クラシックとオーディオの日々

毎日聴いている音楽の記録です。

シュタインバッハーのベートーヴェンとレンツの協奏曲

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今晩は、アラベラ・シュタインバッハーのヴァイオリンとグスターボ・ヒメノ指揮、ルクセンブルクフィルハーモニー管弦楽団による、ベートーヴェンとジョルジュ・レンツのヴァイオリン協奏曲を聴きます。

アラベラ・シュタインバッハーはもうご存知と思いますが、1981年生まれのドイツのヴァイオリニスト。お母さんが日本人ということで、日本ではミドルネームに「美歩」という名前が入る時もありますが、国際的に大活躍のヴァイオリニストです。

でも、こんななんでも弾けちゃうような人でも、やはりベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲となるとちょっと別なのでしょう。ライナーノートでは「神聖」な協奏曲と述べていますが、何度も何度も演奏しつつも、新たな発見に心揺さぶられるとか。こういった名曲は、優れた演奏家にとっても終わることのない探究となるのでしょう。

ベートーヴェンのこのコンチェルトは、つい先日ニコラ・ベネディッティの若々しい演奏を聴いたばかりですが、やはり違うものですね。こちらはもう少し落ち着いた、完成度が非常に高い演奏といったらいいのかな。前奏の管弦楽がまず非常にバランスが取れていて素晴らしい。

配信はハイレゾ192kHz、24bitのQobuz最高レート。私の再生環境ではさらにそれをRoon経由のUbuntu Studio上で動かしているHQPlayerでDSD11.6に変換、デジタルフィルターはpoly-sinc-ext2、シェイパーはASDM7ECv3。この設定はかなりパソコンにとって重くて、以前のノートパソコンではまったく再生できなかったのが、最近ようやくPCをアップグレードしてこの設定で音が出せるようになりました。Linux系にしたのも音が良くなった原因でしょう。ものすごくリアルでありながら、DSDなのでデジタルっぽくない。

しかし、これ、ライブ録音なんですね、全くそれを感じさせません。

オーケストラも透明度が高くて、ヴァイオリンの透明感は本当に、今までに比べ物にならないくらいの美しさ。演奏自体は非常にオーソドックスで、気を衒った部分がまったくありません。王道を行く演奏で、ここまで完成度が高いと、形式的な美、といえばいいのでしょうか、構造的な見事さが浮かび上がってくるというか……。ちょっと煽情的になったりとか、妙に艶かしいとか、そういう部分は抑えられていて、ピンと張り詰めたような、「このコンチェルトはこうじゃなきゃ」という一本しっかりした芯が感じられる演奏です。

いいですね、背筋が伸びるというか。

彼女の楽器は、ベートーヴェンではジュゼッペ・グァルネリウス・デル・ジェス製「セイントン」(1744年頃)。軽すぎず、しっかりとしたいい音です。カデンツァはクライスラー版ですが、楷書と言っていい演奏。これはこれでいいですね。やっぱりこの曲のカデンツァはクライスラー版がしっくりきます。

続く、ジョルジュ・レンツ作曲のヴァイオリン協奏曲《…to beam in distant heavens…》(「遥か彼方の天へ光を放つ」)。

レンツはルクセンブルク出身でオーストラリアに移住し、宇宙や神秘、哲学的・宗教的な題材を通して作曲を続けている人。オーストラリアの自然の中でインスピレーションを得て作曲しているようですね。

この協奏曲は、彼のライフワークとも言える連作《ミステリウム》の一部として作曲されたもの。シュタインバッハーの委嘱作品です。

ベートーヴェンが終わって、強烈な打楽器の一撃から始まるので、気をつけないと飛び上がるくらいびっくりします。続いてヴァイオリンのソロが舞台裏で長く続き、やがて弾きながらステージに音が移動。しばらくは重音を多用した苦渋に満ちたソロが続きます。これはベルクのコンチェルトへのオマージュでもあるらしい。

オーケストラはゴング系の神秘的な音色がソロに被さりつつ、激しさを増していく、という感じで進みます。ヴァイオリン協奏曲にしてはかなりの大編成、打楽器もたくさん使っていますね。音量バランスが難しそう。クラリネットで一瞬ベルクっぽさも。

メッセージとしては、不安感、苦しみ、絶望、先の見えない未来が、かなり複雑な音楽で表現されています。あまり気楽に聴ける作品ではないかな。ウィリアム・ブレイクの世界観が反映されているとか……うーん、正直なかなか理解するのは難しい。演奏も難しそう。これ、暗譜で弾いたのかな、かなり長い作品です。

ベートーヴェンの調和の取れた美しい形式美とは正反対、対照的な混沌として予測不能な世界。時にエレキギターまで入って大騒ぎ。

中間以後は静かな瞑想的なヴァイオリン独奏となり、神秘の世界に向かっていきます。時にあえて音程を微分音的に外したりしながら静かに進みますが、やがて再び独奏はますます技巧的かつ難解な音楽へ。再びオーケストラがグランカッサのリズムとともに盛り上がったあとには、天国的なヴァイオリンの高音による調音楽へと向かいます。

この部分は「私たちの孫たちの惑星へのエレジー」と題されていて、想像力を掻き立てられますね。遠くには、爆撃の遠なりのようなグランカッサの重低音が散発的に鳴り響く中、瞑想的・宇宙的な音楽へと移っていきます。

最後はオーケストラが細かい断片的な音響を発しながら混沌とした世界へ。ヴァイオリン独奏はその中でもがき苦しむかのよう。

最後、オーボエとヴァイオリンで奏される信号のような断片は、遠い宇宙への信号か交信?あるいはSOS?

ヒステリックなヴァイオリンが悲鳴を上げるような高音の連続が続く中、最初の強烈な打楽器の一撃で曲を閉じます。

作曲者は自然と哲学、宗教と向き合って創作活動をしているとのことですが、この曲を聴く限り、あまり明るい未来を想像していないようですね……。確かに今の地球環境を見ていたら、もはや後戻りできない世界になってきているようにも感じます。孫たちが受け継ぐ地球への哀歌を書きたくなる気持ちも、わからないでもない……。

 


前半のベートーヴェンとは全く異なった世界の組み合わせ。

芸術作品としての高い完成度が感じられるベートーヴェンと、混沌と混乱、絶望と哀歌が入り混じった現代作品。

それぞれの時代を反映していますね。現代の作品は、誰もが抱いているこれからの地球、人類の未来に対する不安感が、そのまま現れていると言っていいでしょう。これが現代なのですね。

 

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