クラシックとオーディオの日々

毎日聴いている音楽の記録です。

若きマーラーの原点 初期歌曲20曲でたどる天才の萌芽

f:id:picolist:20260723083510j:image

今晩は、2026年7月10日にSignum Classicsからリリースされた、カタリーナ・コンラーディ(ソプラノ)、ソフィー・レンネルト(メゾ・ソプラノ)、マウロ・ペーター(テノール)、サー・サイモン・キーンリーサイド(バリトン)、ジョセフ・ミドルトン(ピアノ)による《Mahler: Lieder der Jugend(若き日の歌)》を聴きます。
収録曲は以下の通りです。
 
 
《若き日の歌(Lieder der Jugend)》
 
1. 春の朝(Frühlingsmorgen)
2. 夏の交代(Ablösung im Sommer)
3. 春に(Im Lenz)
4. 冬の歌(Winterlied)
5. 別れと回避(Scheiden und Meiden)
6. シュトラスブルクの堡塁にて(Zu Straßburg auf der Schanz)
7. 喜び勇んで緑の森を歩けば(Ich ging mit Lust durch einen grünen Wald)
8. 豊かな想像力(Starke Einbildungskraft)
9. 思い出(Erinnerung)
10. 自覚(Selbstgefühl)
11. ハンスとグレーテ(Hans und Grete)
12. 悪い子をしつけるために(Um schlimme Kinder artig zuする)
13. 終わり!終わり!(Aus! Aus!)
14. 《ドン・ファン》よりセレナード(Serenade aus Don Juan)
15. 《ドン・ファン》より幻想曲(Phantasie aus Don Juan)
16. また会うことはない(Nicht wiedersehen!)
 
《さすらう若人の歌(Lieder eines fahrenden Gesellen)》
 
17. 恋人が結婚する時(Wenn mein Schatz Hochzeit macht)
18. 今朝、野原を歩けば(Ging heut’ morgen übers Feld)
19. 私は燃えるようなナイフを持っている(Ich hab’ ein glühend Messer)
20. 恋人の二つの青い瞳(Die zwei blauen Augen von meinem Schatz)
 
演奏
  • カタリーナ・コンラーディ(ソプラノ)〔2, 4, 10, 12, 15〕
  • ソフィー・レンネルト(メゾ・ソプラノ)〔1, 7, 9, 11, 13, 16〕
  • マウロ・ペーター(テノール)〔3, 5, 6, 8, 14〕
  • サー・サイモン・キーンリーサイド(バリトン)〔17–20〕
  • ジョセフ・ミドルトン(ピアノ)
録音
  • 2024年11月21日 ポットン・ホール・スタジオ(サフォーク州サクスマンダム)〔17–20〕
  • 2024年12月9日・14日、2025年6月9日 オール・セインツ教会(ロンドン・イーストフィンチリー)
 
 
マーラーの歌曲といえば、《さすらう若人の歌》《亡き子をしのぶ歌》《リュッケルト歌曲集》《大地の歌》がまず思い浮かびます。しかし、その出発点となった若き日の歌曲は意外なほど録音が少なく、まとめて聴ける機会も多くありません。
このアルバムは、マーラーが1880年代に作曲した初期歌曲16曲に、《さすらう若人の歌》を加えた全20曲を収録した意欲的な企画です。
 
歌手は4人。それぞれが得意とするレパートリーを生かしながら作品を歌い分けています。キルギス出身のソプラノ、カタリーナ・コンラーディの透明感ある歌声、ウィーン育ちのメゾ・ソプラノ、ソフィー・レンネルトの温かな表現、スイスのテノール、マウロ・ペーターの知的で端正な歌唱、そして英国を代表するバリトン、サー・サイモン・キーンリーサイドの円熟した表現力はいずれも見事です。
 
そして忘れてならないのがピアニストのジョセフ・ミドルトン。現代を代表する歌曲伴奏者の一人で、リートのアルバムには引っ張りだこのよう。歌手に寄り添いつつ、その作品のもつニュアンスを見事に表現する現代最高のアカンパニストでしょう。
私のブログでは以前彼の伴奏したアルバムを取り上げました。

note.com

 

picolist.hateblo.jp

 

 
歌手に寄り添いながらも、時にはオーケストラを思わせる豊かな響きでマーラーの若き日の繊細な世界を支えています。
 
早速1曲ずつじっくりと聴いてみます。
 
《春の朝(Frühlingsmorgen)》はシューマンを思わせる瑞々しい歌曲です。美しいピアノの前奏に続き、ソフィー・レンネルトのメゾ・ソプラノが情感豊かに、しかし瑞々しい声で歌います。音楽はマーラー的なものはあまり強く感じられません。ミドルトンのピアノの細やかな動きは鳥のさえずりや春風を思わせますが、単なる牧歌ではなく、目覚めの喜びのなかに恋への憧れも忍び込んでいます。
 
《夏の交代(Ablösung im Sommer)》はマーラーの交響曲第3番の第3楽章の素材として非常に有名ですね。シンフォニーでは大きく拡大されて使われました。ここではカタリーナ・コンラーディのソプラノの美しい声と少し皮肉っぽい歌い回しでうわれます。『少年の魔法の角笛』の詩によるユーモラスな歌で春を告げるカッコウが死に、代わってナイチンゲールが夏を歌うという内容。軽快で愛らしい曲ですが、季節が移れば役割を終え、別のものに取って代わられるという無常も潜んでいます。
 
《春に(Im Lenz)》はテノールのマウロ・ペーターが歌います。明るい春のなかを歩きながら、なぜか何も見えず、喜ぶこともできない若者が描かれています。太陽や青空を楽しむよう促されても、彼の心は遠く離れた恋人のもとにあります。広がりのある旋律やホルンを思わせる響き、執拗に繰り返される音型には、すでに歌曲の枠を越えた交響的な感覚が認められます。ミドルトンのピアノがオーケストラを意識したかのような多彩な音色で奏でていますね。
 
《冬の歌(Winterlied)》は雪と氷に閉ざされた外の世界と、炉の火や糸車の音に満たされた暖かな室内とが対照的に描かれます。ここはソプラノのコンラーディの美しい歌唱です。若者は雪のなかに立ち、窓の向こうの恋人へ歌いかけますが、二人の幸せはすでに遠い過去のもの。簡素で静かな音楽のなかに、孤独と疎外、失われた時間への痛みが凝縮されています。切ない気持ちや不安がもうすでにマーラー的。
 
《別れと離別(Scheiden und Meiden)》は三人の騎士が城門を出てゆき、娘が窓から見送るという民謡風の歌曲です。マウロ・ペーター(テノール)の歌で「Ade!(さらば)」という言葉が繰り返され印象的。一見軽快なリズムのなかに別れの痛みが刻まれます。長調の中に突然挟まれる短調の響きがマーラーですね。親しみやすい旋律でありながら、愛する者と離れることの避けがたさを率直に歌っており、明るさと悲しみが同時に存在するマーラーらしい作品です。
 
《シュトラスブルクの砦で(Zu Straßburg auf der Schanz)》は故郷から聞こえてくるアルプホルンに誘われ、川を泳いで脱走しようとして捕らえられた兵士の歌です。ここでもマウロ・ペーターのテノールで哀愁ある声。翌朝には連隊の前で処刑されることを悟った兵士が、仲間たちに最後の別れを告げます。ピアノは軍隊の歩みや遠くの角笛を描き、その葬送的音楽はいかにもマーラー。中間部の夢見るような部分もシンフォニーや歌曲に出てくる雰囲気そのままで、美しく切ないです。
 
《私は喜び勇んで緑の森を歩いた》では若者は緑の森で鳥たちの歌を聞き、ナイチンゲールに恋人への伝言を託します。ピアノでナイチンゲールの声が何度も模倣されます。夜になって恋人のもとを訪れる場面は一見幸福に満ちていますが、最後には「お前の最愛の人はどこへ行ったのか」と不穏な問いが投げかけられます。牧歌的な森が、やがて愛の不確かさを映す場所へ変わっていく歌曲です。メゾ・ソプラノのレンネルトの深い声で歌われます。
 
《強い想像力(Starke Einbildungskraft)》は、ソプラノとテノールによる掛け合い。娘が「夏になったら結婚すると言ったのに」と若者を責めると、若者は「想像のなかではいつも君のそばにいる」と答えます。題名の「強い想像力」は、この都合のよい言い訳を皮肉ったもの。短い男女の掛け合いのなかに、現実と願望とのずれを描いた、可愛らしい小歌曲です。
 
《思い出(Erinnerung)》はメゾ・ソプラノのレンネルトの歌。歌が愛を呼び覚まし、愛がまた歌を生み出すという循環を描いた歌曲です。恋を忘れようとしても、歌が再び恋の嘆きを連れて戻ってきます。始まりと終わりで調性が変化し、出発した場所には戻れない記憶の性質を暗示します。郷愁に満ちていますが、感傷だけに流れない繊細な作品です。
 
《自覚(Selbstgefühl)》「病気でも健康でもない」「傷はないのに傷ついている」と、自分の状態がわからない男が医者を訪ねます。最後に医者から「お前はただの大バカ者だ」と告げられ、ようやく納得するという滑稽な歌曲です。題名の《自覚》も皮肉そのもの。マーラーの意外なユーモア感覚を楽しめます。ソプラノのコンラーディの機知に満ちた歌唱が楽しめます。
 
《ハンスとグレーテ(Hans und Grete)》はメゾ・ソプラノのレンネルト。輪になって踊る若者たちのなかで、恋人のいないハンスと、一人で立っているグレーテが結びつく陽気な歌曲です。五月の緑や風、踊りの輪が若い恋の誕生を祝います。素朴な民謡風の作品ですが、ヨーデルを思わせる節回しや弾むリズムに、若きマーラーの劇場的な感覚が表れています。
 
《悪い子どもをおとなしくさせるために》ではユーモラスな前奏とともに小馬に乗った男が屋敷を訪れ、「よい子には贈り物がある」と言います。しかし母親が「うちの子は悪い子です」と答えると、男は何も与えず帰ってしまいます。一見すると子どものための教訓歌ですが、その裏には、従順な子だけを褒める大人の権威や、罰によって子どもを支配することへの風刺が感じられるマーラーらしい作品。ソプラノのコンラーディがここでユーモアと皮肉を込めた歌。
 
《終わりだ! 終わりだ!(Aus! Aus!)》
出征する兵士と、彼を見送る娘とのやり取りを描きます。兵士は五月の行軍を陽気に歌い、泣く娘に「私たちの恋はまだ終わっていない」と語りかけます。しかし題名の「Aus」には、「外へ」という号令と「終わりだ」という意味が重なっています。華やかな軍楽調の背後に、永遠の別れの予感が潜む歌曲です。レンネルトのメゾ・ソプラノによる勇ましさと迷いを歌い分けた歌唱が見事。
 
《〈ドン・ファン〉よりセレナード》ではテノールのペーターによる歌唱。娘の愛が死後にしか得られないのであれば、自分の人生はあまりにも長すぎる、とドン・ファンが訴えます。情熱的な言葉の一方で、その大げさな身振りにはどこか滑稽さも感じられますね。恋そのものより、恋する自分を演じる男の姿を描いた歌曲です。
 
《〈ドン・ファン〉より幻想曲》。漁師の娘が海へ網を投げます。魚は捕れなくても、男たちの心は捕らえてしまうという洒落た内容の歌。ソプラノのコーンラディの歌唱で。夕焼けに輝く海と涼しい風のなか、娘自身は恋の苦しみを知りません。軽やかな情景描写と皮肉が結びつき、誘惑する側とされる側の関係を鮮やかに描いています。
 
《二度と会えない!(Nicht wiedersehen!)》若者は「来年の夏には戻る」と恋人に別れを告げますが、帰郷したとき、彼女は悲しみのあまり亡くなっていて、すでに墓地に葬られていました。若者は墓を開いて返事をしてほしいと呼びかけます。素朴な民謡詩から、取り返しのつかない喪失を描き出した痛切な歌曲で、メゾ・ソプラノのレンネルトが悲しみに包まれた声で歌います。
ここまでマーラーの初期歌曲16曲。最後は悲劇的な終着点となります。
 
ここから《さすらう若人の歌》です。歌っているのは、英国を代表する名バリトン、サー・サイモン・キーンリーサイド。オペラ・ファンにはおなじみの存在で、コヴェント・ガーデンやウィーン国立歌劇場、メトロポリタン歌劇場など世界最高峰の舞台で長年活躍してきた他、歌曲の分野でも高く評価されています。
彼は2014年に深刻な声のトラブルに見舞われました。ウィーン国立歌劇場で《リゴレット》を歌っている最中に声が出なくなり、途中降板。その後、甲状腺の手術を受け、一時は半年以上も歌えない状態が続きました。幸い悪性ではなく、長いリハビリを経て舞台に復帰しています。その経験は歌にも大きな変化をもたらしたようです。若い頃の輝かしい声で聴かせる歌唱から、言葉の意味を深く掘り下げ、一語一語を丁寧に歌う円熟した表現になっています。
 
《恋人が結婚するとき》では恋人が別の男性と結婚する日、主人公は暗い小部屋に閉じこもって泣き続けます。外では青い花が咲き、小鳥が「世界は美しい」と歌いますが、その明るさは彼の悲しみをさらに深めるだけです。自然の喜びと人間の絶望を正面から衝突させる、歌曲集の出発点。絶望と逆に希望に満ちたキーリーサイドの表現力は素晴らしい。
 
《今朝、野原を歩けば》は朝露の残る野原を歩く主人公に、小鳥や釣鐘草、陽光に輝く世界が次々と「なんと美しい世界だろう」と呼びかけます。音楽も明るく晴れやかに進みますが、最後に主人公は「私の幸せだけは決して花開かない」と悟ります。この旋律の多くは、後に交響曲第1番第1楽章へ取り込まれましたね。キーリーサイドの歌は希望に満ちて始まりますが、後半は徐々に虚無感が宿ります。
 
《私は燃えるナイフを胸に抱いている》は失恋の苦しみを、胸に突き刺さった灼熱のナイフにたとえた激烈な歌曲です。空を見れば恋人の青い瞳が、野を歩けば金髪が、夢から覚めれば銀のような笑い声がよみがえります。思い出から逃れることのできない主人公は、ついに死を願うまでに追い詰められます。歌曲集の感情的な頂点です。ここでキーリーサイドはオペラ歌手としての強い表現力で劇的に歌います。
 
《恋人の青い二つの瞳》。恋人の瞳によって故郷を追われた主人公は、誰にも見送られず、静かな夜に旅立ちます。やがて道端の菩提樹の下で眠りにつくと、花びらが雪のように降り注ぎ、愛も苦しみも、世界も夢も、すべてが静かに溶け合っていきます。葬送行進曲の歩みのなかで絶望が安息へ変わる、深い余韻を残す終曲です。ドイツリートのテーマである「さすらい」に向かう音楽ですね。ここでもキーリーサイドの絶望感に溢れた歌が心を打ちます。
 
キーリーサイドの《さすらう若人の歌》は、全体に実に味わい深い歌唱です。失恋による絶望や孤独、そして最後に静かな安らぎへ至る主人公の心の旅を、人生の試練を乗り越えてきたキーンリーサイドだからこその説得力で描き出しています。華やかな技巧よりも、人間としての深みが胸に響く歌唱です。
 
 
前半は民謡詩集『少年の魔法の角笛』の素朴な世界、恋や自然への憧れ、ユーモア、後年のマーラーへとつながる深い悲しみ、そして《さすらう若人の歌》に入ると世界は一変し、恋の喜びから失恋、絶望、そして《恋人の二つの青い瞳》でリンデンの木の下に安らぎを見出すまで、交響曲へと発展していくマーラー独自の世界がすでにここに現れていることに驚かされます。若き作曲家の歩みを一枚でたどることができますね。
 
そして何より全体にピアノのジョセフ・ミドルトンが主役と言ってもいいほどの存在感です。このアルバムは彼なしではあり得ないでしょう。深い洞察力とオーケストレーションを意識しつつ、歌手に見事に寄り添っています。名伴奏者ですね。
 
それから録音が大変素晴らしい。ホールの響きをたっぷりと取り入れ、ピアノの余韻が隅々まで広がり、歌の存在感と背後の包み込むようなピアノのバランスが見事です。Atmosも大変よくできたミキシングで自然でホールの中にいるかのよう。
 
若きマーラーの原点を充実した演奏で聴け、後年の交響曲や歌曲集を愛する人には、交響曲第1番、第3番、《少年の魔法の角笛》、《さすらう若人の歌》などその萌芽がいたるところに現れることに気づくと思います。若き日の歌曲を集めた珍しいアルバムというだけでなく、マーラーという作曲家がどのように生まれていったのかを知ることのできる、実に興味深いアルバムでありました。

music.youtube.com

 

classical.music.apple.com

 

open.qobuz.com