クラシックとオーディオの日々

毎日聴いている音楽の記録です。

シリル・デュボワによるデュポン歌曲集

今晩は、シリル・デュボワのテノール、トリスタン・ラエのピアノによる、フランスの作曲家、ガブリエル・デュポンの歌曲全集を聴きます。
このブログで何度か書きましたが、テノールのシリル・デュポワはフォーレの歌曲全曲を一人で歌ったアルバムにすっかり魅了されて、以後チェックしている歌手です。レパートリーはものすごく広くて、フランスバロックからジャズまで幅広く歌っていますが、決して声楽的に歌いすぎず、美しいフランス語で優しく語りかけてくるタイプの歌手ですね。一度ハマるとこの魅力に取り憑かれる人は多いかと思います。
ガブリエル・デュポンはあまり馴染みのない作曲家ですが、1878年にフランスのカーンで生まれ、教会オルガニストであった父から音楽教育を受け、パリに出てヴィエルネやマスネに習ったのち、最終的にはヴィドールに師事した方。ローマ大賞なども狙ったけれど、この賞は何しろラヴェルですらなかなか苦労した賞ですから、失敗(カプレが1位、2位がデュポン、3位がラヴェル!)。でもオペラや交響詩などで少しずつ知られていったのですが、残念ながら1914年に38歳の若さで結核で亡くなられてしまいました。作品はピアノ曲が知られているけれどほとんど演奏されないでしょうか・・・。
結核で亡くなられた芸術家は本当に多いですね。私事ですが、先月生まれて初めて肺炎になりましたレントゲンで真っ白になった肺を見せられて、頭の中も真っ白になりましたが、その時の苦しかったこと・・・今はほぼ全快していますが、当時の結核患者さんはこんな状態が長く続いたのでしょうか、その苦しみが偲ばれます。
ここに収められている歌曲は初期の2曲を除いて1901年から1912年に作曲されたものとのこと。デュポンに結核の兆候が出たのが1903年頃とのことですから、ほとんどの作品は病魔に蝕まれながら作曲されたのだと思います。この頃ヨーロッパでは戦争の足音が響いてきていた時代で、その後第1次世界大戦では多くの作曲家が若いうちに命を落としています。デュポンは戦争で亡くなったわけではないですが、この時代に夭逝した作曲家たちの作品、英国のバターワースなどもそうですが、を聴くと、その運命に想いを馳せて儚さを感じます。
さて、早速聴いてみましょう。全部で31曲。柔らかい歌声と美しいフランス語から浮かび上がってくるのは、繊細で時にやはり儚さ、壊れやすい心の動き。印象としてはフォーレドビュッシーの影響が強いけけれど、もう少し甘口。取り上げている詩人はポール・ヴェルレーヌ、アルフレッド・ド・ミュッセ、アルチュール・ランボーエミール・ヴェルハーレン、ジャン・リシュパン、ジョルジュ・ローデンバックスチュアート・メリルなどの繊細でありながらも時に大胆なテキスト。彼は特にこだわりがあったと言うよりも、見つけて気に入った詩に歌をつけていったようです。
1曲ずつじっくりと聴きいてみましょう。
Le Foyer(暖炉)
ヴェルレーヌの詩に寄り添うように、静かな分散和音が灯す穏やかなランプの光。その光の下で、愛する人の瞳を見つめながら物思いにふける情景が描かれています。デュボワの歌声は、ほとんどヴィブラートをかけず、儚さを残したまま愛の安らぎを表現します。中間はお遠くほど強い表現も聴かせます。ピアノの音符が織りなす余韻は、まるで時が静かに溶けていくかのよう。
Les Caresse(愛撫)
ジャン・リシュパンの詩のもと、言葉の音楽性が官能的な喜びに変わる瞬間を描きます。愛する人の声が耳元で囁かれるとき、言葉の意味は二の次。声そのものが心に触れ、見えない手が肌を撫でるような陶酔感に包まれます。デュボワは、囁きにも似た柔らかな声色で、聴き手を恍惚の世界へと誘います。
Chanson des noisettes(ヘーゼルナッツの歌)
トリスタン・クリンソールの詩によるこの歌は、小さなヘーゼルナッツの冒険を語る寓話のよう。3つのナッツが森の中で踊り、王様の娘たちのようにくるくると回る愛らしい情景が、軽快で遊び心のあるピアノ伴奏とともに描かれています。物語の最後には、ナッツたちを待ち受ける意外なあっけない結末も…。
À la nuit(夜に)
夜の静けさを歌うこの作品は、穏やかな分散和音の上に乗せて、ヴェルレーヌが描く夜の幻想を鮮やかに浮かび上がらせます。ところが、この夜の歌はただの静寂ではありません。心の奥底では、夜の熱に浮かされて思わず興奮してしまったかのような高揚が潜んでいるのです。
Chanson(歌)
ルフレッド・ド・ミュッセの詩による《Chanson》は、愛の苦しみと心変わりについて心との対話を描きます。デュボワは声色を巧みに変えながら、心が語る答えに耳を傾ける主人公の複雑な心情を見事に表現しました。まるで心が自分自身と対話しているかのような、静かながらも緊張感のある一曲です。
Sérénade à Ninon(ニノンへのセレナーデ)
ニノンという純粋無垢な少女に愛を教える歌。愛を知らぬ人生ならば惜しみなく捨てる——そう歌う声には、ニノンへの愛情と情熱が溢れています。ピアノ伴奏は、穏やかな中にも情熱的な想いを漂わせ、ニノンの心にそっと触れるような優しさを感じさせます。
Le Jour des morts(死者の日)
死者への祈りが込められたこの歌は、声の色を暗くし、厳粛な空気を漂わせます。やがて、死への意識が高まり、病の影が忍び寄る中、歌は徐々に大きく盛り上がり、希望の終焉を歌い上げます。最後には挑戦も葬られ、諦観へと導かれる静けさが訪れます。
Monsieur Destin(運命氏)
短調の中にユーモラスな語り口を交え、運命という不可避の力が嘲笑うかのように回り続ける様子を描きます。ピアノは運命の歯車が回り続ける様子を模倣し、デュボワの声は運命の気まぐれさを皮肉に表現しています。
La Rencontre(出会い)
初めて愛する人と出会った瞬間の微笑み、あの密かなときめきを静かに、しかし情感豊かに歌います。デュボワは、声の陰影を細かく変えながら、心の中に生まれた柔らかな感情の移ろいを見事に表現しました。
Le Baiser(キス)
キスの甘美な味わいを、ユーモラスながらもけだるい雰囲気で描きます。詩はユーモアに富んでいますが、デュボワの歌は静かに情熱を滲ませ、ピアノ伴奏はまるで印象派の絵画のようにキスの余韻を描き出します。
Le Jardin mouillé(濡れた庭)
ピアノが繰り返す音型は雨だれそのもの。濡れた庭の情景が繊細に描写され、聴き手の心の内側にもそっと影を落とします。雨が心の奥深くに重ねられることで、内面の孤独と静けさが響き合う、美しくも物哀しい歌です。
Pieusement(敬虔に)
静かに始まるこの歌は、やがて内面的な苦しみを深刻に語ります。デュボワの声は、静寂から絶叫へと至るまで、苦悩と信仰の葛藤を見事に描き出しました。驚くほど激しい感情の爆発に、聴き手は圧倒されます。
Il pleure dans mon cœur(私の心に雨が降る)
ヴェルレーヌの名作《Il pleure dans mon cœur(私の心に雨が降る)》は、心に降る涙のような悲しみをそっと描き出します。ニュアンス豊かなデュボワの歌声は、理由もなく溢れる涙の虚無感を的確に表現し、心情の揺らぎを静かに映し出します。
Chanson d’automne(秋の歌)
悲しみを引きずるような旋律で始まる《Chanson d’automne》。跳躍する旋律の上の柔らかな声のニュアンスが、秋の物悲しさをより一層引き立てています。静かながらも胸を締め付けるような歌です。
Les Effarés(うろたえた者たち)
ランボーの詩による《Les Effarés》は、焼きたてのパンを窓越しに見つめる貧しい子供たちの姿を儚く描きます。デュボワの声は、子供たちの無垢な願望と空腹の悲しみを静かに歌い上げ、聴き手の心に余韻を残します。
Mandoline(マンドリン
ヴェルレーヌの詩集『艶なる宴』に収められた《Mandoline》は、軽やかなセレナーデとして歌われます。ドビュッシーフォーレにも同じ詩の歌がありますが、また違ったニュアンス。スペイン風かな。歯切れの良いピアノの音型の上で、デュボワの声はフランス宮廷の優雅な情景を生き生きと再現しています。
Ophélia(オフィーリア)
ランボーの《Ophélia》は、シェイクスピアの悲劇的なヒロイン、オフィーリアの幻想的な情景を描きます。ピアノは水面の揺らぎを繊細に表現し、デュボワの歌声はまるで絵画のようにオフィーリアの悲劇を鮮やかに浮かび上がらせます。
Douceur du soir !(夕暮れの優しさよ!)
ローデンバックの詩による《夕暮れの優しさよ!》は、静かに忍び寄る夕暮れの影を、穏やかで優しい旋律で描きます。その静けさの中には、死の影が静かに潜んでいることも感じ取れます。
Sur le vieux banc(古いベンチで)
最後の曲《Sur le vieux banc》は、古いベンチに座りながら、穏やかな風景の中で静かに人生の終焉を受け入れる情景を描いています。死の訪れを愛とともに穏やかに迎え入れるかのような静けさが、アルバムの終焉を美しく締めくくります。
ガブリエル・デュポンの歌曲集は、愛の甘美さと苦しみ、死への静かな受容、そして自然の美しさへの憧れを繊細に描き出しています。デュボワの感情豊かな歌声と、ニュアンスに満ちたピアノの響きが、これらの詩の世界観を余すことなく表現しており、聴き手の心に深い余韻を残す作品です。このアルバムを通して、デュポンが描いた愛と死の狭間に漂う美しい情景に、思わずそっと寄り添うことができます。なんて美しい歌でしょう。ガブリエル・デュポンが紡ぎ出す世界に浸る時間は、まるで詩と音楽が手を取り合い、心の奥底へ語りかけてくるようでした。この歌曲集は、愛、孤独、死、そして自然への憧れといったテーマを抱えながら、静けさの中に潜む情熱や絶望を繊細に描き出しています。
デュボワの歌とラエのピアノは本当に素晴らしい・・・この柔らかな語り口、そしてピアノの穏やかながらも詩に寄り添った演奏は、とても気持ちを優しくしてくれます。素晴らしいアルバムでした。