クラシックとオーディオの日々

毎日聴いている音楽の記録です。

《マタイ受難曲》のもう一つの姿 バッハ《ケーテン侯レオポルトのための葬送音楽》

今晩は、2026年9月4日にLinn Recordsからリリースされた、Solomon’s Knot(ソロモンズ・ノット)によるJ.S.バッハの《ケーテン侯レオポルトのための葬送音楽(Köthener Trauermusik)》BWV 1143/244aを聴きます。

収録作品は以下の通り。

ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685–1750)
《ケーテン侯レオポルトのための葬送音楽》BWV 1143/244a
チャド・ケリー復元

第1部
1.シンフォニア
2.アリア「レオポルトよ、あなたを墓に葬らせはしない」
3.レチタティーヴォ「どうしてそんなことがあり得よう」
4.アリア「たとえ千の涙を流したあと」
5.レチタティーヴォ「そして侯よ、これこそが香料なのです」
6.アリア「行け、レオポルトよ、あなたの安息へ」
7.コラール「ああ主よ、あなたの愛しい天使たちに」

第2部
8.合唱「子らよ、嘆け、その嘆きを全世界へ告げよ」
9.レチタティーヴォ「おお国よ、打ちひしがれた国よ」
10.アリア「悲痛と嘆き」
11.レチタティーヴォ「残酷な稲妻が」
12.アリア「嘆け、忠実なる国よ」
13.レチタティーヴォ「ああ、そうだ!」
14.合唱「戻ってきてください、尊き侯の魂よ」

第3部
15.ディクトゥム「われらには神がおられる」
16.レチタティーヴォ「悲しみと恐怖に満ちた光景よ」
17.アリア「私をお守りください、神よ」
18.レチタティーヴォ「しかし弱い人間は」
19.アリア「喜びのうちに、この世を去ろう」
20.レチタティーヴォ「されば幸いなるかな、あなたよ」
21.ディクトゥム「われらには神がおられる」

第4部
22.コラール「あなたの天使を私とともに行かせてください」
23.アリア「いまはその安らぎのうちに眠りたまえ」
24.レチタティーヴォ「そして、悲しみに沈む侯家よ」
25.アリア「苦しみに満ちた悲嘆を鎮めなさい」
26.レチタティーヴォ「いま私たちは別れます」
27.合唱「私たちの目は、あなたの亡骸を見つめる」

ソプラノ:ゾーイ・ブルックショー、クレア・ロイド=グリフィス
アルト:ケイト・シモンズ=ジョイ、ネイサン・メルシエカ
テノール:トーマス・ハーフォード、デイヴィッド・デ・ウィンター
バス:アレックス・アシュワース、ジョナサン・セルズ

ソロモンズ・ノット
芸術監督:ジョナサン・セルズ

録音:2025年6月6、7日
会場:ドイツ・レーゲンスブルク ドライアイニヒカイツ教会

バッハが器楽曲の超名曲を数多く生んだケーテン時代。1717年から1723年まで宮廷楽長の地位にありましたが、仕えたのはアンハルト=ケーテン侯レオポルト。音楽に理解を示し、バッハとの関係も非常に良好だったようですが、1728年11月19日に33歳で亡くなりました。そして翌1729年3月23日から24日にかけてケーテンで葬送行事が行われ、そのためにバッハが作曲したのがこの《ケーテン侯レオポルトのための葬送音楽》です。バッハはすでにライプツィヒに移っていましたが、かつて仕えたレオポルトのために、この葬送音楽を書いています。

ところが残念なことに、この作品は音楽そのものが全く残っていません。その一方で、ピカンダーによる台本、葬儀の進行、演奏者などについてはかなり詳しい資料が残っています。

ピカンダーは、本名クリスティアン・フリードリヒ・ヘンリーツィ(1700–1764)。ライプツィヒで官職に就きながら詩を書き、バッハとは《マタイ受難曲》《マルコ受難曲》《コーヒー・カンタータ》など非常に重要で数多くの作品で協力しています。大詩人というより、音楽のための言葉を書くことに優れた職人的な台本作家といった方がよいのかもしれません。《マタイ受難曲》と今回の《葬送音楽》もともにピカンダーが手掛けていること、そして台本の韻律などから、この作品のアリアや合唱のかなりの部分が、《マタイ受難曲》BWV 244や《哀悼頌歌》BWV 198と同じ音楽を用いた、いわゆるパロディ作品であったと考えられています。

今回のチャド・ケリー版が面白いのは、分からない部分まで無理に既存のバッハ作品で埋めず、特にレチタティーヴォについては、バッハがレチタティーヴォをパロディ転用した証拠がないことから、ケリー自身がピカンダーの歌詞に合わせて新しく作曲しています。また第3部を囲む「われらには神がおられる」も、既存のバッハ作品を流用せず、新しく書かれた対位法的な合唱です。

また曲順も現存する台本の順序をそのまま採らないで、アンドルー・パロットの説をもとに、3月23日夜に私的な埋葬が行われ、翌24日に公的な追悼式が行われたという流れを再構成しているのがこのアルバム。

日本の葬儀にたとえるなら、第1部はいわば「お通夜」、第2部以降が「本葬」と考えると、音楽の変化がとても分かりやすいように思います。

演奏しているソロモンズ・ノット(Solomon’s Knot)は、指揮者を置かない歌手と器楽奏者による国際的なバロック・アンサンブルです。面白い名称ですが、この団体については以前以下で取り上げました。

早速聴いてみます。

第1部冒頭のシンフォニアは、カンタータ《わが心には憂い多かりき》BWV 21から採られたもの。

まずバロック・オーボエの音が実にいい。太く、少し木質的な音色で、悲しみそのものを歌っているようです。そして旋律は一見素朴なのに、和声が思わぬところへ動く。改めて「やはりバッハだな」と感じます。葬儀の音楽らしい、静かで深い悲しみがあります。

2曲目「レオポルトよ、あなたを墓に葬らせはしない」は、《マタイ受難曲》の《来たれ、甘き十字架よ》の音楽を使っています。ただし、あのヴィオラ・ダ・ガンバのオブリガートが、ここではリュートによって演奏されます。これがとても印象的で素敵。リュートになると少し素朴で親密な響きになり、それをオルガンの通奏低音が厳粛に支えています。

「レオポルトよ、あなたを墓に葬らせはしない。あなたは私たちすべての心の中に、永遠に安らかな墓を持つのだから」

という歌詞。レオポルトに対する人々の強い思いが伝わります。Alex Ashworthのバスも、悲しみに満ちた包容力のある歌。とてもいい声です。

3曲目「どうしてそんなことがあり得よう」はケリーが作曲した新しいレチタティーヴォ。カウンターテナーのNathan Merciecaが歌います。もちろん当時の時代様式やバッハの作品を研究して作曲しているかと思いますが、確かに歌詞によく合った表情で、既存のバッハの音楽を無理にはめ込むよりも、この方法の方がずっと自然ですね。作曲が非常に優れているからなのですが。

4曲目「たとえ千の涙を流したあと」も《マタイ受難曲》からの音楽。《喜んで私も覚悟を定め》が原曲です。弦楽合奏の上をカウンターテナーが歌います。Nathan Merciecaはここでもいい声です。

5曲目「そして侯よ、これこそが香料なのです」もケリーの新作レチタティーヴォ。テノールを中心に声楽アンサンブルが絡み、単純なセッコではなく、かなり対位法的に凝った書き方がされています。新作部分なのですが、実によくできています。

6曲目「行け、レオポルトよ、あなたの安息へ」は、《マタイ受難曲》の《私はイエスのそばで目覚めていよう》。

バロック・オーボエのソロが実に美しく、通奏低音のファゴットもよく聞こえます。そしてテノールに応答する小さな声楽アンサンブルが密やかで悲しげ。大合唱によって悲しみを大きくするのではなく、棺を囲む人々が小さな声で祈っているようです。

7曲目「ああ主よ、あなたの愛しい天使たちに」は、《ヨハネ受難曲》の終結コラールとしてもよく知られる旋律です。

ここでも小さな声楽アンサンブルで歌われます。ただきれいにコラールを歌うのではなく、一つひとつの言葉に感情がこもっている。美しく、静かな祈りそのものです。

今回の復元では、ここまでが23日夜の埋葬にあたります。まさに「お通夜」のような、私的で密やかな悲しみに満ちています。

ここから第2部、本葬部分ですね。ここになると、音楽の規模が一気に大きくなります。

8曲目「子らよ、嘆け、その嘆きを全世界へ告げよ」は、《哀悼頌歌》BWV 198の冒頭合唱《侯妃よ、なお一条の光を》の音楽が使われます。2本のフルート、オーボエ、弦楽合奏、オルガンの通奏低音、そして合唱。鋭い付点リズムには王侯の葬送にふさわしい威厳があり、合唱にもそれまでにはなかった激しさがあります。劇的です。第1部の個人的な悲しみが、ここでケーテン全体の公的な哀悼へと変わります。

9曲目「おお国よ、打ちひしがれた国よ」は、ケリーの作曲によるアルトのレチタティーヴォ。ダブルリード系の暗い響き、ヴィオラ・ダ・ガンバ、オルガンが悲しみを深めます。最後は途切れるように終わり、そのまま10曲目へ。

10曲目「悲痛と嘆き」は、《マタイ受難曲》の《悔いと後悔》。2本のフルートと通奏低音の上をアルトが歌います。こうしてよく知った《マタイ》の曲が次々に現れるのは、この作品を聴く大きな面白さです。未知の失われたバッハを聴いているはずなのに、「ああ、この曲だ」と親しみが湧く。そして同じ音楽が別の歌詞を得ることで、少し違った表情を見せます。

11曲目「残酷な稲妻が」は、テノールによる劇的なレチタティーヴォ。稲妻に打たれて鳥たちが森へ散っていくように、臣下たちがどれほど打ちのめされているかを歌います。これもケリーはうまい。

続く12曲目「嘆け、忠実なる国よ」は《マタイ受難曲》の《血を流せ、愛する心よ》。弦楽合奏にフルートが重なり、ため息に満ちたフレーズが続きます。この「ため息」の音型が、「忠実なる国よ、嘆け」という歌詞によく合っています。

13曲目はアルトの短いレチタティーヴォ。そして14曲目「戻ってきてください、尊き侯の魂よ」は再び《哀悼頌歌》BWV 198から、《されど王妃よ、あなたは死なない》のパロディ。小編成の合唱ながら、ここには公的な追悼の強さがあります。しかし声の一人ひとりが聞き取れるため、悲しみはあくまで人間の近いところに残っています。

第3部に入ると、雰囲気はさらに厳粛になります。

冒頭の「われらには神がおられる」はケリーの新作。少し古いスタイルを思わせる、厳格な対位法的フーガですが、なかなか見事な対位法。

「われらには助ける神がおられ、死から救う主がおられる」

という聖書の言葉。ここまでの「レオポルトが死んで悲しい」という個人的な嘆きから離れ、死そのものを信仰によってどう受け止めるかという世界に入ります。

2曲目「悲しみと恐怖に満ちた光景よ」もケリーの新作レチタティーヴォ。フラウト・トラヴェルソが規則正しく刻む上をアルトが訴えるように歌います。

「Die Stunde schlägt, das End’ ist nah」
「時は打ち鳴らされ、最期が近い」

とあります。刻みは、時の経過、あるいは迫りくる死の時間を描いているように聞こえます。言葉を音によって直接描く、いかにもバロック的な修辞法です。

3曲目「私をお守りください、神よ」は、《マタイ受難曲》の名曲《憐れんでください、わが神よ》。バロック・ヴァイオリンのソロが悲しげに歌い、アルトが感情を込めて歌います。ただしここでの歌詞は、レオポルトを悼むというより、

「私を守ってください、神よ。まだ人生の半ばにある私を」

という、自分自身の死への恐れです。葬儀で死を目の前にした人間が、「次は自分かもしれない。まだ死にたくない」と神に訴える場面とも聞こえます。

4曲目「しかし弱い人間は」はソプラノのレチタティーヴォ。前半は力強く、通奏低音もかなり劇的です。

「Wer aber stets wie unsre Fürstenseele」
「しかし、わが侯の魂のように」

から表情が変わります。

「地上の虚しさに執着せず、生きている時から天を目指した者は、喜びをもってこの世を去る」という方向へ音楽が向かい、少し喜びすら感じられるようになります。

その答えが5曲目「喜びのうちに、この世を去ろう」。

ここは《マタイ受難曲》の《愛ゆえに、わが救い主は死のうとされる》が使われます。トラヴェルソのソロが美しく、ソプラノの歌が入ると、《マタイ》と同じように途中で音楽がいったん止まるような瞬間があります。

「喜びをもってこの世を去ろう。
死は私にとって慰めとして現れる」

というもの。

第3部では、死を悲劇としてだけではなく、信仰によって肯定的に捉えていることがはっきり分かります。

6曲目「されば幸いなるかな、あなたよ」はバスの大きなレチタティーヴォ。そして7曲目では再び「われらには神がおられる」の古風で厳格なフーガが戻ります。この合唱も今回のケリーの創作です。

つまり第3部は、

死が怖い。
神よ、私を守ってください。
しかし信仰する者にとって死は恐れるものではない。
喜びをもってこの世を去ることができる。
そして神は死から人を救う。

という、かなり明確な神学的ドラマになっています。

第4部は再び音楽が静かになります。

8曲目「あなたの天使を私とともに行かせてください」はホモフォニックなコラール。リュートのアルペジオが優雅に響き、静かで敬虔です。

9曲目「いまはその安らぎのうちに眠りたまえ」は、《マタイ受難曲》の《わが心よ、清くなれ》。歌うのはJonathan Sellsのバス。ここでもリュートの響きが通奏低音の中からよく聞こえます。

「いまは安らぎの中に眠りたまえ」

という歌詞と、バスの包容力のある歌がよく合います。悲しみというより、「もう安心して眠ってよい」と語りかけているようです。

10曲目「そして、悲しみに沈む侯家よ」はケリーによるレチタティーヴォ。最初はテノールが悲しみを歌い、それをソプラノが引き継ぎます。そして歌詞が、

「夜は終わった」
「明るい一日が始まる」
「春のように太陽が輝く」

と変化するにつれて、音楽も明るくなっていきます。ソプラノのZoë Brookshawは澄んだ美しい声です。

11曲目「苦しみに満ちた悲嘆を鎮めなさい」も《マタイ受難曲》から。《私はあなたに心を捧げます》の音楽です。2本のオーボエ・ダモーレの柔らかなダブルリードの響きが印象的。短調なのですが、どこか喜びに満ちています。

「悲嘆を鎮めなさい。
良き時がやって来る」

という歌詞ですから、悲しみの中にすでに慰めが生まれているのでしょう。ダ・カーポ後には少し装飾も加えられ、同じ音楽が少し解放されたように聞こえます。

12曲目「いま私たちは別れます」は、弦合奏伴奏によるレチタティーヴォですが、最初は《マタイ》のどこかのレチタティーヴォかと思うほどよくできています。しかし、これもケリーによる新作です。

「いま私たちはあなたと別れる。
しかしあなたは私たちの心から去らない」

という静かな告別。

雰囲気は《マタイ受難曲》によく似ていますが、静けさと安堵に満ちています。最後を低音の長い音で支えて終えるあたりも、いかにもバッハ的です。

そして最後の13曲目「私たちの目は、あなたの亡骸を見つめる」。これは《マタイ受難曲》の終曲《われら涙流してひざまずき》です。

しかし《マタイ》で聴くほど重くありません。少し軽い足取りで進み、巨大な受難曲を閉じるというより、一人の人間を静かに墓へ送り出す音楽として聞こえます。最後もあまり仰々しく演奏しません。それでも、あの独特の不協和から最後に解決する和声を聴くと、「ああ、この曲だ」と思います。

ということで、よく知った《マタイ受難曲》や《哀悼頌歌》の音楽が次々と現れ、それがレオポルトを悼む別の言葉を得ることで、これまでとは違った意味を持って聞こえてくる。そして、その間をチャド・ケリーの新作レチタティーヴォやフーガがつなぎ、驚くほど自然な一つの作品として成立させています。

第1部の私的で密やかな悲しみから、第2部の公的で劇的な葬送、第3部の死と救済をめぐる厳粛な思索、そして第4部の慰めと安息へという流れですね。

録音が実にいい。Linnらしく自然でクリア。それぞれの楽器や声がよく見えるのに、決して人工的に分離された感じはなく、教会の残響も程よい。バロック・オーボエの太い音、リュートの繊細な響き、ファゴットやオルガンの低音、そして小さな声楽アンサンブルまで、とても自然に聴き取ることができます。さすがLinn、と思わせる素晴らしい録音です。

ジャケットの絵は泣いている女性。このアルバムに相応しい絵画ですが、使われているのは、15世紀フランドル絵画の巨匠ロヒール・ファン・デル・ウェイデンによる《十字架降下》の一部だそう。全体の左側にいて涙を流している女性ですね。

ロヒール・ファン・デル・ウェイデン《十字架降下》(1435年頃、プラド美術館蔵)。左側で涙を拭うマリア・クロパの部分が、アルバム・ジャケットに使われている。画像:Wikimedia Commons(Public Domain)

この白い頭巾をまとい、布を目に当てて涙を流している女性は、聖母ではなくマリア・クロパとされる人。声を上げるでもなく一人静かに涙を拭う女性だけを大きく切り取ったこのジャケットは実に印象的ですね。今回の演奏もまた、大きな悲劇を誇張するのではなく、小さな声楽アンサンブルやリュート、木管の響きによって、人間のごく近いところにある悲しみを描いています。音楽によく合った絵です。

単なる「失われたバッハの復元」という以上に、1729年3月23日の夜から翌24日へと続いた葬送の時間そのものを、現代にもう一度立ち上げようとしたアルバムでありました。

YouTube Music

Apple Music

Qobuz

picolist 作曲家別記事目録