
今晩は、8月29日にドイツ・グラモフォンからリリースされた、ユリウス・アザル(Julius Asal)の最新アルバム『SIENA TAPES』を聴きます。
プログラムは以下の通り。
Tape Zero
Cascade I(ユリウス・アザル)
前奏曲 イ短調 M.65(ラヴェル)
ハイドンの名によるメヌエット M.58(ラヴェル)
Cascade II(ユリウス・アザル)
水の戯れ M.30(ラヴェル)
Prelude (3191)(ユリウス・アザル)
Cascade III(ユリウス・アザル)
Petites Vagues(クリスティアン・バズーラ)
ボロディン風に M.63-1(ラヴェル)
このアルバムはモーリス・ラヴェルの生誕150年を記念して構想されたとのこと。
ユリウス・アザルはもうご存知の方も多いと思いますが、1997年、フランクフルト近郊生まれの新鋭ピアニスト。28歳かぁ。幼少期から独学で即興を始め、後にフランクフルト音大やハンス・アイスラー音大で学び、クロンベルク・アカデミーではアンドラーシュ・シフに師事していますね。数々の国際コンクールで入賞し、ウィグモア・ホール、ウィーン楽友協会、サントリーホールなど世界の舞台に登場。2023年にドイツ・グラモフォンと専属契約を結び、2024年にデビュー盤『Scriabin & Scarlatti』をリリース。巨匠メナヘム・プレスラーからも「唯一無二の音」と絶賛ています。
彼のスクリャービンとスカルラッティが入ったアルバムは素晴らしかった。
『SIENA TAPES』というタイトルは、イタリア・シエナにあるChapel of the Sunの素晴らしい響きの空間で収録されたことによるようです。
最初のトラックは録音テープをガチャっとかける音。録音はデジタルだと思うけれど、あえて古いオープンリールの録音機の立ち上がり音を入れていますが、これはこの後続く柔らかなピアノの音色をデジタル的な音ではないよ、という宣言かな?アナログの音風だよ、という。
プログラムにはCascadeという名称のついたアザルの即興曲が挟まります。Cascadeとは英語だと小さな滝、とかの意味がありますが、水の戯れとかから来ているとも思うし、「カスケード反応」から来ているとも考えられるかな。カスケード反応は化学や生物学で使われる、ある反応が次の反応を誘発し、それがさらに次を呼び…と連鎖的に進んでいく現象。小さなモチーフが連鎖的に発展していく構造からもくるし、またラヴェルの作品を聴いて、それに反応した即興曲というように、連鎖反応的に即興が3つ置かれているところから来るのかも。
Cascade Iは、もう最初から印象派的、ラヴェル的、水の流れ落ちるような分散和音の中にラヴェルのモチーフがそっと挿入されたり。包み込むような美しい音色と響きは、アザルが演奏会が終わっても弾き続けたいというシエナの録音会場の響きとのブレンドによるもの。
このアルバムはApple TVでドルビー・アトモスでも聴けるのですが、この会場の包み込まれるような響きを味わうにはこちらの方がいいかも。
続く、ラヴェルの前奏曲イ短調。わずか一分半の曲ながら、ラヴェルのエッセンスが凝縮された作品。シンプルなのに不思議な和声感がたまらない曲ですが、アザルはピアノの響きを独特な包み込むような会場のサウンドを活かして、一つ一つの音を大切に弾いていきます。素晴らしい音はプレスラーが絶賛しただけのことはありますね。
ハイドンの名によるメヌエット。全然ハイドンっぽくないけれど、主題の中にH-A-Y-D-Nの音を織り込んでいるというのがオシャレなラヴェルらしい。この曲の演奏はメヌエット的なリズムを活かした演奏と、ハーモニーの変化を捉えて耽美的に弾く演奏があるように思いますが、アザルの演奏は、そのどちらも取り入れている感じがします。テンポはメヌエット的なリズムを感じさせながら、ピアノの音色を活かしてハーモニーの変化を捉えています。微妙な三拍子の揺れ、フレーズの入り具合、装飾音符の扱いなどがいいセンス。
Cascade IIは再びアザルの即興。トレモロで繊細な空気感を作りながら、前のCascadeよりも内面的、瞑想的、その中に水のうねりが激しくなるように盛り上がり、次の「水の戯れ」のモチーフが入って来て次の曲に繋げていきます。
水の戯れ、これは初期のラヴェルの傑作。やはりアザルの独特の厚くまろやかな響きと、時に輝くような水の煌めきが見事。テンポは少しゆっくり目から開始され、揺らぎ、発展、変化、ニュアンス、そして集中力が素晴らしい。即物的な演奏の真逆と言ってもいいかな。再現でもグッとテンポを落として丁寧に開始し終盤に向けてクライマックスを形作っていきます。テンポ、ハーモニーとダイナミックスの移り変わり、音色の変化が感動モノ。ここのところ聴いたこの曲では最高の演奏。
そしてユリウス・アザルのプレリュード。これはラヴェルのプレリュードやメヌエットなど古典的な形式感からインスピレーションを得た、シンプルな中にも余韻の残る作品。そしてそのままCascadeIIIへ。ここではダフニスとクロエのテーマがモチーフになっています。今までのアルペジオとトレモロを中心とした即興からハーモニーを重視した瞑想的な味わいから発展的に再び豊かなアルペジオと幅広い低音でピアノ全体を鳴らして大きなクライマックス。
次の曲はクリスティアン・バズーラのPetites Vagues。さざ波、かな。左手は同じ音形が繰り返し弾かれ、その上にさまざまハーモニー、そして水のゆらめきのような揺れうごく音形のヴァリエーション。美しい小品です。
バズーラはこのアルバムのプロデューサー。彼はピアノのオラフソンのリワーク作品を作ったり、ロジャー・イーノ、そしてマックス・リヒターや、残念ながらなくなってしまったヨハン・ヨハンソンのアルバム、いわばポスト・クラシカルのアルバムを多く手がけています。こんな曲を作曲できるほどの才能があるんですね。
それで気がついたのですが、確かにこのアルバムの音色感はオラフソンやポスト・クラシカルのアルバムの音響感に近い。会場の響きを厚く入れて、ピアノの音色も太く柔らかく、そして全体の音量、ゲインは大きめ。これらのアルバムを手がけているバズーラの世界ですね。
最後は「ボロディン風に」。しっとりとした音色と静けさ、また中間に向けた盛り上げ方、最後の余韻。アルバムを締めくくるにふさわしい演奏。
こうやって色々聴いてて感じるのは、アルバム全体の世界観ってプロデューサーやエンジニアの影響がものすごく強いですね。むしろ一つのアルバムは演奏者+プロデューサー+録音エンジニアの作品と言っていい。演奏者だけに注意がいきがちですが、そこにはさらにジャケットのデザインや写真、そして解説も加わって、一つのアルバムは本の装丁のように様々な人の感性が集まった芸術の結晶なんですね。総合芸術としてのアルバム。生演奏とは全く違う良さがここにあります。だから色々聴くのがやめられないのだなぁ。
録音会場:イタリア・トスカーナ州シエナ、アメリカのプロデューサーRick Rubin所有の邸宅内にある “Chapel of the Sun”
録音日:2024年9月20日
プロデューサー:クリスティアン・バズーラ (Christian Badzura)
録音エンジニア:フランチェスコ・ドナデッロ(Francesco Donadello)
ミキシングおよびマスタリング:アヌシュ・アリミルザイエ(Anusch Alimirzaie)
録音エンジニア(United States):サミュエル・シュヴェンク(Samuel Schwenk)