
今晩はSteinway & Sonsレーベルで2026年1月2日にリリースされたエリオット・ウーによるドビュッシー作曲《ベルガマスク組曲》、バッハ作曲《カプリッチョ変ロ長調 BWV992》、シューマン作曲《子供の情景》、シューベルト作曲《さすらい人幻想曲》を収録したアルバム《Onward》を聴きます。
収録曲は以下のとおり
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クロード・ドビュッシー:ベルガマスク組曲
月の光
アンダンテ
アダージッシモ
アンダンテ・コン・モート
郵便ラッパのアリア
郵便ホルン模倣のフーガ
ロベルト・シューマン:子供の情景 作品15
見知らぬ国と人々について
珍しい話
訴え
幸せいっぱい
満たされた願い
重要な出来事
炉端で
木馬の騎士
怖がらせ
寝る前に
詩人は語る
アレグロ・コン・フォーコ
プレスト
エリオット・ウー、知らないピアニストですが、一瞬エリック・ルーと間違えそうなお名前(笑)。何気なく聴いてみてとても惹かれました。どうもアルバムデビューなのかな?これ以外にあまり録音が見当たりません。
このエリオット・ウーはアメリカ出身のピアニストで、ジュリアード音楽院で学士・修士を取得し、ロバート・マクドナルドに師事しています。同世代の二倍の年齢の演奏家に匹敵すると評される卓越した技術と音色の多彩さを備えているとのこと。1999年生まれだからまだ26歳くらい?わかっ!2018年ギルモア・ヤング・アーティストに選出され、ヒルトン・ヘッド国際ピアノコンクールやヤマハ国際ピアノコンクール、ぺーゼンドルファーUSASU国際ピアノコンクールなどで入賞し。2025年にはアメリカン・ピアノ・アワードを受賞し、現代をリードする若手ピアニストの一人としてその評価が確立されたような印象を受けますね。演奏活動はかなり活発に行なっていてアメリカ、ヨーロッパ、中国の主要ホールで演奏し、アスペン音楽祭、ラヴィニア音楽祭などでも出演を重ねているよう。
ライナーノートには「無垢さから郷愁へ、憧れから別れへ、夢や幻から、人間精神の絶え間ない希求へ──。それぞれの作品は人生が展開してゆく一つの局面をとらえ、私たちが前へと進んでゆくときに心の内側で経験する旅路を映し出します。」と書かれていてこのアルバムのテーマは前に進みながら(Onward)旅をすることのよう。
アルバムはドビュッシーの《ベルガマスク組曲》で始まります。雄弁な開始は、この若いピアニストの自信に溢れた決意が感じられますね。そして静けさと舞曲の軽快さがほどよく溶け合うような雰囲気を帯びています。音色は実に美しく、ホールの空間も包み込まれるよう。
このスタインウェイのレーベルはやっぱり録音が非常に素晴らしい。弱音からフォルテッシモもまで見事に捉えられています。
特に〈月の光〉では弱音のコントロールがとても上手くて、フレーズの呼吸やルバートの扱いが過剰にならず、月光が濡れた地表を照らすような湿度を感じさせます。一方で〈パスピエ〉では軽やかな推進力が立ち現れ、跳ねるようなリズムがフランス舞曲の快活さと瞬時に変わる音色感が印象主義特有の淡い色彩を結びつけています。
続くバッハの《カプリッチョ変ロ長調 BWV992》は若きバッハが兄の旅立ちに寄せたとされる作品。このアルバムでは旅だちの時に位置するのでしょう。チェンバロで演奏されることが多い曲ですね、ピアノでは初めて聴くかも。小品を連ねながら情景・感情・儀礼が移り変わる構造をとっています。ウーはここで古典的なタイトさよりも物語性を優先しているように聴こえますね。いわゆるチェンバロを意識した演奏ではないかな。特に〈郵便ラッパのアリア〉から〈フーガ〉にかけて音色が鮮明となり、旅立ちの高揚感と晴れやかさを生き生きと描き出していますね。終曲では強く明快なタッチでモダンピアノの威力をこの曲の中に生かしている印象。
シューマン《子供の情景》では、バッハの際の音色を対照的に変えて、内向性と微光のような明るさが交差します。曲によってタッチをガラリと変えるのは同様ですが、非常にたくさんの引き出しを持っていそう。ここではウーの声部分離と触鍵の柔らかさが際立ち、〈トロイメライ〉は甘美に傾かず、むしろ遠さを伴った回想として提示されているように感じます。〈怖がらせ〉や〈寝る前に〉はソフトな音色で幼年期の感覚に潜む陰影が丁寧に描かれています。ここでは旅の中での幻想や夢を表していますね。
最後のシューベルト《さすらい人幻想曲》はアルバム中で最も大きなスケールを持ち、全楽章がアッタッカで連結される循環形式をとります。冒頭のピアノをフルトーンで鳴らし切る音を聴いて、ああこの方は良くも悪くもアメリカのピアニストだなと感じました。ここまで明快な音色で弾き切ってしまうのはヨーロッパ系とは違うのではないかしら。でもそれは若さかもしれません。ピアノを鳴らし切っていてこのあたりはシューベルトのイメージからちょっと離れているかもしれませんが、こういった固定観念にとらわれないシューベルトもまた新鮮ではありますね。各楽章に歌曲〈さすらい人〉の素材が現れ、ウーはその反復のたびに別の精神状態を提示するように展開しています。特に第2楽章アダージョでは長いフレーズを大きな弧で描き、旋律が空間を漂うような孤独と憧憬を伴います。終楽章では技巧的要求が一気に高まり、鋭利なトレモロと和声の熱が迸り、前進性が強調されています。さらに前に進むぞ!という意気込みが感じられる演奏で、その効果はアルバム名《Onward》の性格と見事に一致しています。
録音は2024年10月2日・4日にヴァージニア州BoyceのSono Luminus Studiosで行われ、Daniel Shoresが制作・ミックス・マスタリングを兼務し、ピアノはSteinway Model Dが使用されています。空間の残響は中庸で透明度が高く、ピアノの機械的ノイズやアタック音がクリアに浮かぶ一方で、ビロードのような弱音の空気感も確保されています。全体として響きを拡大し過ぎず、距離感の近いパースペクティヴで演奏者の身体性を感じさせる録音です。
回想・別れ・夢想・憧憬といった心理の段階を通り抜けながら、最後に「歩み続ける」という主題に収束する構成はアルバムとしてよく整えられていますね。若いピアニストが自分の内側の声に耳を澄ませながら、自己の中に形作られしつつある成長の過程を辿り、またそれを未来へ向けての決意の表明と感じられました。聴く上でも興味深く、今後の成長を期待させると同時に、現時点でも十分な成熟を示す一枚だと感じました。