
今晩は、アルカナから2026年3月27日にリリースされた、エヴァンゲリーナ・マスカルディのリュート独奏、エストロヴァガンテ、リッカルド・ドーニの音楽監督による『Beyond Vivaldi: Lute Concertos』を聴きます。
ここのところ宗教曲を聴くことが多いのでちょっと箸休め的に聴いてみた一枚ですが、これがとても良かった。ヴィヴァルディの有名なリュート協奏曲RV93を軸に置きながら、ヨハン・ルートヴィヒ・クレープス、ヨアヒム・ベルンハルト・ハーゲン、ヤーコプ・フリードリヒ・クラインクネヒト、カール・イグナーツ・アウグスティン・コハウトという、ふだん一枚のアルバムで並ぶことの少ない作曲家たちを集めた意欲的な内容です。
収録曲は以下の通り。
ヨハン・ルートヴィヒ・クレープス:ヘ長調 リュート協奏曲
第1楽章 アレグロ
第2楽章 ラルゲット
第3楽章 アレグロ・アッサイ
ヨアヒム・ベルンハルト・ハーゲン:ニ短調 リュート協奏曲
第1楽章 アレグロ・ノン・モルト
第2楽章 ポコ・アンダンテ
第3楽章 アレグロ
アントニオ・ルーチョ・ヴィヴァルディ:ニ長調 リュート協奏曲 RV93
第1楽章 アレグロ
第2楽章 ラルゴ
第3楽章 アレグロ
ヤーコプ・フリードリヒ・クラインクネヒト:ハ長調 リュート協奏曲
第1楽章 アレグロ・コン・ブリオ
第2楽章 アンダンテ・ディ・モルト
第3楽章 タンティーノ・アレグロ・エ・グラツィオーソ
カール・イグナーツ・アウグスティン・コハウト:ホ長調 リュート協奏曲
第1楽章 アレグロ・マ・ノン・モルト
第2楽章 ラルゲット
第3楽章 アレグロ
演奏は以下の通りです。
エヴァンゲリーナ・マスカルディ:リュート
エストロヴァガンテ
リッカルド・ドーニ:音楽監督、チェンバロ
カルロ・ラッザローニ、ダヴィデ・メダス、レジーナ・ユゴヴィチ:第1ヴァイオリン
バルバラ・アルトベッロ、クリスティアーナ・フランコ、マリア・アレハンドラ・ペーニャ・ラミレス:第2ヴァイオリン
ピエルフランチェスコ・ペラ:ヴィオラ
ジュリオ・パドイーニ、レオナルド・ガッティ:チェロ
マリオ・フィリッピーニ:ヴィオローネ
エリーザ・ラ・マルカ:テオルボ
ソリストのエヴァンゲリーナ・マスカルディは1977年ブエノスアイレス生まれ。ブエノスアイレスとバーゼルでギターとリュートを学び、エスペリオンXXI、イル・ジャルディーノ・アルモニコ、ゼフィーロ、モンテヴェルディ合唱団など、古楽界の第一線で長く演奏と録音を重ねてきました。近年は独奏活動でも存在感を強め、J.S.バッハのリュート作品全集やヴァイスの録音で高い評価を受けていますね。ローマのサンタ・チェチーリア音楽院で教える奏者でもあり、学識と実演の両方を備えた人です。
合奏団を率いるリッカルド・ドーニはロレンツォ・ギエルミに学び、その後バーゼルでジャン=クロード・ツェーンダーのもとさらに研鑽を積んだオルガニスト、チェンバロ奏者。イル・ジャルディーノ・アルモニコとは30年にわたる関係を築き、エンリコ・オノフリのImaginarium Ensemble、ジュリアーノ・カルミニョーラとの共演でも知られ、アッカデミア・デッラヌンツィアータを率いて活発な演奏と録音を行っています。
合奏団のエストロヴァガンテはドーニの発案でミラノに生まれたアンサンブルで、名称はヴィヴァルディの曲集「調和の霊感」(L’estro armonico エストロ・アルモニコ)を思わせる言葉遊びです。2024年にイリヤ・グリンゴルツとミラノ・アルテ・ムジカでデビューし、ミラノ周辺の優れた古楽器奏者を集めた団体として注目されています。すでにジョヴァン・バッティスタ・リッチョに捧げたディスクを発表し、さらにナイーヴのヴィヴァルディ・エディションにも関わるなど、発足間もないとは思えない充実ぶりを示しています。
早速聴いてみます。
まずクレープスのヘ長調協奏曲。ヨハン・ルートヴィヒ・クレープス(1713–1780)は、ドイツ・バロック後期の作曲家、オルガニストで、J・S・バッハのもっとも有能な弟子のひとりとして知られています。1713年にビュットシュテットで生まれ、父ヨハン・トビアス・クレープスから最初の音楽教育を受けたのち、1726年からライプツィヒのトーマス学校で学び、バッハのもとで長く研鑽を積みました。そこで鍵盤楽器だけでなく、リュートやヴァイオリンも学び、バッハの教会音楽やコレギウム・ムジクムの活動にも関わっていたとされています。
クレープスは、とくにオルガニストとして高く評価された人物で、後世の伝記家フォルケルは、バッハ門下の中でも際立った存在だったことを伝えています。実際、彼はツヴィッカウの聖マリエン教会、ツァイツ城、そして最終的にはアルテンブルク宮廷でオルガニストを務めました。一方で、作曲家としてはオルガン曲だけでなく、クラヴィーア曲、室内楽、協奏曲、教会音楽も残しており、バッハ的な対位法と当時の新しいギャラント様式の両方をあわせ持つのが特徴です。
ここに収められている作品で興味深いのはクレープスが「バッハの弟子」であるだけではなく、リュート協奏曲というやや珍しい分野にも確かな作品を残していることです。資料上、彼にはリュートと弦楽のための協奏曲が2曲あったことが確認されており、この録音のヘ長調協奏曲 Krebs-WV 203 もその一つです。彼のリュート作品が伝わった背景には、ルイーゼ・アーデルグンデ・ヴィクトリア・ゴットシェートとのつながりも重要で、彼女はクレープスから教えを受けた教養ある音楽愛好家であり、リュート作品の伝承に大きな役割を果たしました。
音楽的には、ヴィヴァルディのような劇場的な推進力よりも、整った構成感と歌うような旋律の美しさが印象に残ります。バッハ門下らしい端正さを保ちながら、重すぎず、18世紀半ばへ向かうやわらかな語法も感じられるので、まさにバロックと前古典派のあいだに立つ作曲家として聴くと面白いです。クレープスは、単に「バッハの優秀な弟子」なのではなく、バッハの技法を受け継ぎながら次の時代の感覚へ橋を架けた人物と見るべきでしょう。
マスカルディはここで、リュートの柔らかさを前面に出しながら、輪郭を曖昧にしません。第2楽章ラルゲットでは、歌心がすっと前に出て、旋律が器楽というよりアリアのように感じられます。第3楽章は軽快ですが、軽薄にはなりません。この作品を聴くと、リュート協奏曲が単なる珍しい編成ではなく、バッハ周辺の語法の中で十分に成立していたことがわかります。
ハーゲンのニ短調協奏曲に入ると、空気が一段と引き締まります。ヨアヒム・ベルンハルト・ハーゲンは、18世紀ドイツ後半に活躍したリュート奏者、ヴァイオリン奏者、作曲家で、しばしばドイツ・リュート音楽最後の重要作曲家と見なされます。1737年からバイロイト宮廷に仕え、のちにアンスバッハでも活動しました。バイロイトでは当時フリードリヒ大王の姉に当たるヴィルヘルミーネが大変音楽に力を入れていて、その宮廷文化の中で育った彼の音楽は、ヴァイス以後のリュート音楽を受け継ぎながら、より感受性の強い18世紀半ばの様式へ踏み出しています。このアルバムのニ短調協奏曲でも、リュートは繊細というより、むしろ陰影の濃い劇的な独奏楽器として響いています。
第1楽章は陰影が濃く、弦楽のリトルネッロとリュートの応答に劇性があります。第2楽章では、静かな抒情が前に出ますが、マスカルディは感傷に流れず、細い線で緊張を保ちます。第3楽章は簡潔で勢いがあり、こちらもこの人の作品が前古典派への橋渡しにあることを感じさせます。
そして次のヴィヴァルディのRV93は、やはりこのアルバムの中心にある作品。解説によるとこの室内協奏曲ニ長調RV93は、1730年から1731年ごろのプラハ滞在期に成立したと考えられていて、自筆譜には『ヴルトビ伯爵閣下に』という献辞が記されています。ボヘミア由来の紙が使われていることも含め、この作品がプラハの貴族的な音楽文化の中で生まれた可能性は高く、成立事情の見えやすいヴィヴァルディ作品としても興味深いです。独奏リュートと2挺のヴァイオリン、通奏低音という親密な編成も、この曲が大規模な公開協奏曲というより、洗練された室内的対話の音楽として構想されていたことを感じさせます。
第1楽章はヴィヴァルディ的な明快さよりも落ち着きが感じられ、第2楽章ラルゴではリュートの静かなソロ(これはマスカルディによる楽譜にない即興かな)から始まり、弦楽器の持続音の上にヴィヴァルディらしい美しいメロディ、繰り返しではセンスの良い装飾が加わります。後半、マスカルディは突然刺激的なアクセントを入れていて驚きと変化を楽しめますね。第3楽章の簡潔な推進力は、何度聴いても見事です。
しかしこのアルバムでは、ヴィヴァルディを頂点として周囲を添え物にする並べ方にはなっていません。むしろRV93を基準点に置くことで、他の作品がどれほど多様な方向へ伸びていったかが聴こえてきます。
続くクラインクネヒトのハ長調協奏曲は、華やかさと優雅さが前面に出ます。
ヤーコプ・フリードリヒ・クラインクネヒト(1722–1794)は、ドイツの作曲家、フルート奏者、ヴァイオリン奏者、のちには宮廷楽長として活動した人物です。1722年にウルムで生まれ、音楽家の家系に育ちました。1737年にはアイヒシュテットの宮廷礼拝堂に仕え、1743年からはバイロイト宮廷でフルート奏者となり、1747年にはヴァイオリンにも転じています。1763年に宮廷作曲家、1764年に宮廷楽団の音楽監督となり、1769年には宮廷の移転に伴ってアンスバッハへ移り、最終的にはプロイセン王室のカペルマイスターの称号を持つまでになりました。
作品数はかなり多く、室内楽、協奏作品、交響曲などを手がけていますが、特に多いのはフルート作品ですね。18世紀にはフルート・ソナタやトリオがパリ、ロンドン、ニュルンベルクなどで広く流通し、かなり実用的で人気のある作曲家だったことがうかがえます。作風は、後期バロックの名残と前古典派の明快さが交わる「過渡期」の音楽で、重厚な対位法よりも、歌いやすい旋律、均整のとれた楽章構成、宮廷的な優美さに魅力があります。
クラインクネヒトがいたバイロイト宮廷は辺境伯妃ヴィルヘルミーネのもとで非常に洗練された宮廷文化を築き、リュートもまだ重要な楽器として生きていました。ただこの曲はもともとフルート協奏曲だったものをリュート用に編曲した可能性も指摘されていて、彼は「純粋なリュート作曲家」というより、宮廷で求められる実用と洗練を兼ね備えた作曲家で、それでフルートの作品がリュートに移し替えられたのでしょう。
このハ長調協奏曲を聴くと、ヴィヴァルディのような劇場的な推進力よりも、むしろ18世紀半ばの宮廷的な上品さが前に出ます。第1楽章の明るい活気、第2楽章のやわらかな歌、第3楽章の軽い舞曲感覚は、まさにバロックから古典派へ向かう中間地帯の魅力です。クレープスに比べるとバッハ的な厳しさは薄く、ハーゲンほど陰影も濃くない。その代わり、耳あたりのよい自然さと、整った均衡感があります。ここがクラインクネヒトの持ち味です。第1楽章アレグロ・コン・ブリオは、題名通り生気に満ち、弦楽とのやりとりも快活です。第2楽章では旋律がよく歌い、表情は穏やかですが、内声の動きに耳を澄ますと書法の巧みさがわかります。第3楽章は優美で、どこか舞曲的でもあります。この曲では、弦合奏のエストロヴァガンテの軽妙さが特によく生きています。音楽が重くならず、しかし薄くもならない。古楽器アンサンブルとして理想的な身のこなしです。ヴィヴァルディの劇的推進とは異なり、ここでは宮廷的な洗練が魅力ですね。
そして最後のコハウトのホ長調協奏曲が、このアルバムの白眉でしょう。カール・イグナーツ・アウグスティン・コハウト(1726–1784)は、ウィーン生まれのオーストリアのリュート奏者、作曲家、そして官僚でした。1750年代後半からハプスブルクの官僚機構に入り、1778年には宮廷・国家官房の書記官になっていますが、その一方で当時のウィーンで音楽家としてのコハウトは、いわば「最後のウィーンの大リュート奏者」と呼べる存在でした。先ほどのベルンハルト・ヨアヒム・ハーゲンと並んで、後期バロックから古典派への移行期における、リュート音楽最後の重要作曲家のひとりとされています。また、彼は単なるリュート奏者ではなく、18世紀後半のウィーン音楽文化の中に深くいた人物で、ゴットフリート・ファン・スヴィーテンのサロンではヴァイオリンも弾き、ハイドンやモーツァルトの作品が演奏される場に関わっていたことが伝えられています。コハウトは、古いリュート文化の末裔であると同時に、新しい古典派の空気にも触れていた人です。この二重性が、彼の音楽の面白さにつながっています。
このアルバムのホ長調リュート協奏曲は古いリュート語法の名残だけでなく、より広い和声感覚と明るい古典派的な見通しがあります。しかもホ長調という珍しい調性を使うことで、リュートにかなり高い技巧を要求しています。彼はリュートを親密な室内楽器として扱うだけでなく、まだ協奏曲の主役として成立させようとしていたのです。まだリュートに未来を感じ、どこまで近代的な表現ができるかを試した作曲家だったのではないでしょうか。第1楽章は長く、構成も雄大で、リュートがアルペッジョや急速なパッセージがありますが、マスカルディは派手に聴かせるのではなく。柔らかな本来のリュートの響きを大切にしながら弾いています。第2楽章ラルゲットは、ここでもマスカルディが即興的な前奏を和声豊かに弾いてから始まります。単なる休息ではなく、和声の変化の奥深さを聴かせる楽章でしょうか。第3楽章は再び活気を取り戻し、終曲としての明るさがあります。ここで感じるのは、リュート協奏曲というジャンルが、ヴィヴァルディの周辺で完結したのではなく、もっと後の時代へ向かって伸びる可能性を持っていたということだと思います。
録音は、オーケストラは鮮烈な音。そしてリュートの繊細なアタックを自然に拾っています。音像は明るく、響きは自然で、細部の見通しも良好です。とくに通奏低音と独奏リュートの関係がよくわかるため、音色の美しさだけでなく、和声の支えや対話の構造まで耳に入ってきます。解釈面でも、過度に学究的に固めるのではなく、即興性や呼吸の揺れを大切にしているのがよくわかります。この柔軟さがあるからこそ、初めて聴く作品にも生命感が宿ります。
このアルバムの価値は、未知の作品を集めたことだけにはありません。ヴィヴァルディというあまりに強い中心の周囲に、こんなにも多彩で魅力的なリュート協奏曲の世界が広がっていたことを、演奏の質そのもので納得させてくれるところにあります。リュートは小さな声でささやくだけの楽器ではなく、弦楽と対話し、時代の変化まで映し出す楽器なのだと教えてくれます。リュート協奏曲の歴史を一気に聴かせてくれる貴重なアルバムでありました。