クラシックとオーディオの日々

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エリック・ルーによるショパン作品集

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今晩は、ドイツ・グラモフォンから11月21日にリリースされた、エリック・ルーによるショパン作品集を聴きます。
収録曲は以下の通り。
 
1 ワルツ 嬰ハ短調 op.64-2
3 3つのマズルカ op.56
 第1番 変ロ長調 アレグロ・ノン・タント
 第2番 ハ長調 ヴィヴァーチェ
 第3番 ト短調 モデラー
6 バラード 嬰ヘ長調 op.60
ピアノ・ソナタ 変ロ短調 op.35
8 I. グラーヴェ – ドッピオ・モヴィメント
10 III. 葬送行進曲(マルシュ・フュネーブル)レント
11 IV. フィナーレ プレスト
 
これはもうご存じの通りショパンコンクールの本選の録音。すでに聴かれた方も多いでしょう。
ショパンコンクールについては私は時間が無くてまったく観れませんでした。配信をたくさん聴かれた方はきっと凄いショパン通になっているでしょう。私ごときが何か書くのもはばかられますが、何の先入観なく聴いてみたいと思います。
エリック・ルーは2018年にリーズ国際コンクールで優勝してから何枚もアルバムを出しています。リーズの審査員長だったポール・ルイスによると、当時20歳のルーを楽曲が持つ個性を損なうことなく、ピアニストとしての独自性と説得力のある表現ができていると述べていて、デビューアルバムのベートーヴェンの協奏曲第4番とショパンピアノソナタ2番、バラードの4番が収められています。(2018)
さらにはモーツァルトシューベルトブラームスの後期の作品集(2018)
シューベルトソナタ20番と14番(2022)
こんなに活躍している人がまだコンクールを受けるのかと思うと同時に、常に前を向いている姿勢には感服しますね。と、同時にこのショパンコンクールはすでに大コンクールで優勝していて、地道に活動しているピアニストを再発掘したとも言えるかも。エリック・ルーはリーズ優勝の頃は多少話題になったかもしれないけれど、ショパンコンクールまではそれほど知られたピアニストではなかったでしょうから、そういう意味ではショパンコンクールの功績は大きい。
 
さて、聴いてみましょう。
まずは録音ですが、いかにもコンクールの空気感が感じられるバックグラウンドトーン。静かに聴き入る聴衆の中、美しい音が広がります。これは特にイマーシブで聴くとよりその臨場感が伝わってきます。
ピアノはファツィオリですね。前回の優勝者ブルース・リュウもそうでしたから2回連続ということになりますね。このピアノらしい透明でクリア、そしてダイナミックレンジの広さ、ピアニッシモの美しさがよく捉えられています。
 
まずは名曲ワルツ 嬰ハ短調 op.64-2。哀愁漂う旋律が素敵で、ワルツでありながらノクターンのような香りのする曲。ルーはまずはテクニックを見せるのではなく、じっくりと歌い、微妙なアゴーギクも下品にならず、よくあるアッチェルランドも抑えめ。この曲の持つ内面性を感じさせる演奏です。
 
続くノクターン嬰ハ短調op.27-1。ショパンノクターンの中でも最も劇的な曲かな。冒頭は祈るように沈んだ響き。響きは内向的で右手の歌も決して派手に歌わずゆっくりと噛み締めるよう。美しい前半です。中間部は徐々に感情を高め、頂点では高らか。小さいバラードのようなドラマティックですが、そこには抑制された情念のようなものが感じられます。そして再び静けさの中の歌へ。ここでは内面的静けさと共に消えていきます。
 
3つのマズルカ op.56 第1番 変ロ長調。ここでは微妙なリズムのずれが特徴的ですが、ルーの演奏は民族的な舞曲というよりは内側を見つめるような磨かれた抒情。軽やかさよりもほんのりと重く、単なる舞曲ではなく、和声の微妙な変化が濃淡を描いています。
 
第2番 ハ長調は一転して明るく快活。民俗的リズムが骨太に刻まれます。微妙なアクセントのずらしや、軽さではなく、特有の重さが息づいていて、ショパンが民族的なルーツを常に意識していたと感じさせる作品と演奏。
 
第3番 ト短調は重い足取りで始まります。中間部の変ロ長調の光が一瞬射した後、再び沈んでいきます。もはや舞曲ではなくて1曲の芸術作品。ルーの演奏は和声の変化が光と影となり進行が象徴的。ファツィオリの陰影のある中音域とピアニッシモも特徴的で、この演奏に生かされているように感じます。ショパンの晩年の孤独と内省が聴こえてくる名演。そこには若さよりもベテランの味わいが感じられますね。
 
バラード 嬰ヘ長調 op.60。四つのバラードの中でも、もっとも静かで深い作品。導入は水面に波紋が静かに広がるように始まります。ハッタリのないテンポと内側に向いていく音楽が特徴でしょうか。主要主題が慎ましく歌われます。激情的なバラードでは決してありません。ナチュラルで内側を見つめるかのような演奏。大人の演奏です。そして夢見るような右手のパッセージはファツィオリの音色の美しさを最大限に生かしています。中間部では興奮が高まり、左手の大跳躍と巨大な和音群が荒れ狂いますが、情緒的な爆発ではなく、どこか客観的にコントロールされた激動。ヒステリックな音は一切聴こえません。再び深い静寂へ戻っていきます。ショパン叙事詩的・内省的な世界を最も純度高く示した演奏ではないでしょうか。
 
ポロネーズ 変ロ長調 op.71-2は比較的若い時期の作品。重厚さよりも軽さと気品、そして舞踏的な優雅さが感じられます。ルーの演奏は丁寧で飛ばしすぎず、気品のある華やかさが感じられます。タッチは粒だちがよくて、これはファツィオリの特性でしょうか。随所に挟まれる高音のパッセージが実に美しい演奏です。
 
最後はピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調 op.35「葬送」。第1楽章 Grave – Doppio movimento暗く不穏な序奏から、緊張感に満ちた主部へ。ここでルーは今までに見せなかった表情を見せます。冒頭の音はかなり強烈で、テンポは前進的で速め、しかし第2主題の夢見るような主題の対比が鮮烈。音色がしかし明るいので、悲壮感はありません。テンポの設定のバランスが絶妙でラプソディックに弾かれがちなこの曲の構造が透けて見えるような設計。
第2楽章 Scherzo。ここでも疾走感が強調されすぎず、乱暴さとか見栄を切ったようなところがなくて、テンポは遅くないのに重さすら感じさせる演奏。トリオはテンポをかなり落として深い音楽にしていますね。これは私の部屋のオーディオシステムのせいかもしれませんが、左手の低音が今まで聴いてきた演奏よりもバスが大きめ。低音がよく収録されている優秀録音ということなのかもしれませんが、より深みが感じられました。トリオ主題が最後に回想される時のためらったような表情が美しい。
 
第3楽章 Marche funèbre(葬送行進曲)、言わずと知れた楽曲史上最も有名な葬送行進曲。テンポは過度に重すぎず、安定した左手の刻みの上を壮大で感動的なフレーズの山を築きます。淡々としているようでこの盛り上げ方が上手いのはテンポを崩さないことからくるように感じます。天国的な中間部は非常に透明な音色。テンポを崩さず、夢見るようなファンタジーというよりは、精神的な静けさ、といったらいいかしら・・・。後半、繰り返しは前よりも音量を抑え、より沈んだ響きにしています。
第4楽章 Finale – Presto。この曲は何度聴いても謎の音楽ですね。どう表現したらいいんだろう。死後の世界のさざなみ?あるいは荒れ果てた墓地に吹く風?ルーの演奏は即物的と言ったらいいでしょうか、テンポはあまり揺らさず、あるがままに書かれた音を冷たく研ぎすまれた音で弾いていきます。ハーモニーの微妙な変化が明確、そして最後の終結の響きも素晴らしい。
終わった後には拍手が収録されています。ブラボーと叫びたくなる演奏ではなく、静かな感動がじわじわ広がってくるような拍手です。
 
聞き終えて感じたのは、エリック・ルーはもう完成された演奏家であるということ。若さあふれるエネルギッシュさとかよりも、深く思考し、構築し、そして非常に誠実な演奏であったと思います。そして何より彼の持つ音色の美しさとファツィオリの音の相乗効果もあって非常に美しい音でまとめられています。
他のコンクールの演奏は全く聴いていないけれど、この大人で成熟したショパンは他の演奏者とはかなり違った個性として響いたのでしょうね。それが優勝につながったのでは、と感じました。
 
この方、ショパンよりはベートーヴェンとかシューベルトの方があっているんじゃないかしら?と思ってたら次の彼のアルバムはシューベルト即興曲のようです。シューベルトソナタもちょっと聴いてみたくなりました。
ショパンコンクールで「再発見」されたエリック・ルー。これを機にますます活躍し、偉大なピアニストになる予感がしました。
 

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