
今晩は、ナクソスから12月5日にリリースされたアルブレヒト・メンツェルのヴァイオリンによるメンデルスゾーンとシューマンのヴァイオリン協奏曲集を聴きます。
収録曲は以下の通り。
フェリックス・メンデルスゾーン(1809–1847)
ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64(1838–44)
第1楽章:アレグロ・モルト・アパッショナート
第2楽章:アンダンテ
第3楽章:アレグロ・ノン・トロッポ ― アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ
ロベルト・シューマン(1810–1856)
ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 WoO 1(1853)
第1楽章:力強く、あまり速すぎないテンポで
第2楽章:ゆっくりと
第3楽章:生き生きと、しかし速すぎずに
アルブレヒト・メンツェル(ヴァイオリン)
ライプツィヒ交響楽団
ロバート・ファン・シュタイン(指揮)
ソリスト、指揮者、オーケストラとも聴いたことのない方々。でもたまには超名曲のメンデルスゾーンを聴きたくなって選んだ1枚。
ヴァイオリン独奏のアルブレヒト・メンツェルは、1992年生まれの33歳。国際リピンスキ・ヴァイオリン・コンクールで優勝、パガニーニ国際コンクールでも上位入賞している実力派。ただ録音はそれほど多くなくて、シューマンのソナタ集などで2015年にアルバムデビュー以来久しぶりの録音。なかなかのイケメンかな。楽器は1709年製ストラディヴァリウス「レディ・ハレ/エルンスト」。
https://tarisio.com/cozio-archive/property/?ID=40287
指揮のシュタインとライプツィヒ交響楽団はいわば地方オケ。ゲヴァントハウスの名前に隠れてしまっているけれど演奏は堅実な感じ。
ブックレットに書かれているメンツェルの文章によると、彼が19歳の時にライプツィヒでクルト・マズアの指揮のもとで演奏し、深い体験を得たことについて語っていて、追悼ではないけれど、その音楽を継承していく意志が感じられますね。
さて、演奏。まずは録音、ナクソスらしいさっぱり、すっきりとした音でまとめられています。ヴァイオリンの音は清潔感に溢れて、線は細め、そしてバックのオケの音は柔らかく透明。
この透明感はもしかしたら新しく導入したDACとDDCのおかげもあるかな。システムを入れ替える前だとさほど魅力的に感じられなかったこのアルバムの音が、今は素晴らしいクリアさ。そしてとても音楽的に鳴ります。さすがDACのメーカーがMusicianだけあるなぁ。
メンデルスゾーンは演奏にすごい個性があるというのではなく、あるがままに作品を演奏している、ナクソス的な演奏。でもそれが返ってこの作品の良さが感じられますね。
この曲はメンデルスゾーンがいいメロディが浮かんだと言って、親友でありライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートマスター、フェルディナント・ダヴィッドの助言を受けつつ、6年もの歳月かけて完成させたもの。あまりに有名で当たり前のように聴いてしまいますが、コンチェルトとしては非常に独創的ですよね。いきなり伴奏に乗ってヴァイオリン独奏が名旋律を奏でるけど、よく考えたらこの頃のコンチェルトは全て長くてちょっと仰々しいオーケストラの前奏があってから始まるのに、いきなり。
それからカデンツァがメンデルスゾーン自身で楽譜に書かれているのも当時としては斬新。当時は大体演奏者が即興や自作をして演奏していたことを考えると画期的だし、終結部じゃなくて再現部直線に置かれているのも、音楽の構成を考え抜いた結果でしょう。
そして3つの楽章が切れ目なく演奏されるのは、メンデルスゾーン自身が演奏者の経験として、当時は楽章間で拍手が起こるのが普通であったので、あえて続けることで3つの楽章が一つの作品としてまとまっていることを示したかったのでしょう。
演奏は先ほども書きましたが、細身で程よい歌と清潔感ある演奏で、決してはめを外さず、華やかさを全面に押し出すタイプではなくて、作品の構造をとバランスを掘り下げて、この協奏曲が本来持つ古典的な形式感と透明性を浮かび上がらせる解釈。バックのオーケストラも同等で、柔らかい音でオケの音を誇示しません。
第1楽章の冒頭も甘美になりすぎず、テンポは安定しつつも前進する感じはしっかりあります。時に品の良いポルタメントは使いますが、全くいやらしい感じがしません。再現部の前に置かれたカデンツァも技巧を見せびらかせるのではなく、ハーモニーと構造を意識した演奏。
このあたりがクルト・マズアの音楽性の継承と言えるのかも。
第2楽章はメンデルスゾーンならではな清らかな抒情が、メンツェルの抑制された歌い回しでナチュラルに奏されます。ヴィブラートは節度を保っているため、過度の感情の誇張がありません。内側をじっと見つめながら弾いている感じ。
終楽章は軽やかでありながら、常にコントロールされている感じ。音が荒く鳴ることは決してなくて、リズムが爽やかな明瞭さ。そして弓の反応がいい感じで、熱狂的な感じはないけれど、舞曲的な性格を描いています。
バックのライプツィヒ交響楽団はとにかく響きが透明。決して全面に出過ぎることなく、控えめでありながらその中でヴィオリンがくっきりと浮かび上がってきます。
全体を通してメンツェルがこの曲をロマン的な名曲ではなくて古典的な洗練された構造を意識した演奏でしょうか。
続くシューマンのヴァイオリン協奏曲。精神的な不調も現れ始めた時期に書かれた、曰く付きの作品ですね。クララとヨアヒムが生前にこの曲の公表に慎重であったこともあったり、1933年にこの曲の遺稿の存在が再確認された時に、当時流行っていた降霊術を通して、シューマンがこの曲の演奏を望んでいるという話が広まったり、メニューインとクーレンカンプどちら初演するかでナチが絡んだりとか、情報多すぎ。
この作品もコンチェルトとしてヴァイオリンの技巧を全面に出す曲ではありません。そしてメンツェルのデビューアルバムがシューマンであったことを考えるとこの作品に対する彼の想いは強いのではないかしら。
演奏はオーケストラはメンデルスゾーンに比べて音質が重くなり、まさにこの曲にふさわしい音に変えています。このあたり、実はこの地味なオーケストラ、実力があるのかも。
そしてメンツェルのヴァイオリンはより深い音色となり、この作品の思索的な曲想をより深めています。
この曲はどうしても初演のクーレンカンプの録音とか古いもので聴いてきたので、そのエピソードとも相まって、常念が渦巻いて、薄暗くて不鮮明で感情面でも仄暗いイメージ、シューマンの亡霊が降霊術で出てくるかのような雰囲気がするのですが(笑)、この演奏はそんな埃を払って、透明な音色の中に、シューマンの感情が行きつ戻りつする複雑な世界を構造的に解き明かしている、という感じでしょうか。
第1楽章は感情を押し出さず、常に抑制的で知的。雄弁さとか力強さよりも、音楽のためらいとか迷いとか、そんな感情をある意味淡々と弾いています。思考的と言ったらいいのかな・・・決して単調ではないけれど、この曲の限界もちょっと感じられるかな。傑作と言っていいのか、悪いのか。
第2楽章は澄んだオーケストラのチェロの音色が印象的。すぐに始まるメンツェルの演奏は、歌いすぎず静かに語りかけるかのよう。低音では心の内側を見せるような深い音色です。
第3楽章、ポロネーズ風のリズムは明確ですが、ソロ、オケとも軽快さよりも重厚さ。決して派手なパフォーマンスはなくてじっくりと攻めていきます。感情的であるよりは知的、即興的であるより構造的。楷書のシューマン。
この作品はついついシューマンの精神的崩壊と結びつけて語られがちですが、ここでの演奏は、そうした物語化を避け、明晰な形式感を強く意識したもの。明晰な形式を意識し、技巧を誇示せず、感情を煽らず、あるがままにこの作品を客観的に俯瞰しつつ演奏しているという印象です。ちょっとおとなしすぎるかな、と感じる人もいるかも。
ということで、時代の近いメンデルスゾーンとシューマンですが、19世紀の2つの音楽観を体現してた協奏曲を、ソリストの自己主張は抑えて思索的に演奏しています。派手ではないけれど、じっくりと心に沁みてくる演奏。アップルミュージックなんか新譜の中では一番最後に置かれているくらいで注目度も低いけれど、作品そのものを味わうのにはうってつけの一枚。ナクソス的な演奏と言っていいかな、客観的にこの曲を知るための録音。久しぶりにこの2曲を改めてじっくりと味わえた一枚でありました。
録音:2025年1月2–4日
ドイツ、ライプツィヒ、クルトゥアハウス・ボルナ
エグゼクティヴ・プロデューサー:イ・ヨンウン
録音エンジニア/ミキシング/デジタル編集/マスタリング:マルティン・シェーンボルン
ブックレット解説:アルブレヒト・メンツェル、 大庭直美
ジャケット写真:ウーヴェ・アーレンス
https://music.youtube.com/playlist?list=OLAK5uy_kVLsStn7eA5EJhcrCIU0pwyNLjmJJCEXw&si=extz1LC-6iuoKuc5
https://classical.music.apple.com/jp/album/1831201484?l=ja-JP
https://open.qobuz.com/album/d23a15d50pcpc
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