く意識していたことは確かなのでしょう。

もちろん、バッハの旋律をそのまま借りてきたというよりも、バッハの音楽の世界をシューマン自身のロマンティックな表現に取り込んだ、と考える方が自然に感じられます。

そして中間部のフガートでは、今度は対位法そのものが前面に出てきます。最初はロマン派の叙情的な歌として現れた音楽が、やがてバッハを思わせる対位法の世界へと移り、さらに両者が重なり合っていく。実に凝った構造です。

ホリガーはブックレットで、シューマンの音楽には過去と現在が同時に存在していると語り、それを「球体的時間」という考え方に結びつけています。バッハの時代の音楽とシューマン自身の時代の音楽が、ひとつの作品の中で重なり合う。今回の第3楽章を聴いていると、その考え方も理解できるような気がします。

楽章の終わりは、非常に静かです。しかし、大編成のオーケストラが作り出すような濃厚な神秘性というより、音の輪郭を残した、すっきりとした響きの寂しさがあります。この静けさも実に美しい。

そして第4楽章。

冒頭から元気のよいハ長調の音楽ですが、ホリガーは付点リズムを含む主題をあまり硬く演奏していません。古楽的な演奏では、こうした付点リズムを鋭く強調することもありますが、今回はむしろ柔らかさとしなやかさを感じます。音楽は力強く前進しながらも、決して軍隊的な響きにはなりません。

練習番号Pからの細かな音型も軽やかです。その下に別の主題的な素材が入り込み、複数の旋律が絡み合っていきます。

ここで興味深いのが、第3楽章の第1主題と、第4楽章に現れる大きな跳躍を伴う長いフレーズとの関係です。

第3楽章では深い憂愁を帯びて歌われていた旋律が、終楽章ではまったく異なる生命力を持って現れます。音程やリズムがそのまま繰り返されているわけではありませんが、実際に聴いていると、両者が深く結びついていることを感じます。

この関係については多くの研究者も指摘しています。私も楽譜を比較してみましたが、音符がそのまま一致するような単純な関係ではありません。しかし実際の音楽を聴いていると、旋律の大きな跳躍や長いフレーズの呼吸に、明らかなつながりを感じるのです。

これこそシューマンの主題の扱いの面白さでしょう。ある楽章で歌われた旋律が、別の楽章では新しい姿となって生き始める。同じ音楽が戻ってくるのではなく、かつて存在した音楽が、新しい生命を得て再び現れるのです。

ここにもホリガーの語る「球体的時間」を感じます。過去の音楽は過ぎ去ったものではなく、未来の音楽の中に生き続けている。第3楽章の主題が第4楽章で新しい姿を得ることは、この交響曲の循環的な構造を考えるうえで、非常に重要なのではないでしょうか。

さて、演奏に戻ると、第4楽章の中ほどでは、木管楽器による短調の主題が現れ、音楽の性格が大きく変わります。ここは第3楽章の世界を思い起こさせる部分でもあり、ホリガーはその陰影を明確に描き分けています。

やがて音楽はいったん静まり、全休止を経て、新しい音楽が始まります。

第280小節から、木管楽器が柔らかな主題を奏でます。それまでの活発な音楽とはまったく違う、静かで歌うような旋律です。しかし、ここから再び音楽はさまざまな葛藤を経て、大きく成長していきます。

そして、この後半に現れる主題には、ベートーヴェンの連作歌曲集《遥かなる恋人に寄せて》作品98の第6曲《Nimm sie hin denn, diese Lieder》との関連が指摘されています。

「それならば受け取っておくれ、この歌の数々を」という言葉で始まる歌曲です。

シューマンはすでにピアノの《幻想曲 ハ長調》作品17などで、このベートーヴェンの歌曲を思わせる旋律を用いています。クララとの関係を考えるうえでも重要な音楽です。

今回も楽譜を調べてみると、第280小節の主題がそのままベートーヴェンの旋律を引用しているわけではありません。長い展開を経た第394小節付近で、ベートーヴェンの歌曲との関連がより明確になるとされています。

このような主題の引用や暗示については、どこまで作曲者が意識的に行ったものなのか、簡単に結論を出すことはできません。しかし、シューマンにとって特別な意味を持っていた歌曲が、この交響曲の最後に現れるというのは興味深いですね。

ホリガーは、この主題をクララへの愛と結びつけて語っています。

今回の演奏では、このベートーヴェンに関連する旋律が実に柔らかく奏でられます。そして長い展開を経て、再びあの第1楽章冒頭のファンファーレも登場します。交響曲の最初に聴こえたモットーが、全4楽章を経て、新しい音楽の中に帰ってくるのです。

この終結部もホリガーは決して重くしません。大きな響きになっても、弦楽器にはしなやかさが残り、管楽器も透明な音色を保っています。

そしてティンパニが実にかっこいい。古典的なティンパニを使用しているとのことですが、皮の振動が直接伝わってくるような、独特の打撃音です。現代的なティンパニの豊かな低音とは違って、音の輪郭がはっきりしていて、リズムが生き生きと感じられます。

最後に向かって、音楽はますます大きな高揚を見せます。しかし、ここで感じられるのは、力によって苦悩を征服するような勝利の音楽ではありません。

むしろ、どこか柔らかな光のような希望が差してくる。そんな印象を受けました。

第3楽章の深い悲しみや、第4楽章の途中に現れる葛藤を経て、最後には穏やかな光に包まれるような感覚が残ります。そこにはシューマンの音楽の優しさが感じられるのです。

今回、久しぶりに交響曲の総譜を詳しく読みながら全4楽章を聴いてみましたが、改めてシューマンの作曲技法の面白さを感じました。

第1楽章冒頭の金管のモットーが別の楽章にも現れること、第2楽章の第2トリオにB-A-C-Hの音型が組み込まれていること、第3楽章にバッハ《音楽の捧げもの》との関連が見られること、さらに第3楽章と終楽章の主題のつながりや、ベートーヴェンの歌曲との関係など、実に多くの仕掛けがあります。

もっとも、これらをすべて明確な引用として扱うことには慎重でありたいと思います。主題の一部が似ていることと、実際に引用していることは同じではありません。楽譜を見て、さまざまな音型を比較してみると、むしろその違いの方が興味深く感じられます。

そして、こうした複雑な構造を、今回のホリガーの演奏は非常に自然に聴かせてくれます。それが、ホリガーの語る「球体的時間」という考え方にも結びついてくるように思います。

私には、それが時間の円環のようにも感じられます。

過去は未来に響き、未来は過去に呼応する。第3楽章で深い憂愁を帯びていた主題が、第4楽章では新しい生命を得て現れる。しかし、後から現れる音楽も、すでに前の楽章の中で予告されていたのかもしれません。

そして、その関係はひとつの作品の中だけにとどまりません。はるか昔のバッハに呼応する動機や、シューマンが深く尊敬し、愛していたベートーヴェンの旋律までもが、時を超えて現れます。

それらの古い音楽は、生まれた瞬間から、いつか未来の音楽の中で再び響く運命にあったのかもしれません。

ホリガーは、シューマンの音楽の中に、過去と現在と未来が同時に存在するような、不思議な時間のあり方を見出しています。それは、単に昔の旋律を引用するということではなく、過去に存在した音楽が、現在の音楽の中で新しい意味を持って生き始めるということなのでしょう。

この交響曲は、そんな時間の円環を描いているようにも思えてきます。

ブックレットの冒頭には、ジャン・パウルの言葉が掲げられています。

球体的時間

音符が語りかけるとき、それが私たちの過去を表しているのか、それとも未来を表しているのか、私たちにはわからない。私たちは遠い昔の日々、すでに過ぎ去った日々、そしてこれから訪れる日々を聴く。過去も未来も私たちから遠く離れたところにあり、私たちはその両方を思い出し、また憧れる必要があるからだ。

ジャン・パウル

87歳のホリガーが、これほど若々しく、明晰で、しなやかなシューマンを聴かせてくれただけでなく、音楽と時間の本質についても考えさせてくれる。実に哲学的で、奥深いアルバムでした。



今回の演奏はこちらから聴くことができます。

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これまでに取り上げた作曲家別の記事はこちらです。

ヴァイトハースたちのシューマン《ピアノ三重奏曲全集》その光と影


今晩は、2026年10月30日にドイツ・グラモフォンからリリースされた、アンティエ・ヴァイトハースのヴァイオリン、マリー=エリーザベト・ヘッカーのチェロ、デーネシュ・ヴァーリョンのピアノによる、シューマン《ピアノ三重奏曲全集》を聴きます。

収録曲は以下の通り。

ロベルト・シューマン(1810~1856)
1.ピアノ三重奏曲第1番 ニ短調 作品63
第1楽章 Mit Energie und Leidenschaft
第2楽章 Lebhaft, doch nicht zu rasch
第3楽章 Langsam, mit inniger Empfindung
第4楽章 Mit Feuer

2.ピアノ三重奏曲第2番 ヘ長調 作品80
第1楽章 Sehr lebhaft
第2楽章 Mit innigem Ausdruck – Lebhaft
第3楽章 In mäßiger Bewegung
第4楽章 Nicht zu rasch

3.ピアノ三重奏曲第3番 ト短調 作品110
第1楽章 Bewegt, doch nicht zu rasch
第2楽章 Ziemlich langsam
第3楽章 Rasch
第4楽章 Kräftig, mit Humor

4.《幻想小曲集》作品88
第1曲 Romanze. Nicht schnell, mit innigem Ausdruck
第2曲 Humoreske. Lebhaft
第3曲 Duett. Langsam und mit Ausdruck
第4曲 Finale. Im Marschtempo

演奏
アンティエ・ヴァイトハース(ヴァイオリン)
マリー=エリーザベト・ヘッカー(チェロ)
デーネシュ・ヴァーリョン(ピアノ)

録音
2025年2月~3月、ドイツ・ケルン、ドイチュラントフンク室内楽ホール
録音・編集・ミキシング・マスタリング:クリストフ・フランケ
レーベル:Deutsche Grammophon

シューマンのピアノ・トリオって、私はあまりちゃんと聴いたことがなかった。特に第2番、第3番はほとんど聴いたことがなかったんじゃないかしら?ピアノ五重奏とか四重奏はたまに聴いていたのですが・・・・。

そこで今回はずいぶん時間をかけて聴きました。クララ・シューマン校訂の楽譜をもとに、全16楽章について形式や主題、調性の変化、和声、対位法的な書法まで調べながら聴き進めてみました。もっとも、分析すること自体が目的ではなく、シューマンはなぜここで突然調性を変えるのか、なぜ同じ旋律を別の楽器に歌わせるのか、美しい旋律の後にどうして暗い和声が現れるのか。そんなことを考えながら、シューマンが音楽に何を込めようとしたのか、少しでも感じ取れたらと思い聴いています。そして何より、この3人の演奏が本当に素晴らしい。聴けば聴くほど、シューマンの音楽の奥深さに引き込まれていきました。

演奏しているアンティエ・ヴァイトハースは1966年ドイツ生まれのヴァイオリニストで、ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学教授。ソリストとしてはもちろん、アルカント四重奏団など室内楽でも活躍し、ヴァーリョンとはベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集を録音しています。マリー=エリーザベト・ヘッカーは1987年、シューマンの故郷ツヴィッカウ生まれのチェリスト。2005年のロストロポーヴィチ国際チェロ・コンクールで第1位を獲得し、現在はドレスデン音楽大学教授を務めています。そしてデーネシュ・ヴァーリョンは1968年ハンガリー生まれのピアニスト。リスト音楽院でジェルジ・クルターグらに学び、1991年のゲザ・アンダ国際ピアノ・コンクールで優勝。ソリストとしても活躍していますが、特に室内楽において高い評価を受けているピアニストです。

まずはピアノ三重奏曲第1番 ニ短調 作品63。

1847年に作曲された第1番は、3曲の中でもこの曲が一番聴かれているかな?第1楽章は冒頭から暗く、激しい感情が渦巻いているように感じます。短い動機が執拗に繰り返され、旋律が美しく歌い始めても、どこかに不安がつきまといます。楽譜を見ると、主題の断片が3つの楽器の間を次々に移り、複雑な対位法を形成していることがわかりますが、この演奏ではそうした技巧が少しも表面的に聞こえません。

特に印象的なのは展開部に現れる弦楽器のスル・ポンティチェロの指示。スル・ポンティチェロ(sul ponticello)は、弦楽器で弓を駒の近くに当てて弾く奏法で、倍音が強調され、硬く金属的な独特の音色が生まれます。ここではそれまでの激しい音楽が突然別の世界へ移り、まるで嵐の中に台風の目のような静けさが訪れる。身体が宙に浮いてしまうような不思議な感覚。再現部で主題が戻ってきても、冒頭と同じ音楽には聞こえず、それまでの葛藤が旋律に違った意味を与えているように感じます。ソナタ形式の再現部、この意味というのはただもう一度同じ主題を繰り返すのではなくて、展開部での劇的な葛藤を経て、最初に出てきた主題が違う意味を持って聞こえてくる。作曲家もただ再現するのではなくて、いろいろと細かい部分を変えます。このあたりが聴きどころですね。

第2楽章は付点リズムやヘミオラによる躍動感が面白く、明るく活発でありながら、どこか皮肉っぽく、落ち着かない音楽です。しかしこの3人による演奏は本当にノリが良くて、リズムに乗っています。トリオでは一瞬穏やかな表情になりますが、そこにも不安定な気分が残っています。第3楽章はさらに内面的で、チェロが歌う旋律が何とも美しい。しかし、和声が変化するたびに歌の表情も変わり、感情が高まったかと思うと突然深いところへ落ち込んでしまいます。終盤のピアノの独奏は、まるでシューマン自身の独白を聞いているよう。そして第4楽章では、それまでの沈鬱な気分から少しずつ抜け出していくような音楽。喜びや葛藤、何かに立ち向かおうとする意志のようなものが入り交じり、フガート的な部分では3つの楽器が主題を追いかけ合いながら音楽を高めていきます。最後の感動的な終結まで、実に充実した演奏でした。

続いてピアノ三重奏曲第2番 ヘ長調 作品80。

この曲は第1番とほぼ同じ時期に作曲されていますが、音楽の性格はずいぶん違います。第1楽章から明るく、生き生きとした音楽が続き、3つの楽器が互いに主題を受け渡しながら自由に動いていきます。しかし、よく聴くと、この明るさも決して単純なものではなく、チェロが甘く歌い始めたかと思うと突然気分が変わり、ヴァイオリンがそれを受け取ると、また別の感情が現れます。対位法的な書法も実に巧みで、充実した和声にはどこか後のブラームスを思わせるものも感じられました。

ところで、この第1楽章の第106小節あたりからヴァイオリンに現れる旋律は、シューマンの歌曲集《リーダークライス》作品39の第2曲《間奏曲》からの引用とされています。「Dein Bildnis wunderselig hab' ich im Herzensgrund」(あなたの素晴らしい面影を心の奥に抱いている)という歌詞の冒頭部分ですね。クララへの思いを込めたのでしょうか。そう考えると、この曲の美しい歌にも、また違った意味が感じられます。

第2楽章ではチェロの歌が何とも美しく、ヴァイオリンがそれを温かく受け止め、ピアノが柔らかな和声で包み込みます。中間部では感情に葛藤が生まれますが、再現部で戻ってきた歌は冒頭よりも深い愛情を帯びているように感じられました。第3楽章はゆったりと揺れるリズムの中に、シチリアーノやバルカローレを思わせる雰囲気があります。ヴァイオリンとチェロがカノンのように旋律を受け渡し、互いの思いに応えていくのですが、そこには哀愁と憧れが入り交じっています。第4楽章は明るく活動的でありながら、その明るさの中にもどこか自信のなさや不安のようなものを感じました。短い動機が各声部を追いかけ合い、ときにはぶつかり合いながら音楽を進めていきますが、再現部からコーダに向かって次第に確信を持つようになります。この第2番は第1番に比べると親しみやすい作品かもしれませんが、その明るさの奥には実に複雑な感情が潜んでいるのだと思います。

そしてピアノ三重奏曲第3番 ト短調 作品110は、1851年に作曲されたさらに独特な音楽です。晩年の精神状態と結び付けて語られることもありますが、楽譜を見ると実に緻密に作られています。第1楽章からどこか鬱屈した気分が漂い、半音階的な動きや執拗に繰り返される短い動機は、まるで一つの考えに取りつかれてしまったかのようです。美しい旋律が現れても不安が完全に消えることはなく、音楽の表情が次々に変化していきます。弦楽器のピッツィカートも印象的で、最後にト長調の静かな響きが訪れると、それまでの激しい感情がようやく鎮まったような不思議な余韻が残ります。第2楽章は夢見るような歌で始まり、ヘッカーのチェロが実によく歌います。ヴァイトハースのヴァイオリンも美しいのですが、甘美な旋律に必要以上にのめり込まず、どこか抑制された表情を保っているところが印象的です。中間部では激しい葛藤が現れ、再現部では3つの楽器が役割を変えながら、一つの音楽を作っていきます。

第3楽章のスケルツォも面白く、特に第1トリオへ移る瞬間の変化が素晴らしい。叙情的で美しい旋律が現れるのですが、そこにはどこか不安定なものが残り、何かを問いかけているように感じられます。第2トリオでは付点リズムを中心とした音楽が歯切れよく奏でられ、主部への戻りも実に自然です。そして第4楽章は、どこかハンガリー風とも感じられる独特の主題で始まります。リズムやアクセントが面白く、これがシューマンのユーモアなのかもしれません。その後、チェロが夢見るように歌い、ヴァイオリンが応え、ピアノがそれを支える部分も魅力的です。今回、楽譜を調べていて特に気になったのは、第3楽章のトリオの旋律と終楽章との関係。第3楽章の最初のトリオに現れる上行する音型が終楽章にも現れ、最後には先ほどまで内省的に響いていた旋律を思わせる音型が高らかに歌い上げられるところには、何ともいえない感動があります。こうした楽章を超えた主題の関連も、循環的な構成の一つなのでしょうか。それまでの音楽が一つにつながったように感じられる感動ですね。複雑で不安定な感情を持った作品ですが、こういった感動を生み出すシューマンの感性には、あらためて驚かされました。

最後に置かれているのが《幻想小曲集》作品88です。1842年に作曲され、後に改訂された作品で、3つのピアノ三重奏曲よりも前に書かれています。第1曲《ロマンツェ》を聴くと、これまでの3曲とは音楽の作り方そのものが違いますね。がっちりとしたソナタ形式ではなく、三部形式を基本とした比較的明快な構成。主題を大きく展開していくというより、歌の微妙な変化を大切にした叙情的な音楽です。旋律を包む和声が変化することで歌の表情も変わっていくのですが、ロマンツェという題名から想像するよりもずっと暗く、少し沈鬱な気分が漂っています。第2曲《ユモレスケ》では雰囲気が一変し、どこかハンガリー風の民族舞曲を思わせるリズムが現れます。ヴァイオリンとチェロがフォルテで思い切り鳴らし切る部分と、急に音量を抑える部分との対照が実に鮮やかで、独特なアクセントにもシューマンならではのユーモアを感じます。後のブラームスのハンガリー風の作品にも通じるような魅力があり、こうした舞曲的な感覚がすでにシューマンの音楽に現れていることが興味深いと思いました。

第3曲《デュエット》は、今回聴いた16楽章の中でも特に美しい音楽の一つだと思います。ヴァイオリンとチェロによる歌の対話で、一方が歌い、他方が応え、ときには二つの声部が重なって一つの歌へと昇華していくように感じられます。しかし、その歌には常に陰影があり、後半になるとチェロが深々とした音色で歌い始め、それに導かれるようにヴァイオリンも歌を深めていきます。ところが、最後のユニゾンは妙に暗い。二人の歌がようやく一つになったのに、どこか虚無的で悲観的な響きが残るのです。そして第4曲《フィナーレ》では、再び民族舞曲的なリズムを持つ力強い行進曲が始まります。弦楽器の二人は思い切り音を鳴らし切り、吹っ切れたような勢いで音楽を進めていきますが、最も印象的だったのは最後のコーダでした。イ短調からイ長調へ転じると、音楽は突然明るく柔らかくなり、ピアノのコラール風の和音に弦楽器が寄り添います。次第に静かになって消えていくように感じられますが、最後には再び力を取り戻し、力強く曲を閉じるのです。第3曲の悲観的な終わり方を思い出すと、この明るい響きが一層印象深く感じられました。

今回、4作品16楽章を聴いてあらためて感じたのは、シューマンの音楽に感じられる複雑な感情。明るい旋律の中に不安が潜み、激しい音楽の途中に突然静寂が訪れる。ヴァイトハースは一瞬のうちに天国から地獄に変わる、とブックレットで語っていますが、そんな急激な浮き沈みがあります。夢見るような歌の後に暗い和声が現れ、幸福な気分に浸っていると、また別の激しい感情が顔を出す。そうした変化がときには気まぐれにさえ感じられるのですが、楽譜を見るとそこには実は計算された緻密な音楽の構成があるようにも思います。短い動機が別の声部に受け渡され、音程やリズムを変えながら発展し、同じ旋律も和声が変わることでまったく異なる感情を帯びてくる。もちろん、楽譜を見て聴いたからといってシューマンの心がすべてわかるわけではないし、逆にあまり分析的に聴くと大切な音楽の本質を聴き逃すこともあります。けれどなぜこの和声を選んだのか、なぜここで旋律を変えたのか、そんなことを考えながら聴いていると、これまで気づかなかった美しさに出会えることもありますね。今回のように楽譜を丁寧に調べることで、音楽を聴く楽しみがさらに深まったように思いました。

さて、この3人の演奏が本当に素晴らしい。ヴァイトハースのヴァイオリンは、激しいところでは徹底的に鳴らし切り、静かなところでは実に繊細な音色を作ります。ヘッカーのチェロも若々しく張りのある音色と、深い感情をたたえた歌の両方を持ち合わせていて、特に叙情的な楽章では何度も心を動かされました。そしてヴァーリョンのピアノ。今回、楽譜を詳しく調べたことで、シューマンの室内楽においてピアノがいかに重要な役割を担っているかをあらためて感じましたが、ヴァーリョンは主題の提示から複雑な対位法、和声の微妙な変化まで、実に自然に音楽を導いていきます。何より3人が互いの音をよく聴き、誰かが主張すれば誰かが応え、音楽の変化を瞬時に共有していることが伝わってきます。大胆さと繊細さの両方を持った、見事なアンサンブルです。

録音も素晴らしく、3つの楽器の音色がそれぞれ明瞭でありながら、自然に溶け合っています。ヴァイオリンとチェロの細かな音色の変化、ピアノの内声の動き、激しいフォルテから繊細なピアニッシモまで、実に鮮やかに捉えられています。ブックレットでヴァイトハースは、シューマンの音楽は非常に特殊で、今まで取り組んできた他の音楽を演奏するときのフレージングとは全く違う音楽であるということ、そしてこれらを演奏するには、その楽譜の中に潜む暗さに踏み込む勇気が必要だという趣旨のことを語っています。今回の演奏を聴くと、その意味がよくわかるような気がします。喜びと不安、希望と絶望が一瞬のうちに入れ替わるシューマンの音楽を、この3人は実に率直に、しかも深い共感をもって表現しているのです。

ブックレットを読むと、録音を担当したクリストフ・フランケの力も非常に大きいですね。レコーディングにおけるプロデューサーや録音技術者の仕事がいかに大きいかということがわかります。音響的なバランスだけではなく、そのテイクが他のテイクと比べて優れているか、音楽の力や勢いが弱まっていないか、徹底的に楽譜を読み込んで録音に臨む。プロデューサーは演奏者の一人と言ってよいほど、大きな役割を担っているのでしょう。フランケはベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールの立ち上げにも深く関わった人物なんですね。演奏家からの信頼も非常に厚く、奏でたテイクを客観的に聴き、演奏家にアドヴァイスまでする。これはほとんど演奏家と言っていいでしょう。

今回のアルバムは、もしかすると今後、シューマンのピアノ三重奏曲を語るうえで、一つの名盤として長く聴き継がれるのではないでしょうか。少なくとも私にとっては、シューマンの室内楽の世界をあらためて深く知ることのできた、忘れがたい録音になりました。ずいぶん時間をかけて楽譜を読み、分析し、何度も聴き直しましたが、この3人の演奏だからこそ、ここまで深くシューマンの音楽に向き合うことができたのかもしれません。何度でも聴き直したい、本当に素晴らしいアルバムでありました。


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デュメイ77歳で辿り着いたブラームス《ヴァイオリン協奏曲》と《ホルン三重奏曲》

今晩は、2026年10月30日にWarner Classics/Eratoからリリースされた、オーギュスタン・デュメイのヴァイオリンによるブラームス《ヴァイオリン協奏曲》《ホルン三重奏曲》を聴きます。

今年77歳になるデュメイが、90歳のエリアフ・インバル指揮、フィルハーモニア管弦楽団と共演した録音です。ホルン三重奏曲では、ダヴィド・ゲリエのホルン、フランク・ブラレイのピアノと共演しています。

収録作品は以下の通り。

ヨハネス・ブラームス(1833–1897)

《ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品77》
第1楽章 アレグロ・ノン・トロッポ
第2楽章 アダージョ
第3楽章 アレグロ・ジョコーソ、マ・ノン・トロッポ・ヴィヴァーチェ

オーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン)
エリアフ・インバル(指揮)
フィルハーモニア管弦楽団

《ホルン三重奏曲 変ホ長調 作品40》
第1楽章 アンダンテ
第2楽章 スケルツォ
第3楽章 アダージョ・メスト
第4楽章 フィナーレ:アレグロ・コン・ブリオ

オーギュスタン・デュメイ(ヴァイオリン)
ダヴィド・ゲリエ(ホルン)
フランク・ブラレイ(ピアノ)

録音
ヴァイオリン協奏曲:2025年1月6日から8日 ロンドン、ブラックヒース・ホール
ホルン三重奏曲:2025年10月 ベルリン、テルデックス・スタジオ

今回のアルバムでびっくりしたのは、デュメイにとってこのブラームスのヴァイオリン協奏曲が初録音なんだそうです。13歳のときから演奏してきた作品でありながら、これまで何度もあった録音の機会を見送ってきたとのこと。この曲に対する強い敬意がありますね。

ブックレットに寄せられたデュメイ自身の文章が素敵です。モーツァルトやベートーヴェンとともに、ブラームスは自分の音楽人生を形づくってきた作曲家だと語っていて、この協奏曲を何度も訪れたい旅の道連れにたとえています。そして、作品に対する理解がまだ十分ではないと感じ、録音を待ち続けてきたと。音楽に対して常に謙虚さを忘れず、学び続ける姿勢。素晴らしいですね。

それから若いころ、ブラームスのソナタを録音していた際に、偶然その演奏を聴いたカラヤンから

「ブラームスを演奏するには、大きなフレーズの流れと、長く展開してゆく劇的な語りが必要です。そして、あなたにはそれが備わっていると思います。」

と声をかけられたという興味深いエピソードも紹介されています。その一瞬の出会いから、彼の人生の中でブラームスが決して離れなくなったと述べてます。

デュメイは、長い年月を経てようやく録音する決心がついたと語っていますが、もし140歳まで生きられるなら125歳まで待ったかもしれないとも書いています。ジョーク半分でしょうが、それほどこの曲に対する想いが深いのでしょうね。

そんな思いが込められた録音、早速《ヴァイオリン協奏曲》から聴いてみます。

第1楽章は、オーケストラによるゆったりとした導入で始まります。インバルのテンポは落ち着いていて、音楽のスケールが大きく力強いですね。録音も非常にクリアです。

やがてデュメイのヴァイオリンが入ってきます。派手さはありませんが、微妙な揺れを伴いながら、一音一音を丁寧に弾いていきます。音色は必ずしも甘い美音というわけではなく、やや硬質なところもあります。しかし、しなやかさがあって、第2主題に入ると実に美しい。愛しむように旋律を歌っていきます。

重音では力強く、時に激しい響きを聴かせますが、バックのオーケストラと音楽が本当によく合っています。独奏とインバル率いるオーケストラが一体となって、大きな音楽の流れを作っていますね。

展開部の開始は激しく、音楽の緊張が高まります。しかし、デュメイは細かなパッセージでも勢いに任せることなく、丁寧に音を扱っています。テンポはゆったりしているのに、音楽には緊迫感がある。インバルのスケールの大きな指揮も素晴らしいと思います。

音楽が進むにつれて、ソロもオーケストラも次第に熱を帯びてきます。デュメイには長年私が聴いてきた印象にある繊細さがあり、それと同時に力強さも感じられます。

そして、やはりいいなと思うのが、デュメイの美点である節度あるヴィブラートです。過剰に揺らすことなく、必要なところで自然に表情をつけていく。そのため、音楽の流れに無理がありません。

ヨアヒム版のカデンツァも素晴らしい。一つ一つの音を、そのまま通り過ぎることなく、長年の積み重ねの中で、すべての音に意味があるかのように弾いていきます。まるで人生で通り過ぎてきた様々な経験を振り返るかのように、音の一つ一つを愛しむようなカデンツァです。

そして最初の主題へと戻るときには、懐かしさすら感じました。高音域の美しさも印象的。終結部は力強く、充実した響きで締めくくられます。この年齢で達した、大きなスケールのブラームスだと思います。

第2楽章は、冒頭のオーボエが素晴らしい。たっぷりとよく歌わせていて、音色も甘く美しい。

デュメイは、オーボエが作り出した雰囲気をそのまま引き継ぐように入ってきます。冒頭からわずかにポルタメントを使い、実にロマンティックです。ここでも高音が美しく、そして何より呼吸が深い。

インバルとの音楽の一体感も素晴らしい。オーケストラが単にソロに合わせているのではなく、互いの演奏に反応し合いながら音楽を作っているように感じられます。オーケストラ全体がデュメイの演奏に引き込まれていくかのようです。第1楽章で感じた大きな呼吸が、ここでは深い歌となって現れています。

第3楽章は、冒頭から激しいアタックで始まります。デュメイの意気込みが伝わってくるようです。オーケストラの響きは引き締まっていて、音楽がだれることがありません。ここでも一音たりとも疎かにしない姿勢が感じられます。それでありながら勢いはまったく衰えません。そして一本調子に進むのではなく、緩めるところではスッと緩めて柔らかさも出す。この緩急のつけ方が実にうまい。こうした自然なテンポの扱いに、長い経験を積んだ演奏家ならではの余裕を感じます。

最後のトゥッティの和音も、いたずらにテンポを落として大げさにすることなく、充実した響きで終わります。さすがのベテラン同士の演奏です。

続く《ホルン三重奏曲》。この曲は1865年、ブラームスが母を亡くした年に作曲されました。ホルンはもともとナチュラルホルンを想定して書かれたもので、独特の懐かしさや郷愁を感じさせる作品です。

第1楽章は、こちらも一音一音を愛しむかのようなデュメイのヴァイオリンで始まります。

ここで演奏しているホルンのゲリエは、以前も取り上げましたが、2024年から、なんとベルリン・フィルの首席トランペット奏者を務めています。ホルン奏者としても超一流で、しかもブックレットのデュメイの説明だと彼はヴァイオリンも弾き、さらにピアノはシューベルトのリートを弾き語りできるほどの腕前だとか。こういう天才っているのですね・・・。

彼のホルンはあくまで柔らかく、どこか憧れを抱いているような響きです。ブラレイのピアノも美しく、全体に落ち着いたテンポで進みます。

ピアノのフランク・ブラレイは、1991年のエリザベート王妃国際音楽コンクールで優勝したフランスのピアニストで、ルノー・カプソンやゴーティエ・カプソンらとの室内楽の録音もあります。そして興味深いのが、デュメイの後任としてワロン王立室内管弦楽団の音楽監督を務めていたことです。指揮者としての経験も豊かなピアニストなんですね。

ポコ・ピウ・アニマートに入ると、テンポが少し速くなり、音楽に不安感が漂い始めます。ブラレイのピアノは決して重すぎず、出るべきところでスッと前に出てくる。指揮者としての経験もあるブラレイだけに、このバランス感覚にも納得します。

主部に戻ると、ゲリエのホルンが実にいい。遠くから響いてくるかのような音色です。ホルンはベルが後方を向いているため、反射音を含んだ独特の柔らかい響きが生まれますが、今回の録音はその魅力をよく捉えているように感じます。再びポコ・ピウ・アニマートで不安定な表情を見せながら、テンポ・プリモで落ち着きを取り戻し、静かに終わります。

第2楽章のスケルツォは活発で、軽さすら感じられます。ここでもブラレイのピアノが重くならないのがいいですね。デュメイのヴァイオリンも短い音をデタシェにしすぎず、音楽が硬くなりません。生き生きとしていながら、決して乱暴にならない演奏です。

トリオのモルト・メノ・アレグロに入ると、グッとテンポを落とし、不安定な響きをじっくりと聴かせます。何とも哀愁のある旋律です。

ゲリエのホルンは、どれほど活発な音楽になっても決して音を割りません。常に柔らかな響きを保っている。さすが天才的なホルン奏者です。

第3楽章のアダージョ・メストは、仄暗いピアノのアルペジオで始まります。そこからヴァイオリンとホルンの二重奏が浮かび上がってきますが、このバランスが実に素晴らしい。録音の良さも感じます。デュメイは以前から室内楽も素晴らしい演奏家だと思っていましたが、今回もさすがですね。ホルンとの対話が自然で、互いの音色をよく聴き合っています。

そして、中間部を経てイン・テンポに戻ってくるあたりの、何ともいえない虚無感。ここにはブラームスの諦観のようなものを感じます。感情を激しく表に出すのではなく、静かに自分の内面を見つめるような音楽です。母を失った悲しみも、この音楽の背景にあるのでしょうか。

第4楽章のフィナーレは一転して速めのテンポ。まるでお祭りのような、舞曲調の生き生きとした曲。6/8拍子のリズムには、どこかジーグのような雰囲気。ここでもゲリエのホルンは決して音を割らず、柔らかく、それでいて力強い。音楽はどんどん熱を帯びていきますが、3人のバランスが崩れることはありません。

展開部ではテンポがいっそう前に進むように感じられ、音楽の熱気も増していきます。後半のゲリエのホルンが実に雄弁です。そして最後は大きく盛り上がり、充実した響きで終わります。

今回のアルバムを聴いて感じたのは、デュメイが一音一音を本当に大切にしているということです。協奏曲でも室内楽でも、細かな音符を勢いに任せて通り過ぎることがありません。それでいて、音楽の流れは自然で、時には力強く、時にはしなやかです。

また、インバルとの協奏曲も素晴らしいですが、ゲリエ、ブラレイとのホルン三重奏曲も実に魅力的でした。どちらにも共通しているのは、演奏者たちがお互いの音楽をよく聴き、反応し合っているということです。

録音も非常に優秀で、協奏曲ではオーケストラの細部まで明瞭に聴こえ、三重奏曲ではヴァイオリン、ホルン、ピアノの自然な距離感や響きの美しさが印象に残りました。

ブックレットの最後でデュメイは、演奏家は作品の所有者ではなく、先人から一時的に作品を託され、次の世代へと引き渡していく存在なのだと語っています。そして、子どものころにはブラームスの協奏曲を学び終えたと思っていたけれど、60年以上経った今でも、むしろ作品のほうが自分に何かを教え続けてくれているのだ、と。作品に対して常に謙虚であり続けること。今回の演奏を聴いた後では、この言葉がいっそう深く心に響きます。

長い年月をかけて作品と向き合い続けてきた演奏家が、今この瞬間に感じているブラームス。その音楽を聴くことができた、素晴らしいアルバムでした。

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ネルソンスとウィーン・フィルのマーラー《復活》、沈黙の先に聴いた美しさ

今晩は、2026年10月23日にDeutsche Grammophonからリリースされた、アンドリス・ネルソンス指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるマーラーの《交響曲第2番「復活」》を聴きます。

先日、この全集から《交響曲第1番》を紹介しましたが、今回は第2番です。第1番は2026年2月の録音でしたが、こちらは2018年7月28・29日、ザルツブルク音楽祭でのライヴ録音。この全集の中でも、かなり早い時期の演奏になります。

収録作品は以下の通り。

グスタフ・マーラー(1860–1911):交響曲第2番 ハ短調《復活》

第1楽章:Allegro maestoso(堂々としたアレグロ。徹底して真剣で荘重な表情で)
第2楽章:Andante moderato(中庸のアンダンテ。非常にゆったりと)
第3楽章:In ruhig fließender Bewegung(穏やかに流れるような動きで)
第4楽章:Urlicht(原光。非常に荘重に、しかし素朴に)
第5楽章:Im Tempo des Scherzos(スケルツォのテンポで)

ルーシー・クロウ(ソプラノ)
エカテリーナ・グバノヴァ(アルト)
バイエルン放送合唱団(合唱指揮:ハワード・アーマン)
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
アンドリス・ネルソンス(指揮)

録音:2018年7月28・29日、ザルツブルク祝祭大劇場(ライヴ)

前に書きましたが、このアルバムのシリーズはすでにSTAGE+で配信されています。最初にQobuzで聴き、もう一回演奏会の映像を観ながら聴き直してみました。そうすると、最初には気づかなかったことがいろいろと見えてきました。やはり映像は情報量が多いですね。

まず第1楽章。ウィーン・フィルらしい豊かな弦楽器の響きと、重量感のある金管楽器が印象的です。ただ、映像を観ながら聴いていると、ネルソンスの演奏は、単にスケールが大きいというよりも、かなりじっくりと細部まで考えられたものだと感じます。

例えばクレッシェンドの作り方。実に計算されていて、少しずつ音楽を積み上げていく。また、マーラーの音楽には複数のフレーズが同時に進行するところがたくさんありますが、ネルソンスはそれぞれの声部をかなり均等に響かせています。特定の旋律ばかりを際立たせるのではなく、さまざまな音楽が同時に聞こえてくる。そのことによって、独特の豊かな音楽の世界が生まれているように思いました。

そして、やはりネルソンスは大きな間合いを取ります。フレーズの終わりで十分に時間を取り、次の音楽へ移っていく。最初に聴いたときは、これが少し長すぎるようにも感じられたのですが、どうもこの「間」の取り方が今回の演奏を理解する一つの鍵になりそうです。

第2楽章は、ウィーン・フィルの美質を生かした実に優雅な演奏。何といっても弦楽器が美しいですね。

ここでちょっと面白いことを思いました。弦楽器がピチカートだけになるところに、ピッコロやハープが少し加わりますね。これを聴いて、ふとヨハン・シュトラウス2世とヨーゼフ・シュトラウスの《ピチカート・ポルカ》を思い出したのです。何となくあのウィーン的な軽妙さが感じられて、ひょっとしたらパロディなのかな、と。もちろん、私の考えすぎかもしれません(笑)。

第3楽章も美しい演奏です。ただ、ここでは少し考えさせられることが。

この楽章にはマーラーらしい鋭い風刺やグロテスクな表現がありますが、ネルソンスはそうしたところをあまり強調しないように感じます。極端なスフォルツァンドも避けているようですし、例えばエス・クラリネットが鋭いパッセージを吹くところでも、決して汚い音や刺激的な音にはならない。テンポも優雅で、スケルツォ的な性格はそれほど強くありません。時折現れるチェロの旋律など、本当に美しいのです。

言ってみれば、刺激の少ないマーラー。

そこでふと思ったのですが、ウィーン・フィルにとってマーラーは、もう何度も何度も演奏してきた、いわば自分たちのレパートリーなのでしょう。マーラーが書いた、当時としては相当に新鮮で刺激的だったはずの音楽を、まるでベートーヴェンの交響曲を演奏するかのように、ごく自然に演奏してしまう。

その自然さが素晴らしいとも思える一方で、どこか慣れのようなものを感じてしまうのも事実です。

近年のHIP的なアプローチによる、作品の新鮮さや過激さを掘り起こすような演奏とは、かなり対照的ですね。こういう伝統的な演奏を聴けることは素晴らしいのか、それとも少し時代遅れなのか。そんなことまで考えてしまいました。

第4楽章《原光》は、第3楽章から楽譜の指示通りアタッカで入ります。静かで、非常にゆっくりとした音楽が始まります。

ここで映像を観ていて気づいたのは、ネルソンスの指揮の明確さです。こういう静かな音楽でも、かなりはっきりと打点を示して、細かく指示を出します。ネルソンスは音楽に耽美的に溺れるというよりも、自分の考える音楽を明確な指示によって実現していくタイプの指揮者なのかもしれません。

アルトのエカテリーナ・グバノヴァは、実にうまい歌手ですね。弱音をよくコントロールしながら、そこに豊かな表情を乗せていきます。深いヴィブラートを伴う、少しロシアのオペラ歌手を思わせるような濃厚な声も魅力的です。

ただ、最後のほうで音を少し下からずり上げるように歌うところだけは、ちょっと気になりました。ややオペラ的な表現に聞こえたのですね。マーラーはこの楽章に「非常に荘重に、しかし素朴に」と指定していますから、もっとシンプルな歌い方もあるように思います。とはいえ、素晴らしい声であることは間違いありません。

そして長大な第5楽章。

冒頭は派手に始まりますが、金管楽器のイントネーションが少し乱れているように聞こえます。最近HIP系の演奏をいろいろ聴いているせいか、こういうところが気になるのですね。特にトランペットの高音のユニゾンでは、微妙に音程が揃わないところもあります。

もちろん、非常に難しいところですし、ライヴ演奏ですから、こういうこともあるでしょう。それに、あまりきれいに整えすぎると、マーラーの音楽が持つ荒々しさや凶暴さが失われてしまうのかもしれません。そう考えると、この少々荒れた金管の響きも、むしろ曲にふさわしいような気がしてきます。

映像ならではの楽しみもありました。舞台裏で演奏しているバンダのホルンやトランペットまでカメラが映してくれます。また、フルートにはお馴染みワルター・アウアーさんの金の笛。いいですね。そしてハープには、先日《French Trios》で聴いたアンネレーン・レナエルツさんの姿も見えます。こうして楽員の姿を観ながら聴くのも楽しいですね。

それにしても、ネルソンスの「間」は本当に長い。沈黙する部分で、いったいいつまで待つのだろうと思うほど時間を取ります。しかも、それが何度も出てくるのです。

しかし、合唱が入る前の激しい部分では、オーケストラそのものが音楽に乗ってきているのがわかります。ウィーン・フィルの音楽が次第に熱を帯びてくる。こういうところは、やはりライヴならではでしょう。

そして、いよいよ合唱が入るところ。

その直前にも、ネルソンスはまたしても非常に長い間を取ります(笑)。

ところが、その沈黙の後に聞こえてくる合唱のピアニッシモが、最高に美しい。

映像で見ると、合唱団は意外にコンパクトな編成です。マーラーの《復活》なら、200人くらいの大合唱で演奏してもよさそうなのに、と最初は思いました。しかし聴いてみると、この合唱のハーモニーが実に美しい。比較的小さな編成だからこそ、声部がよく溶け合い、ピアニッシモの繊細な表現が生きてくるのかもしれません。

ネルソンスはここで指揮棒を置き、両手で合唱に細やかな表情を与えていきます。それまでの明確な打点による指揮とは、また違う姿です。

フォルテに至るまで、長く続く弱音の合唱。そして、ルーシー・クロウさんのソプラノが入ってくる瞬間。

ここで本当に涙が出ました。何という美しさ。

それまで巨大なオーケストラが、あれほど多彩な響きで音楽を描いてきたのに、たった一人の人間の声が加わっただけで、こんなにも心を動かされるとは。声には敵わないですね、オーケストラも。

そして、そこへグバノヴァのアルトが加わると、また音楽の表情が変わります。ここでもアルトの表現力は素晴らしい。さらにフォルテになってからの男性合唱のハーモニー、それがアルトへと引き継がれ、そしてオーケストラのヴァイオリンによる長いアウフタクト。

ここは本当に聴かせどころですね。音楽が大きく持ち上がっていく、そのヴァイオリンの美しさを聴いていると、やっぱりウィーン・フィルはいいなあ、としみじみ思います。

第3楽章では、ウィーン・フィルの伝統的な響きが、マーラーの鋭さを少し和らげてしまっているのではないかと感じました。しかし、この終楽章では、その同じウィーン・フィルの美しい響きが、音楽をこれ以上ないほど感動的なものにしているのです。

そして最後は、もう圧倒的な終結です。ネルソンスは最後の和音も、いったいいつまで伸ばすのだろうと思うほど長く引き伸ばします。楽譜ではフォルテ三つ、つまりfffですが、最後にさらに音を大きく膨らませて、実に感動的に終わります。

ちなみに音源の配信では拍手がカットされているのでわからないのですが、映像を見ると、音楽が終わってもかなり長い間、拍手が始まらないのです。これだけ壮大な終結ですから、日本だったらすぐに「ブラボー!」の声が飛んできてもおかしくないのに、聴衆は長い間、静かに余韻を味わっています。これは聴衆も素晴らしいですね。

振り返ってみると、今回の演奏で最も特徴的だったのは、やはりネルソンスの大きな「間」の取り方だったように思います。時には長すぎるのではないかと感じるほどの沈黙。しかし終楽章では、その長い沈黙の後に現れる合唱のピアニッシモが、忘れられないほど美しかった。

最初に聴いたときは、スケールの大きな、濃厚で立派な演奏という印象でした。けれども映像を観ながら聴き直すことで、その大きな音楽が、いかに細かな指示や時間の扱い方によって作られているのかが、少しわかったような気がします。

ネルソンスの指揮ですが、かなり楽譜を見ながら振っています。この曲だと暗譜で振る指揮者もいるかと思うのですが、ちょっとかぶりつきに近いくらいかな……。しかし、それでもかなり明確な指示をオケに出しています。超多忙なネルソンスですが、スコアを丁寧に追いながら、細部までこだわって演奏しているような印象を受けました。

そして、今回最も感動したのは、最後の巨大なフォルテッシモではなく、その前の長いピアニッシモと、ソプラノが加わる瞬間でした。

これからまだ3番から10番まで残っていますが、いやー、1曲でこんなに濃いとなかなか聴いたり文章を書くのは労力を使いそう。少しずつ聴いていきたいと思います。


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コレスニコフのショパン《夜想曲全集》と心の逍遥

今晩は、2026年10月23日にharmonia mundiからリリースされた、パヴェル・コレスニコフのピアノによるショパン《夜想曲全集》を聴きます。

収録作品は以下の通り。

フレデリック・ショパン(1810–1849):《夜想曲全集》

01|夜想曲第20番 嬰ハ短調(遺作・後期稿)

02|夜想曲第1番 変ロ短調 作品9-1

03|夜想曲第2番 変ホ長調 作品9-2

04|夜想曲第3番 ロ長調 作品9-3

05|夜想曲第4番 ヘ長調 作品15-1

06|夜想曲第5番 嬰ヘ長調 作品15-2

07|夜想曲第6番 ト短調 作品15-3

08|夜想曲第7番 嬰ハ短調 作品27-1

09|夜想曲第8番 変ニ長調 作品27-2

10|夜想曲第9番 ロ長調 作品32-1

11|夜想曲第10番 変イ長調 作品32-2

12|夜想曲第11番 ト短調 作品37-1

13|夜想曲第12番 ト長調 作品37-2

14|夜想曲第13番 ハ短調 作品48-1

15|夜想曲第14番 嬰ヘ短調 作品48-2

16|夜想曲第15番 ヘ短調 作品55-1

17|夜想曲第16番 変ホ長調 作品55-2

18|夜想曲第17番 ロ長調 作品62-1

19|夜想曲第18番 ホ長調 作品62-2

20|夜想曲第19番 ホ短調 作品72-1(遺作)

21|夜想曲第20番 嬰ハ短調(遺作・初期稿)

22|夜想曲第21番 ハ短調(遺作)

演奏:パヴェル・コレスニコフ(ピアノ)

使用楽器:ヤマハCFX コンサートグランドピアノ

録音:2025年7月11〜14日、8月19〜21日

録音場所:メリット・ホール(シャーボーン・ガールズ・スクール、イギリス・ドーセット州シャーボーン)

プロデューサー:アンドルー・キーナー

録音・ミキシング・マスタリング:オスカー・トーレス

編集:マシュー・スワン

ピアノ技術者:小島祐介

さて、実は今日、職場でとても嫌なことがありました。信頼していた人に裏切られる。そして上もそれを知りながら何もせず、見て見ぬふりです。まぁ、こういうことは社会ではいくらでもあることだけれど、なんだか無力感と嫌気が混じった嫌な気持ちと、人間に対する不信感さえ募ってきた一日。さらに仕事は一日中びっしりと詰まっていて、疲れ果てて帰宅し、このアルバムを聴いています。

ここでピアノを弾いているパヴェル・コレスニコフは、1989年ロシア生まれのピアニスト。2012年のホーネンス国際ピアノコンクールで優勝し、国際的に注目されました。これまでHyperionなどからショパン、クープラン、ベートーヴェンなどの録音を発表しています。

音楽だけでなく、文学、絵画、舞踊、ファッションなど幅広い芸術に関心を持ち、振付家アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルとの《ゴルトベルク変奏曲》を用いた舞台制作などでも知られています。そうした幅広い感性が彼の独特な音楽世界にもつながっているのでしょう。今回の《夜想曲全集》は、harmonia mundiからの初めてのソロ・アルバムです。

また、ピアニストのサムソン・ツォイとは公私にわたるパートナーで、私のnote・ブログでは二人によるアルバムも紹介しました。

このアルバムのブックレットには、コレスニコフ自身による一曲ずつの文章が掲載されています。それが通常の楽曲解説というより、まるで詩のようです。また印象的だったのは、序文にある次の言葉です。

「アルバムのための仕事の大部分を、文字どおり目を閉じて行ったのだ。夜、眠りに落ちる前、暗闇の中でベッドに横たわり、ある夜想曲が心に訪れ、その音楽が頭の中で響き始めるのを待った。そして、その訪れが持っていた色合いや重みを正確に記憶し、目覚めている時間に再び呼び起こせるように努めた。」

この言葉を読んでから、早速演奏を聴いてみました。

まずは最初に第20番。ゆっくりとした静かな演奏です。テンポは遅く、弱音が主体です。もうこれ一曲を聴くだけで、彼のイメージした世界に入り込んでしまいます。先ほどのコレスニコフの一文がよくわかる気がします。演奏はものすごく繊細なピアニッシモが主体。繊細さと夢見るような美しさ。そして何より、伝統的な解釈にとらわれず、自らの感じた詩情を大切にしていること。これは借り物ではなくて、本当に心から溢れたようなノクターン集です。

聴いていると、先ほどまで感じていた職場での嫌な出来事、モヤモヤしていた気持ちが少しずつほぐれていきます。

第2番では後半に意外なほど装飾を加えています。しかし確かに、コレスニコフが語る「水面の表面張力」「静けさと恍惚の間に置かれた世界」がそこにあります。後半のカデンツァの直前にだけ、きらきらと輝くフォルテが現れますが、全体を包んでいるのはシルクのようなピアノの響き。そして長い余韻です。

第3番も独特な歌い回しやアーティキュレーションが印象的です。時にはピアニッシモの中で音を一つずつ切りながら、さまざまなニュアンスを聴かせます。まさに彼だけの世界。ピアノという楽器でコントロールできる限界に近いほどのピアニッシモでありながら、その小さな音の中で表情を自在に変えていくのです。

一曲ずつの文章を読みながら聴くと、彼が心の中で感じたものを、どのようにピアノで現実の音にしているのかがよくわかります。しかし全曲を通して聴いているうちに、私はむしろ、彼の文章に自分の感じ方を当てはめることをやめ、ただ自分自身が感じたことを、あるがままに受け止めるようになっていました。

全曲を通して聴くと、そこにはドイツ・リートの連作歌曲集のような、大きなストーリーが感じられます。もちろん具体的な物語があるわけではありません。しかし、個々の夜想曲がそれぞれ独立した作品でありながら、全体では一つの大きな音楽の流れを作っているのです。

聴いているうちに、私は山を登っているような気持ちになりました。一つひとつの夜想曲が、心の中に浮かび上がる風景のように通り過ぎていきます。リヒャルト・シュトラウスの《アルプス交響曲》のような具体的な自然描写ではなく、これは心の中の風景です。静かに歩き、一つの山を越えると、また次の山が現れる。時には稜線を歩くように、穏やかな起伏が続く。一曲の中にもまた小さな山があり、それをいくつも越えながら、音楽はゆっくりと先へ進んでいきます。

宇野功芳先生がブルックナーの音楽を「逍遥」と表現していましたが、今、一番しっくりする言葉がこの「逍遥」かもしれません。私は山登りが趣味だったので、低い山の尾根道をずっと歩いていく、小さなピークを越えていく、そして風景が静かに移り変わっていく、そんなイメージがずっと続きます。

今晩は部屋を真っ暗にして聴きました。私の部屋は前にも書きましたが、壁紙は黒、扉は防音扉で黒、二重サッシには黒の二重カーテン。本当に真っ暗ですが、ただDACの小さな星のような灯りと、美しく幻想的な真空管、WE300Bの灯り。これがただ熱線の赤さだけではなく、うっすらと青く光るのです。これが本当に美しく、また、このノクターン集にふさわしい・・・。

 

そして、このアルバムの一つの頂点が第13番 ハ短調 作品48-1です。ここではそれまでの静かな世界から一転して、大きく音楽が広がり、ダイナミックな激しさも加わります。CDではこの曲から2枚目になりますが、今回はQobuzで全曲を通して聴いているので、途中で音楽が途切れることもありません。長い音楽の流れの中で、ここが物語の頂点に達するように感じられました。そして頂上を越えると、音楽はまた山を下るように、次第に静けさを取り戻していきます。

もう一つ面白いのは、第20番 嬰ハ短調の配置です。アルバムはこの夜想曲で始まり、終わり近くでもう一度同じ曲が現れます。ただし、異なる自筆譜に基づく別の版です。私はこれを聴いて、バッハの《ゴルトベルク変奏曲》を思い出しました。長い変奏の旅を終えた後、最後にもう一度アリアが戻ってくる。あの感覚にどこか似ているのです。

最初に聴いた旋律が、長い音楽の旅を経て、もう一度現れる。もちろん音楽そのものも違いますし、同じ曲を聴いている私自身も、最初とは少し違っているような気がします。そして最後の第21番 ハ短調は、まるでアンコールのよう。飾り気のない素朴な歌が、静かな余韻を残してアルバムを閉じます。

全体を通して、コレスニコフのピアノは常に静かで、深いところにあります。時には音楽がきらめき、激しく高まることもありますが、その底にはいつも静けさが流れています。これまで聴いてきたショパンのノクターンとは、ずいぶん違う世界です。大きな表現はもちろんありますが、それ以上に驚かされるのは、ごく小さな音の中に込められた無数のニュアンスです。

そして、聴いているうちに、気がつくと先ほどまで職場から引きずってきた嫌な気持ちがすっと引いていました。

それは単に音楽に癒やされたとか、ヒーリングミュージックを聴いて気持ちが落ち着いた、というのとは違った種類のように感じます。音楽が体の奥底に入り込み、自分でも気づかないうちに、心の奥にある何かを変えていくような感覚。人間に対する不信感とか、人生に対する嫌悪感。そういったものが、静かに消えていって、静かな生きることの喜びに置き換わっていました。

音楽の中に深く入り込み、一つひとつの風景を眺めながら、ゆっくりと山を登り、また下ってくる。そして気がつくと、自分の中にあった現実世界の嫌な人間関係の悩みが、ふっと消えていました。どうでもよくなっていたのです。

それほどまでに深く、私の心に入り込んできたノクターンのアルバムでありました。